ひとり と ひとり



 リヴェルテイア侯爵家の敷地内で、行方不明となった少女・メアリーベル。


 彼女はどうやら、庭の金属製フェンスの老朽化しているところを偶然に――あるいはどこか抜け出すところはないかと探していたのかもしれないが――発見し、痩せた小柄な身体を生かして、その隙間を抜けて、リヴェルテイア侯爵邸を「脱出」したらしい。フェンスには黒い衣服の断片がひっかかっていた。

 侯爵家の警備なら、だれかしらに発見されていてもおかしくはなさそうなのだが、こういうものは、こっそり入ろうとする者は警戒しているが、出ていこうとするぶんにはほぼ警戒はないらしい。

 というのも、侯爵家のひとびとが、使用人たちに黙ってお忍びでどこかへ遊びに行くこともあるので、わざとそんなふうに仕向けているらしかった。……これは、メルがジルセウスから聞き出した情報である。

 そしてメアリーベルは、徒歩で貴族街を抜け、その南にある広場をつっきり、職人通りの中でも人通りの少ない場所をふらふらしていたところを、メルにより発見されたというわけだ。



 メルは徒歩で、リヴェルテイア家のメイドであるそばかすのアンヌをお供に「喪服の女の子」の情報をあちこち聞き込みながら、メアリーベルの足取りを追ったのだ。

 ジルセウスが親切から馬車を出すとは言ってくれたが、馬車に乗っていては聞き込みに余計な時間がかかりそうなので、そういう事情を説明して丁重に断った。

 そしてようやくメアリーベルを発見できたので、アンヌをリヴェルテイア家へ連絡役として戻した。茉莉花堂までメアリーベルのお迎えをよこしてほしいと、伝言もしっかりと託して。


「もう少しだよ。茉莉花堂についたら足の手当もできるから、もう少しだけ頑張ってね」

「うん……」

 メルは、メアリーベルをお姫様だっこして歩いていた。


 貴族のご令嬢が着ていてもおかしくないような上質のふわふわ甘いピンクのドレスを着た少女が、それより何歳か年下の喪服の女の子を力強くお姫様だっこして運んでいる姿は、どう考えても目立つ。だが、メアリーベルは疲労とそれに真新しい靴による靴ずれもできていて、それ以上歩かせるのは酷すぎたので、仕方のない選択であった。

 道ゆく人の注目を浴びる羽目になる、という犠牲を払いながら、職人通りをつっきり、収集家小路へ抜け、そこをすこしばかり歩いて、茉莉花堂にようやくたどりついた。


 一度メアリーベルにおりてもらって茉莉花堂のドアを開けると、メアリーベルは店の中を眺めて、ごく小さくではあるが感嘆の声をあげていた。

 それからもう一度メアリーベルをだっこして、店内奥にある商談用テーブルの椅子に座らせる。メアリーベルが大事に抱いていたレナーテイアもひとまずテーブル上に座ってもらった。

 ドアの開く音でメルが帰ってきたようだとわかったらしく、シャイトが一度仕切りカーテンから顔を覗かせたが、すぐにまたひっこめた。

 たぶん、このことはメルに任せる。ということなのだろう。



 プリムローズおかみさんから薬箱を借りてこられたので、本人の許可をちゃんと得てからメアリーベルの黒い靴と靴下を両足とも脱がせる。あらわになったその足は驚くほど小さく痩せていて、骨がごつごつしているほどだった。

「傷薬つけるね、ちょっぴりしみるから痛みがあるとおもうけど」

「ん、大丈夫……」

 メアリーベルは両足とも靴ずれをおこして、足の裏でもまめもつぶれて血がにじんでいた。そのうえ足の指、いちばん長い人差し指部分は爪が半分はがれかけている大惨事だ。

 メルはそれらに薬を塗り、ガーゼをあてがい、包帯で固定する。メルは騎士学院時代に、刃物による傷や、魔法の炎によるやけどなどの手当方法も学んだことがあるし、実際に自分や仲間の手当も数え切れないほどしてきたので、手つきは慣れたものであった。

「……なんか」

「え?」

「……なんか、おとうさんみたい。……お山で遊んでかえってきたときにね、いっぱい怪我してると、おとうさんがこうして手当してくれたの。すごくしみる薬草の汁つけてくれて」

 山で遊んでかえったとき、ということは「おとうさん」というのは養父である男爵のことではなく、実父のほうなのだろうとメルは推測した。

「今日の傷薬とどっちがしみる?」

「……ん、どっちも。でも、包帯の巻き方はお姉さんのほうがずっと上手、おとうさん不器用だった」

「ふふ、そっか。……よし、これでお手当は終わり。お茶にしようか、それとも果汁とかのほうが好き?」

「……お茶、のほうがいいな。……えぇっと……えぇっとえっと……お姉さんの、お名前……」

「あぁ、前はエヴェリアのお名前しか教えてなかったものね。私はメルレーテ、メルってみんな呼ぶから、そう呼んでくれると嬉しいな」

「じゃあ……メルお姉さん。お茶、ごちそうになります」

 メアリーベルは椅子に座ったままではあるが、スカートの裾をつまんでぺこりとお辞儀をした。なんだかんだで、男爵夫妻はちゃんとした礼儀を教えているようだ。



 メアリーベルのお茶の好みがわからないので、好みの分かれそうな香草茶は今日は避けて、紅茶を淹れることにした。

 茶葉はテンプールベルかモルグネの二択で、テンプールベルを選んだ。モルグネもいいが、ミルクなどを入れずにストレートで飲みたい気分だったので、テンプールベルに軍配が上がったのだ。

 茶器はお客様用のものではなく、ふだん使いにしている素朴なカップ。

 お菓子は先日焼いた干しぶどうたっぷりのパウンドケーキがそろそろいい具合に食べごろだろうと思ったので、それをちょっと厚めの二切れずつお皿にのせた。



「お茶が入りましたよー」


 紅茶とお菓子の載ったお盆を店舗スペースへ持っていくと、メアリーベルはやはり椅子に座ったままだったが、そわそわとした様子で陳列棚や窓際のディスプレイに視線をあっちこっちに移動させていた。


「あ……えっと」

 その落ち着きのない様子を見られたのが、どうにも恥ずかしいのか、メアリーベルはちょっとうつむいてしまう。

「どうしたの? いくらでも見ていていいんだよ」

「でも、だって……私はお金とか持ってないし……それに、それに……私、もう十二歳、だし」

 ちょっとの間だけ、意味がわからなくて、理解するのにまばたき何回分かの時間を必要とした。そしてわかった。メアリーベルは、十二歳にもなってまだお人形遊びなんて恥ずかしい……と思い込んでいるらしいことを。

 今のメアリーベルと同じぐらいの年には剣を振り回してばかりいたメルにはよくわからない感覚だが、どうもそのぐらいの年齢で女の子の遊びというのは別のものに移行していくもの……と、ベオルークが言っていたのを思いだす。

 メルはメアリーベルに申し訳ないと思いつつも、どうにも笑いをこらえきれなくて、とうとう声に出して笑ってしまった。

「……ちょ、ぷっ……あははははっ! それじゃあ私は十六歳だよ、十六歳!」

「じ、十六歳は、私より四つも上で、うんと大人のひと、だもの……それにメルお姉さんは、お人形のお店の店員さん、だし」

 しどろもどろに理由をつけているメアリーベルがやっぱりおかしくて、メルはますます笑ってしまう。

 どうもメアリーベルの意見としては、一度大人に育ちきってしまえば、あとはいくら子供っぽい遊びを好んでいたとしても問題はないということらしい。

 それにしても、十六歳をうんと大人の人、などと言われるとは思っていなかったので不意打ちもいいところだ。


「ふふ、ふふふふふっ」

「そ、そんなに笑わないで、ください……」

「ごめんね、でもそういえば確かに、自分が十二歳のときは、上のお兄さんお姉さんたちがすごく大人に見えてたよ」

 思い出すのは騎士学院での日々。

 あたりまえだが規律に厳しい騎士学院では、年齢差というものは絶対的な階級と、超えられない力の壁そのものだった。


「メルお姉さんは、十二歳のときもお人形遊びしてたの?」

「んー……」

 ちらり、とカウンター奥に座っているエヴェリアを見る。メルがドールドレス作りを始めた――すなわち“お人形遊び”を始めたのは今から二年前、十四歳のときからなのだ。

「むしろ、お人形遊びなんて一切したことなかった。一番はじめは棒きれを振り回して、それから木剣、次に刃を潰した剣で、それから――真剣」

「……」

 メアリーベルは息をするのも忘れた様子で、メルの言葉の続きを待つ。

「私、騎士になりたかったんだ。実力で騎士になるってのはもともとは私のおじいちゃんの夢でね、いろんな騎士物語を聞かせられて育って、いつしかおじいちゃんの夢は私の夢になったの」

 メアリーベルは、無意識なのだろう、紅茶を口元に運ぶメルの手を見ていた。

 手袋に包まれていないその手は――ごつごつした無骨な手だ。


「でも、いろいろあって騎士になることは出来なくなっちゃった」


 メアリーベルは、今にも泣きそうな顔だった。

 どうしてメアリーベルがそんな顔をしているのだろう、とメルは思っていた。


「実家の家族とも――いろいろあって、あのときからろくに会ってないの、ううん、会いたくないの」

「……そんなの、悲しいよ」

「そうだね。だから私は――メアリーベルには私と同じになってほしくない」

「同じ、なんかじゃ……」

「メアリーベルと男爵と男爵夫人が、何があったのかは私はしらないし、聞き出そうなんて思わない。でもこれはお願い、ふたりとちゃんとお話してみて?」

「……私」



「メアリーベル! メアリーベル!」

 そのときだった。扉が壊れんばかりの勢いで開け放たれ、ややふくよかな貴婦人がすごい速さでまっすぐに奥のテーブルへと突撃してきた。

 ベルグラード男爵夫人だ、と思う間もなく、メアリーベルの小柄な身体はその男爵夫人のボリュームある腕に包まれている。

「……やぁ、お邪魔するよ。メアリーベル、心配したのだよ」

 開け放たれたままの扉から、のんびりと杖をついて入店してきたのは男爵だった。その声はおっとりとしたものだが、かすかに震えているのがメルにはわかった。

「ごきげんよう、はじめましてだね、メアリーベル嬢」

 三人目は、ジルセウスだった。


「いろいろ話はあるだろうと思うけれど――迎えが来たから今日はもうお帰り、メアリーベル嬢?」

 ジルセウスは……表情こそにこやかではあるが、人に命令することに慣れた者特有の、有無を言わせぬ雰囲気をまとっていた。

「……私、でも」

「そちらにいるメルレーテ嬢の顔を立てるためにも、君は一度男爵家に帰ったほうが良い」

「わか……わかり、ました……」


 そうして、メアリーベルが頷くと、ジルセウスはようやく声と雰囲気を和らげて、こう言った。

「また今度、男爵夫妻におねだりして、茉莉花堂へ連れてきてもらうと良いよ。メルレーテ嬢との人形談義はとても楽しくてで時を忘れる――嫌なことも、忘れてしまうぐらいに愉快だよ」






 三人を乗せた男爵家の馬車を見送り、メルは店内の陳列棚を眺めているジルセウスのすぐ隣に立った。

「あれでよかったんでしょうか」

「さぁ? 僕はメルレーテ嬢が何を話していたか知らないからね、なにも言うことはできないさ」

「そう、ですね」

「ただ、君はドールブティック茉莉花堂の店員だ。ドールとドールドレスでもって、ひとに幸せとときめきを届かせればいい」

「……ジルセウスさま」


「ということで、これとこれ、あとはここからここまでのを貰って帰るから包んでおくれ、代金はいつもどおりに、あとで使用人にとどけさせるからね」


 にっこりと笑って商品の梱包をお願いしてきたジルセウスを見上げて、メルもぎこちなくではあるが笑顔で応えることができた。



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