彷徨う願い
……足が痛い、腕が重い、風が冷たい。
……もう、疲れた。
メアリーベルはさっきからずっとこんなことしか考えられないでいた。
いったい、どれだけ歩いたことだろうか、最近はちょっとの距離でも馬車での移動ばかりだったし、昔のように野山を駆け回ることもなくなったし、それに何より最近はまともに食事に口をつけていないので、だいぶ体力が落ちている状態だったのだ。
そもそも、この花咲く都ルルドには丘ぐらいはあるかもしれないが、メアリーベルの生まれ育ったような険しい山はないし、それにちょっと小走りになるだけでも「おばさま」から、はしたないですよ、淑女というのはそんなことはしないものですよ、などとお小言をもらう状態だった。
行けども行けども、道は冷たい石畳。
でこぼこごつごつとしていて歩きにくいし、メアリーベルが今履いているぴかぴかなつま先の丸い黒い靴は、長いこと歩くのにはあまりに不向き過ぎた。
しかも――
「重い……」
メアリーベルは大きな人形――レナーテイアという名前だ――を抱いていた。
布と綿でできたぬいぐるみなどではなく、魔素粘土という特殊な素材を成形し、専用の魔力釜で焼くことにより作られるドールだ。磁器などよりはるかに丈夫なのだがそれ相応に重さはある。
しかし、メアリーベルはレナーテイアを置いていくなどとても考えられない。
レナーテイアは、メアリーベルの本当の父と本当の母、ふたりぶんの形見のようなものだからだ。
彷徨える少女メアリーベルが生まれて十二年間育ってきたのは、花咲く都ルルデアから北にずっとずっと離れた、山のそばにある村の近くだった。
母は幼い頃に亡くなった。あまりに幼い頃なので、その存在をぼんやりとしか覚えていない。ただ、とてもきれいなひとだったらしいことは、知っている。父親が、メアリーベルが母親にあまり似ていないのをしょっちゅう嘆き、母親似だったならきっとどんな金持ち貴族の貴公子の心もつかめるような美女に育ったに違いないのに、とつぶやいていたから。
メアリーベルの父親は、生前はなにかの研究をしていたらしい。
なにかとか、らしい、という言葉がつくのは父親が具体的なことはメアリーベルにも秘密にしていたために、メアリーベルもこれまたぼんやりとしか知らないのだ。ただ、何か、とてもたくさんの人を助けることのできて、そしてそれがあればみんながとても幸せになれるもの、らしいとしか知らなかった。
……おとうさんは、みんなを幸せにするために、毎日毎日暗い書斎にこもってた。
難しい本を読んで、なにかよくわからない枯れた植物やら、ガラスの機材やらをいじくり回していたおとうさん。
毎日毎日、死ぬまでそれを繰り返していて、けれどたまにメアリーベルとレナーテイアと遊んでくれた。
ときには、おとうさんが、レナーテイアと二人にして欲しいということもあった。レナーテイアはおかあさんのお嫁入りの品物だったらしいから、おかあさんのことをひとりで思い出しているにちがいなかった。
……「おじさま」や、「おばさま」は、私のことを、かわいそうにって言う。
かわいそうな子だね、かわいそうに、かわいそうにって。
メアリーベルはどうして自分がそんなことを言われなきゃいけないのかわからなくて、なにか、とても、気持ちの悪い、むかむかした、苦いものが体の奥からこみ上げてきて、泣いて叫んで暴れたくなるときもあった。
……あの二人を信じては、いけない。
あの二人――「おじさま」と「おばさま」は、父親が死んだあとに、メアリーベルのもとにやってきた人たちだった。
ある日突然に、父は血を吐いて、そのままあっけなく亡くなった。
メアリーベルは急いで走って近くの村に知らせた。
でも村の大人たちはとてもつめたかった。まともにお弔いすらせず、死体が腐ると魔獣を呼ぶ臭いがするからという理由で、さっさとメアリーベルの父を冷たい大地に埋めてしまった。
唯一、村長だけが比較的優しい言葉をかけてくれて、そして慌ててどこかへ手紙をだしてくれていたようだった。
それから数日ほど村長の家に預けられたが、そこでは腫れ物のように扱われた不愉快な記憶しかない。
悲しみと理不尽の沼に沈んでいたメアリーベルを突然迎えにきたのが「おじさま」と「おばさま」だった。二人は、メアリーベルの父親の旧い知り合いなのだという。
「ねぇ、なにか欲しいものなんかはない?」
そう、あのとき「おばさま」は、すごくあわれみを含んだ声でそう言ったのだ。
それに対してメアリーベルはこう返した。
「私の喪服と、それと、この人形のレナーテイアにも、なにか黒い服をください。そして、おとうさんのお墓にせめてお祈りをささげさせてください」
……「おじさま」と「おばさま」はとても親切だった。
ちゃんとした神官さんを街から呼んで、ちゃんとしたお葬式をやり直してくれて、もちろんメアリーベルにもレナーテイアにも、喪に服すのに相応しいちゃんとした衣服をくれた。
……でも
……おとうさんは、いつも言っていたわ。だれも信じるなって。
だからあの人達を信じちゃいけない。
おとうさんの死んだのも、きっとあの人達のせいだわ。
……知っているもの。
……おとうさんといっしょにくらしたおうち、おとうさんの書斎、あの人達が何かを必死に探していたの、知っているもの……。
だから、きっと……。
おとうさんは、殺されたんだ。あの二人に。
そして、私からもなにか大事なことを聞き出そうとして、私にうんと贅沢をさせて気を緩ませて、私が口をすべらせるのを待ってるんだわ。
あの二人は、私とおとうさんの以前の暮らしを、しょっちゅう聞き出そうとしてるんだもの、間違いないわ。
……レナーテイア、信じられるのは、あなただけ。
おとうさんがいってた、絶対に、絶対に、レナーテイアとお別れしてはいけないよ、ずっとずぅっと仲良くするんだよって。
だから、信じられるのは、レナーテイアだけ……。
でも……。
レナーテイアが信じた子なら、もしかしたら、信じてもいいかもしれない。
メアリーベルは、ふと数日前のことを思い出していた。
あのふたり……「おじさま」と「おばさま」はメアリーベルをあちこち連れ回したがった。ドレスを作ろうと仕立て屋に行ったり、かわいいリボンはどうかと小間物屋に行ったり、本をよむのもいいと本屋にいったり、たまには自然に触れようと大きな公園に行ったり……どこかのお金持ちか貴族らしい家にも挨拶をしに行ったこともあった。必要になるから、と。
その日は、ちょっと珍しいお店に行った。
お人形と、お人形のドレスと、お人形のお帽子と靴とアクセサリーと……とにかく、お人形のものならなんでもあるお店だった。
山村育ちのメアリーベルはあんなに可愛らしいお店ははじめて見た。頭の奥がじんじんしびれて、胸の一番深いところが、どきどきしていた。……要するに、メアリーベルはときめいていたのだった。
村ではみたことのないようなきれいな服を着た、ふわふわくるくるきらきらの金髪の店員さんが、レナーテイアのためのコーディネートをいくつか見せてくれたが、どれもとてもきれいでどれもかわいくて、みんなレナーテイアに着せてみたくてたまらなかった。
でもレナーテイアは、そして自分メアリーベルは、ずっとずっとこの黒い服を着るしかないのだ。だって、自分は父が亡くなってこんなに悲しくて苦しい。だからずっと、たぶん一生喪服を着るのだ。
あらためてそう思うと、とても悲しくて、拒絶の言葉とともに、涙が出てきた。
そんなメアリーベルの涙を止めてくれたのが、その店員さんのお人形さんであるエヴェリアだった。
……レナーテイアは、エヴェリアを、お友達だって、思ったみたい。
だから、メアリーベルも、エヴェリアと、そしてあのきらきらした黃金の髪の店員さんを信じて、みたのだ。
「お願い、私と、レナーテイアを助けてください」
ぽつり、そんなつぶやきが悲痛に孤独に漏れた。
……ここはどこだろう。
ふと、メアリーベルは足を止めて顔を上げる。
見回しても、まるで見覚えのない道。
道の両脇には店のようなものが並んでいるのだが、通る人はごくまばらだ。
ただ、すぐ傍に植えられている街路樹の桜だけが、やけに鮮やかな色をしてきれいだった。
ひらり、ひらり
目の前に桜の花びらが舞う。
そして――
「“あなたたち”には、助けが必要なんだね?」
振り向くメアリーベルの後ろには、まるで桜の化身のようなドレスを着たまぶしいほどに輝く金の髪の少女店員が、居た。
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