涼風は茉莉花堂へと




「メル、本当に帰っちゃうんだね……もう少し滞在していけばいいのに」

 すねたように唇を尖らせて、ウルリカが言う。


「ウル、あまりメルレーテ嬢を困らせるものじゃないよ」

「だって……」

 ウルリカを優しくたしなめるのはテオドルだ。

 二人はこの夏、婚約したのだ。


 子供を作れない種族ジュエリゼであるウルリカなので、もちろんその婚約にもひと波乱あった。

 しかし、それを解消するためにテオドルはある提案をしたのだ。

 それは、子供がつくれないならば身内から養子をとればよいのだ、というものだった。 

 この提案に、マギシェン家の分家筋や親類がのらないわけがなかった。巧く行けば自分たちの血を引く子供が未来の侯爵家当主になれる。それも、そのまま育てれば冷や飯食いの二男や三男であったであろう子供が。

「おかげで、養子候補には困らなさそうだ」

 とはテオドルの言葉だ。

 なお、せっかく『戻ってきた』娘を男に奪われる形となったマギシェン侯爵はかなりしおれていたのだが、侯爵夫人がうまくとりなしてくれた。「ウルリカがどこか遠くにお嫁に行くんじゃなく、ずっと家に居てくれるのよ?」という言葉に侯爵はしっかり機嫌を直して、今では気の早いことにウエディングドレスの仕立て屋を探しているらしい。


「ふふ、ウルリカ様はテオドル様がいますから、もう寂しくはないでしょう?」

「そ、そんなことは……ちょっとだけある、かな」

 ウルリカは照れを隠すためなのか、自分のスカートをパタパタさせる。

 ……そう、今日のウルリカは男装ではなく、ちゃんとしたドレスを着ていたのだ。

 濃い目の琥珀色のドレスは、ウルリカが男装中も侯爵が贈り続けていたうちの一着らしかった。さすがにウルリカは生まれついての侯爵令嬢だけあって、堂々とその豪華なドレスを着こなしていた。


「メルあのね。メルに貰ったあのお人形のドレス達、大事にするね。ずっとずっと大事にして、子供が――娘ができたら自慢するんだ。母さまにはこんな素敵なドレスを作り出せる友達がいるんだ、って」

「ウルリカ様……」

「夏が終わればいろいろ忙しくなっちゃうけど、茉莉花堂にもきっと行くからね。だから、さよならじゃなくて、また遊ぼうねって言うよ」


 

 メルは未来のマギシェン侯爵夫妻に見送られて、馬車に乗り込んだ。

 ……馬車の中では、それまでこらえていた涙が流れてしまったが、シャイト先生は寝たふりをして見ないでいてくれた。





 そうして、馬車の旅を終えて、メルとシャイトはようやく花咲く都へ――茉莉花堂へ帰ってきた。

 普段は勝手口から入るのだが、今日は様式美ということでお店のドアを開けて帰還しようということにしていた。ただ、シャイトにはこの『計画』を話したら呆れた顔をされたのだが。

 メルはずっと大事に身につけていた茉莉花堂の鍵を取り出し、ドアを開けた。


「ただいまー……っと」

「ただいま」


 夏のほとんどの期間を空けるために、いくぶん商品棚などはがらんとはしているのだが、やっぱり茉莉花堂は茉莉花堂だった。

 大好きなドールがあって、ドールドレスがあって、大きな飴色のカウンターや、天板のふちに薔薇の花模様が彫刻されたテーブルや、ベージュに茶色の縦縞模様の壁紙が出迎えてくれる、メルの大好きな茉莉花堂だった。


「あら、シャイトにメルちゃん。おかえりなさい!」

 奥から現れたのはプリムローズだった。

「ただいまプリム母さん」

「ただいま、プリムローズおかみさん」

「元気そうで嬉しいわ。手紙はちゃんと受け取ってたわよ。メルちゃんは外でいっぱい遊んだみたいだけど相変わらず日焼けしない体質なのね、羨ましいわ。そうそう、いま白薔薇の貴公子様と、ユイハ君とユウハちゃんが遊びに来てたわよ。ベオルークの工房の方に通したから、今頃みんな暑さで溶けてるんじゃないかしら」

 さらっと、とんでもないことを言うプリムローズ。

 ドール職人であるベオルークの工房には窯が――それも特別製の魔法窯がある、その近辺は並大抵の暑さではないだろう。

「た、大変! すぐに三人ともこっちに呼んで、プリムローズさん!」



「ひどい目にあった……」

「まったくね、ユイハ兄さん……」

「ベオルークどのは毎日あの前で作業しているのか、あれは夏でなくても参りそうな暑さだったね」

 溶ける一歩手前でテーブルに突っ伏しているユイハとユウハ。

 そして、ジルセウスもさすがに魔法窯の前は暑かったらしい。なんとも珍しいことに、彼はいつもきっちり締めている前襟を開けていた。


「……」


 彼らに冷たい紅茶を運んできたメルであったが、ジルセウスのめったに見られない姿に思わず手が止まる。なんというか、男の人の喉仏やら鎖骨が色っぽいと思ったのは初めてのことだった。

「どうしたんだい、メル」

「……な、なんでもないわ、ジル。なんでもないの」


 なんだか妙に気恥ずかしくなって、ほっぺたが熱くなっている気がして、メルは茉莉花堂に唯一の開け閉めできる窓から外を見る。

 マギシェン家の別荘にあった窓とは違い、きれいな景色が見えるわけでもなんでもないのだが、涼やかな風が入ってきていた。


「あ、ちょっとだけ涼しい」

「えぇ、夏ももう終りが近いのかしらね」

「二人はこの秋はなにか予定があるのかい?」

「そうだね、秋は――」


「そっか、もう秋が来るんだな……」

 メルは感慨深くつぶやく。

 以前はなんでもなかったささやかなことが、茉莉花堂に来てからはなぜか妙にうれしいことばかりになっている。

 その事実すらも嬉しくて楽しかったのだ。


 




 花の国ルルドの王都、花咲く都とも呼ばれるルルデア。

 そこに走る無数の道の一つに、収集家小路と呼ばれる小さな通りがある。

 収集家小路には、変わった店がたくさんあるが、その中のひとつ、一見平凡な店構えにも見える、その建物。

 掲げられた看板には ドールブティック茉莉花堂 と言う文字と、白い花を模した飾り。

 窓を覗き込めば、ドールのためのドレスや帽子や靴やアクセサリー……そういった品ばかりと、そこで忙しく働く一人の少女の姿が見えることだろう。

 すこしばかり勇気をだしてドアを開けたならば、少女は蕩けそうなほどの極上の笑顔でそんなあなたを出迎える。


「いらっしゃいませ、茉莉花堂へようこそ」



 彼女はメルレーテ・ラプティ 茉莉花堂の店員にしてドールドレス職人。







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