舞劇「夢幻境」




 メルは急いで自分の席を探しだし、隣の席に座っているご婦人方に軽く会釈をしてから腰掛けた。

 右隣の老婦人が物珍しそうに、メルの抱いたドール・シルフィーニアを見ているが、今は舞台に集中することが優先だった。



 客席の明かりが落とされ、舞台の幕が開く――




 舞劇「夢幻境」は大陸東方の果ての果て、極東列島に伝わる話を元としたした舞台だ。

 そのためか、向かって右の舞台で楽団が奏でている音楽も東方を意識したものとなっている。

 そして向かって左の舞台では、場面に合わせて詩が謳い上げられる。この詩が、一般的な舞台で言うセリフの代わりともなる。

 一番大きな中央の舞台、ここはまさしく舞うための場所――


 その舞台のセットは青空の下の青い海と、大きな木造船。

 青い衣装をまとった役者たちが、寄せては返し、また寄せては返し、そして渦を巻く海を表現している。



「戦乱の極東列島に一つの国あり、その名をイソラの国と言う――」

「イソラ、小国の一つに過ぎず。彼の国は今にも大国に呑まれんとしていた――」


 と、ここでリゼッタが――いや、イソラの国の姫であるキララ姫が可憐な、しかし不安をあらわすステップで船の上に登場する。


「お父様、お母様、さようなら、さようなら、あなた方の慈しんだ姫は二度と帰れませぬ――お嫁に参ります、姫はお嫁に参ります、かつての敵国ソウガへと――」


 続いて現れるのはキララ姫の侍女オユキ。

 ここでオユキはキララ姫を、ソウガの国も案外悪いところではないかもしれないと慰めるのだ。

「このような、見事な絹のドレスを贈ってくださったシグレ殿――このようなドレスは見たこともございませぬ、ソウガの国の主たるシグレ殿はきっと優しき方でありましょうや」

 それでもキララ姫は、まるで寒風に打たれる小鳥のように、か弱く震え、怯えながら首を振る動きをする。

「シグレ殿――我が夫君となるべきお方、どのような方か、どのような――あぁ、しかし、未だ会えぬ方には、キララ姫は心ときめくことはできませぬ、さだめとはいえ、恋と言うものを知らぬ齢十五の身でありながら、嫁がねばならぬとは――」



 恋――

 だが、貴族や王族の多くは恋を知らずに嫁ぐのだ。

 それを拒もうとするキララ姫はなんと世間知らずで純粋なことか……。



 舞台の練習風景を見たことのあるメルではあるが、実際にセットや衣装、それに音楽や詩や魔法の明かりによる照明などがかっちりと噛み合った世界に引き込まれていた。

 

 浮かぬ様子のキララ姫を慰めるために、船上では賑やかに宴が催される。

 華やかな、楽しい気分になる明るい音楽。

 

 ところが――


 その音楽が一変して、緊迫したものとなる。


「大嵐だ!!」


 青い服を着た波の役の者たちが、船の上にも迫る。

 風の役であるピシュアーの役者たちが、舞台いっぱいに舞う、舞う、舞う。


 あっという間に、船は風と波に呑まれて――






 舞台の幕はここで、一度閉じられた。

 劇場内に明かりが満ちることで、ここで一度休憩時間となることが観客たちにも理解できた。


 メルは、ほかの観客たちのように立ち上がってどこかに行くことはしなかった。

 ただ、両脇に座っていたご婦人たちが席を立つと、大きく息を吐いた。

 目の前で本当に船が呑み込まれたかのような、そんな感覚を味わっていたのだ。


「なるほど、これは演劇舞台道楽になる人もいるわけだわ……」


 興奮が治まらなくて、思わずシルフィーニアをぎゅっと抱きしめる。

 このドールと同じ衣装をまとった姫君であるキララ姫のたどる運命――ストーリーは一応、知ってはいるが、それとこれとは違う。


 そうこうしているうちに、休憩時間は終わりとなるようで、隣の席のご婦人方も帰ってきた。


 第二幕だ――




 幕が開くと、真ん中の舞台はあちこちに花が溢れた、極東列島風の建物が並ぶ海辺となった。

 海辺には倒れ伏すキララ姫と、侍女オユキ


 そこへやってくるのは一人の美しい青年。

 彼はキララ姫とオユキを助け起こし、自分はこの島――夢幻境を預かる領主・キリヒト公だと名乗る。

 

 ここでキララ姫は、美しく優しいキリヒト公に一目惚れの恋をしてしまうのだ。

 キララ姫の、文字通り舞い上がるような気持ちを表した舞に、キリヒト公が併せて舞う。

 キリヒト公もまた、ひと目で可憐なキララ姫を気に入ってしまったのだ。


 キララ姫とオユキはキリヒト公の住まう御殿へ向かうのだが、その途中でたいそう驚くのだ――


「なぜ家々の屋根があんなにも光っているのでしょう」

「屋根には金を使っているためでございます、キララ姫」

「なぜ家々の窓はあんなにも光っているのでしょう」

「窓には水晶を使っているためでございます、キララ姫」

「なぜ家々の壁はあんなにも――あぁ、もう」


 そう、この「夢幻境」はとても豊かで――屋根には金が葺かれ、窓には水晶が用いられていて、道行く人達はみんな絹のすばらしい着物を着ていたのだ――


 そこは まるで、この世の楽園。


 だけど、この「夢幻境」はそれだけでないとんでもない場所なんだよね、とストーリーを知っているメルは心の中だけでつぶやく。


 メルの席の真後ろでは白が、妙に神妙な面持ちで静かに舞台を見守っていた。




「ここは夢幻境、いと高きところにおわす優しき神の守る場所――」



 キララ姫はキリヒト公から真新しい、真珠を縫い込んだ水色のドレスを与えられる。

 二人の距離は、美しい夢幻境の日々で少しずつ縮まっていく――


 そして――




 破滅は訪れるのだ。




 



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