白き教団




「とりあえずメルは急いでコート着てきなよ、なかったら私の貸すから。……本当は別荘に留まって温まってもらいたいんだけど、道案内が必要だしね」

「あ……はい!」


 ウルリカにもっともなことを言われたメルは、すぐに廊下を走って自分に割り当てられた部屋に戻ってきた。

 と、そこには……白がいた。それもなぜか、その表情は悲しげに歪んでいる。

「……メル、外に行くの?」

「うん、ユイハとユウハもだけど、救助しなきゃいけない人がいるからね」

 クローゼットを開けて、濃紺のコートを着ながらメルは応える。

 本当はドレスや下着も着替えたいのだが、今は時間がなかった。

「……だめ、だめ、だめ、そこに行ってはだめだよ、メル。それにあの子にも関わってはいけない、だめなんだよ、メル」

 いつものんびりとしている白が、切羽詰まった声で、悲しげな顔で、そう訴える。


 だけど・

「……そういうわけにもいかないよ。私は行く」

 廊下に出てもなお、白はメルを追いかけて訴えた。

「メル、待ってお願い。ねぇお願いだから! そこに行ってはだめ! 外に行ってはだめ! だめなんだってば!!」


「もう、白はうるさいなぁ!」

 メルが思わず出した大声に、ウルリカと使用人たちがぎょっとする。

「……ど、どうしたの、メル……」

「……えっと、なんでもない、です……」

「メル……」

 白という他の人の目に見えない存在が、今はメルのコートの腰リボンのあたりを掴んで泣き縋っているなどと言えるわけがない。

「メル……」

 涙声で訴える白に、メルは小声で、だがきっぱりと答えた。

「私は行くよ」

「そんな……メル……」



 雪は相変わらず、ほとんど斜めに吹き付けていた。

 聞こえるのは、風の音と使用人たちの呼びかけの声だけだった。それに加えてメルには、白の懇願する声が延々と聞こえていた。


 なぜ、白はこんなに――私をリンネメルツェに会わせたくないのだろうか。

 それとも他になにか……理由があるのだろうか。


「あぁ……もう、だめだ……“来て”しまう……」

 白は、絶望の吐息とともに言葉を吐き出す。

 その言葉の意味をメルが問おうとした時、


 使用人の一人が、声もなくぐらりと斃れた。

 続けて、もう一人、いやさらにもう一人。


「なっ……お前たちどうしたんだ?!」

 ウルリカが斃れた使用人に駆け寄ろうとする、が……

「きゃっ!」

 続いたのはウルリカの悲鳴。

 雪上にウルリカが転がり、そして、何者かが彼女を取り押さえる。

 白い頭巾に、白い外套をまとった者たちが、何人も。


 ……いつの間にか、取り囲まれていたらしい。

 白に構っていたために気が付かなかったが、メルもうなじがびりびりしているのに今更気がついた。危険なことが起こる前には、いつもこうなるのに。


「我らが神よ、そこにいらっしゃるのですね、この私にはわかりますぞ」


 ……白頭巾に白い外套の者たちの中から、背の低い女が進み出てきて低い声で、まるで歌うように……確かに白に向かって、そう言った。


「……白、これは一体」

「メル……だから、だから、言ったのに……行かないでって……あんなに言ったのに……」


 白は――神と呼ばれた存在は、ただ、希望を亡くした声でそう呟いた。







 ◇◇◇




 夜――

 夕暮れ時まで雪が降り積もっていたが、今はすっかり晴れている。

 どこまでもどこまでも、冬の湖は静寂と月星の光だけが支配していた。


 そんな中で、マギシェン侯爵家の屋敷は妙な騒がしさがあった。


「ウルリカと客人たち、それに使用人たちはまだ戻らんのか!」

「も、申し訳ございません旦那様!」


 最近は随分と穏やかになっていたマギシェン侯爵家当主――シグルド・ブレイア・マギシェンが使用人たちにひどく当たり散らす。

 ……無理もない、いまや一人娘となってしまった大事な大事な娘が、現在行方不明なのだから。

「落ち着きなされ、侯爵。ご令嬢の行き先はわかっております」

 その荒れるマギシェン侯爵をなだめているのはベルグラード男爵だった。

「あぁ、あぁ……、だが、それは……」

 頭を抱えてソファに倒れ込むように座る侯爵。


 そんな部屋の様子を、どこか冷ややかな瞳で小さなピシュアーの女性――パラフェルセーナ公爵が見下ろしている。


「マギシェン侯爵、我らを招き入れてくれて感謝する……判断力は鈍っていなかったようで安心したぞ」

 ふわりとオオムラサキの翅でローテーブル上に舞い降りたパラフェルセーナ侯爵が高い声で礼を述べる。

「パラフェルセーナ公爵……いや、私ども家族はあなた方に……魔薬捜査官の方々に世話になりっぱなしですからね……このぐらいどうということもありません」

「だが、非常時であるとはいえ、“非正規の国軍兵”なぞをよくぞ自分の屋敷に入れる気になったものだ。その胆力と判断力は褒めてやろう」


 鷹揚に侯爵に言葉をかけながら、リーリシュカ・キャルロード・パラフェルセーナ公爵はこれからどうするべきか考える。

 マギシェン侯爵令嬢の居場所はわかっているのだ。

 奴らは――令嬢をさらった白き教団を名乗る邪教団は十中八九、湖の遺跡にいる。

 令嬢をさらった理由は、遺跡の深部に至るための鍵として、だろう。

 マギシェン家はもともとこの湖の遺跡を守護する家柄であった。彼ら一族の血こそが、遺跡の扉を開くための鍵、というわけだ。

 おそらく、教団の教主はそれを使って、最深部に至ろうとしているのだろう。

 旧き神――名も無き白き神のひとかけらが眠るという、遺跡最深部へ。


「パラフェルセーナ公爵、いかがなさいますかな。突入の準備は整っておりますぞ」

「……あぁ、では」


「それなら、僕達も連れて行っては貰えませんか?」

「その……足手まといにはなりませんから!」


 そう言いはじめたのは、部屋の隅で何か話していた様子の青年二人。

 たしか一人はこのマギシェン侯爵家の養子である。

 もう一人は最近屋敷を出て、貴族籍を抜けようとしていると社交界でも噂になっていたリヴェルテイア侯爵家の次男だ。


「ほう?」

「僕は、ウルリカを、婚約者を助けに行かなきゃいけないんです」

「……僕も、僕の恋人を救いに行かなくてはいけないからね」

 パラフェルセーナ公爵は、片方しかない瞳で彼らを睨んでやる。

 ……二人とも、微塵も臆する様子はない。

 いい度胸だ。


 くるりと彼らに小さな背を向けた。

 そして。



「リーリシュカ・キャルロード・パラフェルセーナが出陣するぞ!! お前たちもついてまいるのだな!!」





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