真紅の舞姫(その二)
ジルが、若い女の人を連れてくるだなんて――
店に入ってきた、赤い髪の女性に続いて現れたのは、なんとメルの恋人であるジルだった。
久々に会うのにこんなのって無いよ、という非難の意味をこめて、メルはごく軽くジルを睨みつける。
赤髪の女性の従者らしい大きなトランクを抱えた少年が、茉莉花堂のドアを閉める音がどこか遠くのものに感じられた。
「こんにちは、メルレーテ嬢。僕の幼馴染でもある従姉妹がドールブティック茉莉花堂にドレスを依頼したいとのことで、今日は案内人役なんだよ」
幼馴染で従姉妹。
その言葉に、ほんのちょっとだけメルは安心することができた。
……人前だから、愛称ではなく名前であるメルレーテと呼んできたことも、仕方ないとして。
その、ジルの幼馴染で従姉妹だという女性は、好奇心いっぱいの瞳で店を見回していた。
葡萄のような飾りのある白い帽子からは、くるくると渦を巻くいかにも豪奢な赤い髪がちらちらとのぞいている。
身長はそれほど高くはないのだが、手足がすらりと長く、ウエストもとてもほっそりとしている。顔も細く小さいのだが、唇だけはぷっくりとしている。
少々癖が強く好みが分かれそうな感じはあるが、美人だった。
「彼女は、リゼッタ・シスネ・グリフォス。僕の母方の従姉妹だ。貴族ではあるけれど、今は舞劇に集中したいって言って、一年と少し前ぐらいから家を出ているんだ。完全に縁が切れているわけではないのだけどね。現に、今回の依頼のお代は彼女の実家持ちだ」
それを聞くと、女性――リゼッタはむっとした顔で反論する。
「お母様が勝手に甘やかして来るのよ。私はさっさと独立したいのに。でも、今度の舞劇ははじめてヒロインを演じるんですもの、実家からのお祝いのひとつやふたつやみっつ、受け取っても悪くはないでしょう?」
「やれやれ――」
「何よ、何かあるのかしら?」
「それはないけど、彼女に早く用向きを伝えたらどうかとおもって、ね」
「……っ、いえ、その、どうぞ、ゆっくりしていってくださいな。今お茶とお茶菓子を取りに行ってきますのでその間に店内を見ていて下さい」
後半は早口で言い切り、メルはほとんど走るように台所に向かった。
一度、呼吸を整えなければ「戦えそうになかった」のだ。
今日のお茶菓子はアップルパイ。生地の焦げ目が我ながらうまくできたたと自負している。
お茶はレギーンナをストレートで。
店内に戻ると、ジルはいつもの商談用のテーブルのところにゆったりと着席していて、リゼッタは店の商品をきらきらとした好奇心の瞳で見て回っていた。その後ろには、まるで影のようにトランクを抱えた銀髪の少年が控えている。
「お茶とお菓子を召し上がってください。今日のお茶請けはアップルパイです。お荷物は遠慮なくカウンターに置いて下さって大丈夫です」
それを聞いたリゼッタはこちらを向いてぱぁっと大輪の薔薇が咲くような笑顔になった――が、次の瞬間には、この上なく残念そうな顔になったのだが。
「その、遠慮しておくわ。甘いものは好きだし、アップルパイなんてしばらく食べていないけれど、その、私はとても太りやすいのよ。ヒロイン役の衣装が体に合わなかったりしたら、どんな嫌味やお小言をもらってしまうか」
「そう、ですか……」
食べてもらえないのは残念だが、そういう理由では仕方がない。
「だからゼローア、お前が代わりに頂きなさい。確か、お前は甘いものが大好きだったわね」
「俺が? いいのですか、リゼッタさま」
ゼローア、そう呼ばれたエアルトの少年は無表情ではあったが、声音からはたしかに喜びが溢れていた。
「えぇ、許可するわ。せっかくのお店側の好意をムダにしてしまうのも勿体無いでしょう」
ゼローアはそれはそれは美味しそうに、アップルパイを食べてくれた。
ときおりごく小さく、喜びの声をあげながら、一口一口いかにも大事そうに食べ進める。
リゼッタも、ミルクなし砂糖なしのお茶を飲みながら、その様子をいかにも愛おしそうに眺めていた。
「それで、当店に依頼とのことですが」
いつまでもゼローアの食べっぷりも見ていたいが、まずは仕事の話である。
「えぇ、今度の国立舞劇場で行われる舞劇。私がヒロイン役をやることになっているの。だからそれをお祝いして、私のドールにも、私の役と同じ衣装をというのが、実家からの依頼のほうね」
「と、申されますと」
そこでふふっ、とリゼッタは微笑んだ。
「私の方からは、舞劇全体をイメージしたドールドレスを作って欲しいのよ。どちらかというと、ドールドレス職人であるあなたが舞劇を見た感想をそのままドレスにして欲しい、といったほうがわかりやすいかしらね」
「舞劇を見た、感想をドレスにですか」
それはまた、風変わりな依頼だ。
メルは、ドールドレス職人ではあっても、舞劇に関しては素人も素人だ。そんな素人の感想を、ドールドレスという形で受け取って嬉しいものなのだろうか……?
「そう! はじめてヒロイン役をやろうっていうんですもの。私はね、とにかく記念を残したいのよ。私が美しく光り輝いていたっていう、記念をね」
「なるほど、記念ですか」
「グリフォス家の人間は、記念を残したがるね」
ジルセウスが口を挟んで、それからまた我関せずをアピールするかのように、紅茶とアップルパイに戻る。
「そうね、記念を残すのはいいことよ。私のドール……シルフィーニアというのだけど、その子も私が生まれた記念に父が私に似せて作らせて贈ってくれたものだから……ゼローア、シルフィーニアを出してみてちょうだいな」
「あ……はい」
アップルパイが無くなってしまった皿の上をせつなそうにフォークを動かしていたゼローアは、呼びかけられてはっとなってから、カウンターの上に置いていたドールトランクのところへ向かう。
ゼローアがドールトランクを開け、少女人形としてはかなり大きな――六十センチ近くもあるだろう――ドールを捧げるように持ってくる。
「どうぞ」
「はい…………っ?!」
ゼローアがドール・シルフィーニアをメルに手渡した、その時。
ぞわりとした。
うなじがびりびりするこの感覚。
メルは、昔から嫌な予感がするときは、こうなるのだ。
「……」
「大きくて重いので驚いたでしょう?」
ドール・シルフィーニアを手にしたまま驚愕の表情で固まっているメルを、リゼッタは好意的に解釈してくれたらしい。
「そう、ですね。当店にあるドールにも大きな子はいますが、結構な重みがあります」
「私が遊ぶためにって作らせたそうなのに、その重さと大きさのせいで子供の頃はろくに遊べなかったぐらいなのよ」
からからと明るく笑うリゼッタ。
そのリゼッタに、精一杯の愛想笑いを返しながら、メルは心臓のどこかに冷たい氷の塊を押し当てられたような気分だった。
「あら」
商談もまとまって、帰り際のこと。
リゼッタはカウンターの奥にあるメルの相棒ドール、エヴェリアに目を留めた。
「あれはあなたのお人形なの?」
今日のエヴェリアは、落ち着いたちょっとくすんだあんず色のワンピースドレスに、濃い茶色のブーツ姿。
エヴェリアの茶色い髪が引き立つようにと選んだコーディネートだった。
「えぇ、そうです」
「……お人形の方は、金髪ではないのね」
そう言い残して、リゼッタはゼローアを伴い店を出る。
そうだ、今だ。
「ジルセウス様……ジル、あのね」
「なんだい?」
ジルは、いつもと同じ、優しい笑顔だった。
いつもメルに見せてくれる、優しくて素敵な笑顔。
「今度ね、ユイハとユウハと小さなお茶会する予定なの、それでジルも一緒にって……!」
「都合のいい日を知らせるよ」
ジルは一段と嬉しそうに微笑む。
うっとりとなるような白薔薇の芳香のような余韻をのこして、ジルは店を去っていった。
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