慟哭




 ……。


 メルは、ふと目を覚ます。

 どのぐらい気を失っていたかわからない。

 一瞬なのか、それとも長い時間なのか。

 ここはどこだろうか、と、妙に冷めた頭で考える。


「メル……」

 ほのかな白い光を纏った存在――白が心配そうな顔でメルにすがっていた。

「白、ここはどこなの?」

「……湖底遺跡、だよ。彼らだけが知るルートで入り込んでいるんだ」


 そのやりとりの様子がぼんやりとだが見えているらしい、教主と呼ばれている小柄な女がにやにやと妙に嬉しそうにしている。

「我らが白き神よ、よほどその神子がお気に入りのようですなぁ。あぁ、いい拾いものをした、いやこれも加護というものか。ようやく、ようやく神のお声を聞き、神のお姿を見ることの出来る神子を得られた」

 ――神子、というのはどうもメルのことらしい。

 しかしメルには気になることがあった。

「……あなたにも見えているのではないの?」

 

 すると、教主は突然苦虫を噛み潰したかのように表情をぐしゃりと歪ませ、震える声で言った。

「この、私のちからをもってしても、ぼんやりとそこに神がおわす、ということしかわからないのだよ、神子よ。神の薬――お前たちが魔薬と呼ぶそれを用いることで、神との『波長』をより近づけることはできるが――ぴったりとは重ならないのだ」

 では、彼らが魔薬を手に入れようとしていたのは……神とやらの声を聞いたり姿をみたりするためだけ、だというのだろうか。

「そんな……そんなことのために魔薬をつかって……馬鹿げてる!」

 メルの代わりに叫んだのは、一緒に連れてこられたウルリカだった。


「そんなこと、だと」


 教主がふらり、とウルリカの前まで進み出る。

 ……ウルリカは何も出来ない。屈強な男二人がかりで抑えられていたから。


「ああ、ああ、あぁ、あまりそのような口を叩くな『鍵』の小娘。用済みになったら開放してやろうかとも思ったが……慈悲をかける必要などなさそうだなぁ?」

「お前たちに慈悲なんて、ハナからあったのかよ」

「く……、くははははははははははは!!」

 遺跡に教主の哄笑が響く。


「始末するまえに、いいことを教えてやる小娘ぇ。本来はお前の姉が『鍵』の役目を負うことになっていたのだよ――あの夏に。そう、あの夏にお前の姉が恋した男は我々の手のものだったのだよ。お前の姉をここまで穏便に連れてきてやるつもりでなぁ。お前の姉は、まんまと仕組まれた恋にはまってくれたぞ? ちょっとばかり女として扱ってやっただけですぐに『堕ちた』という」

「なっ……それって……それって……」


 遺跡に慟哭が響く。


「ヴィクトリア姉様の恋は……贋物だったってことかよ!! ……そんな、姉様の、一生一度の恋、が……ねえ、さま……」


 そんなウルリカへ、教主は妙に優しい声で……その悲しい恋物語の続きを教えてくれる。


「……もっとも、我々にとっても誤算だったのは、我々の手のものまでが本気になって本当に心中なぞしでかしたのだがな。我々が気づいたときには、お前の姉という鍵は湖の底だ。お陰で我々はお前を使わなくてはいけなくなった。姉妹そろって、余計な手間をかけさせおる」


「ねえさま……ねえさま……」


 ……それでも、それでも、ヴィクトリアの恋が仕組まれていたという事実は変わらない。

 たとえ教団の手のものだったその少年が、最後の最期にはヴィクトリアに本当の恋心を抱いたのだとしても、その事実だけは変えられない。


 ぶちり、 ……メルの中で何かがきれる音がした。


「てめえらは……ほんとうに『人』なのかよ……」

「ぬ?」

「こんな、人の心を弄ぶような真似をして、それで本当に『人』なのか?! 怪物と同じじゃねぇか!!」


 メルが、叫ぶ。

 だけどその言葉に妙な――前にも同じ言葉を叫んだような気がしていた。

 あぁ、それは……忘れたかった記憶。

 メルが不覚をとった、あのときの。

 運命がなにもかも変わってしまった、あのときと、同じ。


「その言葉……その声……」

 教主が、はっとしたように、目を見開き、そして。

「そうそう、神子よ、お前は確か『剣を扱えない』のだろう?」

「……なんでそれを」


 にやにやにやにや、教主は今は機嫌がよさそうだ。


「私が、まだ一介の邪術師だった頃――私はお前に会ったことがあるぞ? 呪いは今も効いているだろう? そうだろう? あの頃の私が最高の魔力を込めた呪いだったからなぁ?」

 ……どうやら、この教主とやらは、メルにとっても因縁の深い相手のようだった。

「……お陰様で」

 メルは精一杯の冷ややかな瞳で、教主を睨んでやった。

 剣も扱えない今のメルでは、それしかできなかったから――




「さぁて、さて、儀式の時刻だ。お前たち、鍵を」

「はい、教主様」

 

 遺跡の大扉の前で教主が宣言した。

 ウルリカを抑えていた男の片方が、彼女の手首をあらわにさせる。


「血を捧げよ、血を捧げよ。双鍵の紋章に連なる血を今こそ捧げよ。それこそが我らの神に至るための――」


 教主が、まるで歌うように、軽やかな声で祈りを捧げる。


「ぐっ……うぅぅ……」

 ウルリカの華奢な手首に刃物が入り、ぶしゃりと、そこから流れた赤い血がその扉にかけられる。


 音を立てて、巨大な扉が開いていく。


 恍惚とした声で教主は宣言した。

「あぁ、我らは――いまこそ神の御座所に近づくことを赦された」

 


 そんな状況だと言うのに、メルの頭は妙に冷えていた。 

 まだ教主たちは気づいていないが、遠くに、剣戟の音が聞こえるのをメルだけが聞き取れていた。

 

 ……これは、きっと。



 希望は、まだある。




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