薔薇と青年貴族と(その一)



 喪服の少女メアリーベルの一件から、数日過ぎた。

 メルはメアリーベルのことを考えるとどうにもこうにも落ち着かず、ドールドレスの型紙をつくってみても思うようなラインがだせなかったり、縫い物をしていても縫い目ががたがたに乱れたりと散々だった。

 しかもこんな時に限って、いつもなにかしら賑やかな事を言って気を紛らわせてくれる白が、最近はちっとも姿を見せてくれない。

「あ、痛っ……」

 今も、針で手をついてしまった。これで今日何回目になるかかわからないほどだ。まだ昼をほんのすこしばかり過ぎただけの時間だと言うのに。

「……縫い物、今日はもう止めとこう……」

 ため息をつきながら、メルは縫い針をピンクッションに戻す。

 今日は茉莉花堂のお得意様のとある上流貴族のお屋敷に呼ばれているのだ。これ以上、無理に針やはさみを持つこともないだろう。心が乱れているときは刃物は持たない方がいい。それに、うっかりと手に大きな傷をつけてしまえば、今日お会いする予定の貴族様に心配をかけてしまうことだろうから。


 ……あの方は、優しいし、私をすごく気遣ってくれているから、そんなことになれば、とても心配をかけてしまうだろう。


 なんだかそわそわとしはじめたメルは、なんとなくカウンターの席を立ち、店の大きな方の窓ガラスに全身をうつして身なりをチェックする。


 今日の装いも春らしい明るいピンク色を中心としている。桜の花びらのような薄いピンク色のワンピースドレスはいつもの外出着より裾が長く、足首が見えるかどうかの上品な長さ。上にはちょっとだけ青みがかった濃いめのピンクのボレロを羽織っている。首にはリボンの形をしたチョーカー、靴はぴかぴかの白いブーツ、くるくると渦を巻く金髪には大きなピンクのリボンが愛らしく飾られている。


 メルが身なりのチェックを終えると、まるでそれを待っていたかのようなタイミングで茉莉花堂の前に立派な黒い馬車が止まった。



「やあ、メルレーテ嬢。ごきげんよう、お久しぶりだね。本当はこんなに久しぶりにしたくなかったのだけど、どうにも社交上の付き合いというものは面倒でね。本当は貴族たちと長話しているより、君とのんびり人形談義でもしたくて仕方がないんだよ」


 茉莉花堂のドア開けてゆうゆうと入ってきたのは、メルより五つばかり年齢が上の、いかにも上品さを感じる優美な顔立ちと体つき、それにすきのないセンスのよい服を身にまとった、黒髪の青年貴族だった。

 ジルセウス・リンクス・リヴェルテイア侯爵子息。

 それがこの青年の名前と立場だ。

 もともとリヴェルテイア家はこの国でも屈指の名家であるのだが、他国――ユレイファ王国の王族の血も彼は引いている。しかも最近、そのユレイファ王国は戦争に勝って領土をかなり大きく広げた。その影響で上流階級におけるリヴェルテイア家の発言力も大きなものとなっている……らしい。

 ジルセウス本人は、自分は次男だし、政治方面にも興味はないただの趣味人だと言い切ってしまっているが、それでもすりよってくる貴族や商人は多いようで、気苦労が絶えないことだろう。


「そうですね。ジルセウス様と人形談義も久しぶりです。今日はどんなお話からしましょうか」

 だからメルは、なるべく彼にお小言は言わないようにして、彼が茉莉花堂に来たときは思いっきり甘やかすことにしている。年上の、しかも貴族の男性に対して甘やかすという表現も妙な気がするが……とにかく、自分と、自分のすすめるドールやドールドレスが、少しでも彼の心の慰めになればいいと思って。

「そうだね、とりあえず馬車に入ろうか。久々の茉莉花堂だからゆっくりみてまわりたい気持ちもあるけれど、君との逢引の時間も限られているしね」

「あ、逢引って……あまりに冗談が過ぎると私も怒りますよ。もしくは本気にしちゃいます」

 少し怒ったようにメルが言うと、ジルセウスは宝石みたいにきれいな青い瞳を細めて、とても嬉しそうに無邪気に言う。

「それはいいね、ぜひ、そうしてもらおうかな」

 そして馬車までメルをエスコートする。まるで、メルがどこぞの貴族の令嬢か、あるいはどこかの国のお姫様であるかのように、とても丁重に。

 そうした扱いが、メルにはどうにもくすぐったくて恥ずかしくて仕方がなくて、ついうつむいてしまう。赤くなった頬を、どうにもこの端正な青年貴族に見られたくないのだ。


「そうだ、今日はうちに行く前に、寄り道しようじゃないか。王都中央庭園の薔薇温室を見に行こうよ。薔薇温室は王族や貴族しか本来は入れないエリアなのだけど、僕が居るから大丈夫」

「寄り道はいいのですけど……そんな、貴族の方々しか入れない場所って……いいのですか?」

「大丈夫、大丈夫、心配ないよ。何かあっても僕が守ってあげるし。それにそんなに人もいないはずだしね。君の赤く染まった頬を見て、ピンクの薔薇が見たくなったんだから、ちゃんと責任をとって、僕と薔薇温室を逢引……デートしてもらおう」

「……その、心配は無いのですが…………恥ずかしいわ」

「だからいいんじゃないか」

 ジルセウスはやっぱり無邪気に笑いながらそう呟いて、それから御者に王都中央庭園へ向かうよう命じた。




 

 王都中央庭園は、まさに花の盛りといった風情だった。


 見上げれば桜のピンク色が空を覆い尽くさんばかりに咲いており、そのなかで木蓮が清楚な白い花を咲かせ、凛とした佇まいを見せていた。

 どこからか、爽やかなひときわいい香りがする、と思えば、白い小さな花をたくさん咲かせている沈丁花が両脇に植えられた小路に出る。

 淵にすずらんとすみれが咲き競う静かな池にかかった小さな橋を渡ると、古めかしいがいかにもよく手入れのされていそうな、その証拠にくもりひとつないほどにガラスがぴかぴかに磨かれた瀟洒な薔薇温室が見えてくる。


「さぁ、あそこが目的地の薔薇温室だよ、メルレーテ嬢。随分あちこち歩き回らせてしまったけれど、足は大丈夫かな」

「大丈夫ですよジルセウスさま。普段あちこちに品物の配達に出るときはもっと歩きますし、それに――その、昔はそれなりに鍛えていましたから」

 実際、メルには大した距離ではないのでそれほど疲れているわけではない。このぐらいなら、普段市場に通う道のほうがもっとずっと長いぐらいだ。

 それに、ジルセウスは身長が二十センチ近くも違うメルに歩幅をあわせて歩いてくれていたので、とても歩きやすかった。


 王族やら貴族しかはいれないという薔薇温室の出入り口には、警備をしているらしい者もいたが、ジルセウスの顔を見ると丁寧にお辞儀をして、とりたててメルのことを問うことなどもなく、すんなりと通してくれた。


「ここには珍しい薔薇がたくさんあるんだよ。昔々そのまた昔の国王陛下が自ら北方の国へ旅をして手に入れた薔薇たちの子孫ともいえる株もあるし、南方の国々から集められた薔薇もある。なかには薔薇とは思えないほどユニークな花を咲かせるものもあるね」

 その言葉通りだった。温室のなかは、薔薇の花だけでつくられた小さな世界といってもいいぐらい、どこもかしこも、薔薇の花。

 見たことのあるような馴染みの薔薇もあれば、見たことのまるでない薔薇もたくさんある。

 見た目がさまざまなら、香りも強いものから弱いものまで。これだけの薔薇があれば、むせかえるような香りで気分が悪くなりそうなものだが、魔法装置か風の精霊の力か、あるいは両方で空気を外に逃がしたり新鮮な空気をとりこんだりしているようで、漂ってくる香りは程よく快いものだった。

「すごい種類ですね……圧巻、です」

「そうだね。これだけあれば、中には、君の創作意欲を刺激してくれるような薔薇もあるのじゃないかな、ドールドレス職人としての創作意欲を、ね」

「あはは、まだ私はドールドレス職人見習いですよ」

「……早く、君の作ったドールドレスを買い求めたいよ。店主どのからのお許しはまだでないのかい? ……いいかい? 君がちゃんとした売り物のドールドレスが作れるようになったなら、君の第一号のお客様は僕だからね、約束」

「だから、私はまだまだ見習いなんですってば、気が早いですよ、ジルセウスさま」



 しばらく温室の中を見て回ると、ジルセウスは温室に備え付けの椅子にメルを座らせて、ちょっとの間だけ待っているようにと言った。

「おみやげを貰ってくるから、いい子にしていてね」


「私を何歳だと思っているだろうか、あの方は」

 子供のような扱いをぼやいていると、すぐにジルセウスがもどってきた。先の言葉通り、メルはほんのちょっとの間しか待っていなかった。

「おみやげを貰ってきたよ、いい子にしてたかい」

「ほとんど待ってなんていませんよ、ところでおみやげって何だったのか聞いてもよいでしょうか?」

 メルが尋ねると、ジルセウスはそれまで背中に回していた左手を正面に持ってきて、何を持っているか見せた。

「これは……」

 それは端正な白薔薇が一輪。それも短く茎を整えて、ピンが付いたポージーと呼ばれる花を髪や胸に挿すときの入れ物にはいっている。

「あぁ、ジルセウス様は“白薔薇の貴公子”って呼ばれているのでしたっけ」

「そう、それでこれを君にね」

「……私に、ですか?」

 メルは目をぱちくりさせる、てっきりジルセウスが自分で身につけると思っていたのだった。だって彼は白薔薇の貴公子さまなのだから。


「そう、君のボレロの胸元にでもつけると良いよ。これは僕の印だよ」

 ジルセウスはそんなきざなことをいって、メルの両手を自らの両手で包み込むようにして白薔薇を握らせたのだった。




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