胸の奥の秘密(その三)




「ウルリッヒ様、こちらを用意しておきました」


 バスタブからあがって身体を拭いていると、あの年配のメイドが衣服を準備してくれていた。


「はい、じゃあキミのはこれね。下着もドレスも、まだ一度も着てないものを用意させたから安心してくれ。どうせボクは着ないんだから、遠慮なく着てくれればこのドレスも浮かばれるというものだ」

「……でも」

「じゃあ裸で部屋まで戻るかい? 別荘とは言えマギシェン家の邸でそんなこと困るなぁ。……それに、あの橋が傷んだままになっていたのは、マギシェン家の落ち度だからね。これはお詫びの品でもあるということで、受け取ってくれるかな?」

「……それなら、貰っておきますね。ありがとうございますウルリッヒ様」


 裸で部屋まで戻るのも問題ありすぎるし、ウルリッヒやマギシェン家の顔を立てるためにもここは素直に衣類一式をもらっておくことにする。

 受け取った下着類やドレスのなめらかな上質の布地の感覚に驚きつつ、それを着る。というか、メイドたちが手際よく着付けていってくれる。メルは立っているだけでほとんど何もせずに、お姫様というのはこういう感じなんだろうかな、などととりとめもなく思っているうちにドレス姿が完成した。

 鏡を持ったメイドの前に座らせられたかと思うと、あっというまに髪も整えられてしまった。綺麗にハーフアップに結われた髪に、銀とアメジストらしい紫の石が嵌った髪飾りが挿される。


「メルレーテ嬢のお召し替えがおわりましたよ、ウルリカお嬢様」


 ウルリッヒはというと、ごく簡単に、シャツと半ズボンだけを着ただけだったので、のんびりとメルの『お召し替え』を眺めながら椅子に座って何かあたたかそうな飲み物を飲んでいた。


「メイド達も喜んでおりましたよ、若い女性の着替えや髪結いをすることは最近はまったくなくなっておりましたからね」

 老メイドがじろりとにらみながら言っても、ウルリッヒには怠そうにしてるだけであった。

「皮肉はやめておくれ、クリミナ。もう聞き飽きたからね。ボクはもうドレスなんて着ないし髪も伸ばしたりしないんだ……えっと、メルだっけか。やっぱりボクは華やかな女の子を見ている方でいいや。それにしても、お人形の服を作る職人の女の子はやっぱり皆キミみたいにお人形みたいな容姿してるのかな」

 メイドにウルリッヒの向かい側の椅子を引かれたので、メルは素直に座った。

「それは……ちょっとわからないです。他のドールドレス専門職人の事を、私は私の師匠しか知りませんので」

「そっか……んー……」

 そこでウルリッヒは次に何を言うべきか迷っているようだった。こめかみのあたりを人差し指だけで掻いて、それから言った。


「んー……キミが多分、知りたがっていることを話そうか」





「ボクの本当の名前は、ウルリカ。ウルリカ・プリエ・マギシェンと言う。ウルリッヒという名前は……この格好をはじめてから自分で付けて、使用人たちにもなるべくそう呼ばせてるんだ。父はひどく嫌がっているけどね」


 メルは温かな紅茶の注がれたティーカップで両手を温めながら、視線で話のつづきどうぞと促した。


「ボクには双子の姉さまがいたんだ。ボクと違って種族は人間でね、名前はヴィクトリア。だけどその名前の方で姉さまが呼ばれたことは殆どなかった。ヴィクトールって男名前で、父さまと母さまには呼ばれてた。マギシェン家は基本的に男子しか継げなくてどうしても女子に継がせる場合は、男装させなきゃいけない掟があったんだよ。なんともおかしな掟だとはおもうけどね」


 そこまで言い終えるとウルリッヒは、いやウルリカは紅茶を一口だけ飲んだので、メルも紅茶を一口いただく。

「だけどヴィクトリア姉さまは二年前……いや、もうほとんど三年前だな、そのぐらいに亡くなってしまわれた」

「その、それでウルリカ様が男装を?」

「当時のお母様の嘆き悲しみようはひどいものだったんだよ。綺麗だった髪が真っ白になってしまうほどに……だからボクはその悲しみを少しでも癒せたらとおもって、長かった髪を切ってヴィクトールの服を着た。ボクと姉さまは顔はそりゃあよく似てたから……最初の頃は母さまもヴィクトールが戻ってきたと無邪気に喜んでくれたけど――でも、やっぱり駄目だった」

「……」

 メルには、言う言葉が見つからない。こんな時に言える言葉をメルは持ち合わせていない。


「母さまは次第に子供みたいになっていって、ボクのこともわからなくなっていったんだ。お父さまはなんとかそれをつなぎとめようといろいろしたみたいだ。お母さまが持っているあのドール、あれを花咲く都の高名な職人に作らせたりとかね」




 老メイドクリミナがそろそろ夜の食事の時間だということを告げたので、メルはウルリカの部屋をおいとますることにした。


 そのとき、ウルリカは、ちょっとだけはにかみながら、こんなお願いをしてきた。

「あの……メル、その、またボクと遊んでくれる?」

「遊ぶ、ですか?」

「今日は落ちちゃったけど、昼間に湖で泳いだりもいいし、ボート遊びやブランコ遊びをしたりもいいし、木陰で一緒に物語を読んだりもしたいし、それと、あと……ほんの安物だけど、ボクもお人形……持ってるんだ。昔、別荘を抜け出した時にね、近くの街でヴィクトリア姉さまが買ってくれた大事なお人形が。その子を遊ばせてあげたくて」

「ウルリカお嬢様はお友達がいなくてお寂しいのですよ、私どもからもお願いいたします」

「クリミナは黙ってて! ……駄目、かな?」

 メルは思わず微笑んだ。こんなお願いなら、こちらからしたいぐらいだ。

「もちろんいいですよ。そのお人形は今ございますか? だいたいのサイズがわかれば、次に遊ぶときのためにその子のお洋服をつくりますよ」

「本当にかい? ちょっとまってて!」

 ウルリカは慌てて、クローゼットに突進し、しばらくごそごそと捜し物をして、それほど大きくない箱を取り出してきた。その箱をメルの前で開けてくれる。

「……キミや母さまのドールみたいな立派なのじゃないけど」


 中に入っていたのは、身長が二十センチちょっとぐらいのドールだ。頭は小さく、体型はすんなりとしていて、手足は長い。髪はまっすぐな濃い金の色で、目や唇といった顔のパーツは塗料で描かれている。

 これはゼルティラという木からとれる樹脂でできていて、花の国ルルドではとある大商会が大々的に売り出しているために、女児のおもちゃとして庶民にも広く愛されているドールだ。

 こればかりを集める蒐集家もいるぐらいで、茉莉花堂でもこのサイズのドレスを作って販売している。

「あぁ。この子のサイズでしたら茉莉花堂でも作っています。今夜にもすぐにドレス作りに取り掛かれますよ」

「そうか! その……ありがとう。この子は姉さまが買ってくれたときからずっとこの服のままだったから……きっとその、ヴィクトリア姉さまも喜ぶとおもう」

 指先でドールの小さな頭を撫でて、ウルリカは優しく微笑む。



 これは今日の針仕事には一層気合が入りそうだ。





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