黒衣のドール(その二)




「はじめましてメアリーベル様、レナーテイア嬢。この子は私のドールのエヴェリアですわ」



 泣き出してしまった少女メアリーベルの前にかざされたのは、茶色の髪の人形。エヴェリアだった。その、まつげに縁取られた澄んだ緑色の瞳が、少女と少女のドールとをうつしている。

 メルが思っていたとおり、近くに持ってきてみると、少女のドールのレナーテイアと、メルのエヴェリアはほとんど、同じサイズのようだった。まるでふたごの姉妹のようにそっくり同じ身体の大きさ。

 泣きはじめたところに、突然丁寧な挨拶をされた少女は驚いて、涙は止まったようだった。

 それどころか、おずおずとではあるが、挨拶を返してくれる。

「は……はじめまして、エヴェリア……」

 にっこりとメルは微笑んで、エヴァリアにお辞儀の真似をさせる。

「レナーテイア嬢は、肌が白いから黒い服がよく似合いますね。黒い服が好きなのですかしら?」

「……黒いのが似合うけど、でも、好きじゃないの。でも、喪服だから、お父様が亡くなったから、レナーテイアも黒い服なの」

 ……きっと、メアリーベルはその父親をとても慕っていたに違いない。半年も喪服を着て、自分のドールにも喪服を着せているなんて。

 ただ……彼女を引き取った、この男爵夫妻は、メアリーベルやレナーテイアがいつまでも喪服を着ていることをあまり好ましく思っていないようだ。

 この花の国ルルドの花咲く都ルルデアでは、喪に服す期間はそんなに長いことは習慣つけられてはいない。伴侶をなくした上流階級の女性が一生喪服を脱がない例もあるが、それはごくごく稀なことだ。まだ子供、それも引取先のすでに決まっている子なら、お弔いが終わればすぐにでも喪服は不要とされることが多い。引取先の家が、いつまでも陰気な黒い服で子供にうろうろされることを好まないからだ。

 

「そうですか……では、黒いドレスを新しくおつくりしましょうか? 同じ色でもデザイン違いの服があると、お着替えが楽しいですよ」

 メルはエヴェリアの手をレナーテイアの方に伸ばしながら、勧める。

 今日のエヴェリアは春の化身さながらであるかのような、華やかな色合いの美しい装いだ。フリルとレースがたっぷり使われた真っ白い姫袖のブラウス、薄いピンクの地に濃いめのピンクと若草の色で花模様が描かれた生地をつかったジャンパースカート。その裾からは、白いフリルのペチコートと、同じく白いフリルのドロワーズが覗いている。靴下は薄いピンクに白のレースとリボンの飾り。靴は丸いつま先で足首にリボンがついた赤く底の厚い靴。ヘッドドレスも赤い色と、薄いピンクと濃いピンク、それに白の組み合わせだった。

「お着替え……」

 メアリーベルは、そんな華やかなエヴェリアの頭から爪先までを眺めて、メルの言葉を繰り返している。彼女の頬は少しだけだが血色がよくなっていて、瞳にはもう涙の気配はない。

「そうです、きせかえはとてもたのしいですよ、メアリーベル様。お洋服にお帽子や靴をたくさん並べて、どんな組み合わせにしようか悩んでいるのはとても幸福で楽しい時間なのですよ」

「うん……楽しそう……でも、でも、でも……」

 困惑したような顔で、少女はメルの袖をくいくいとひっぱる。もうすこしかがんで欲しいということだろうか。

 メルがそっとかがむと、少女は――



「お願い、私と、レナーテイアを助けてください」


 そう、あまりにも悲痛な声で、確かに言ったのだった。







「助けて、か」


 男爵夫妻と少女メアリーベルが、結局何も買わずに店を出てすぐ後、店にやってきたのはメルの友人、ユイハ・ミュラータとユウハ・ミュラータだった。

 二人のためにお茶とお菓子を準備していると、シャイトも作業に集中しすぎて喉がかわいたからということで珍しくカーテンを開けて店側にやってきて、四人でティーパーティの流れになっている。

 メルはお茶を注ぎながら、先程の出来事を話す。

 本来なら、店の人間というか店主であるシャイトにならまだしも、店とは無関係のユイハとユウハにこういった客の情報を教えてはいけないのだろうが、もしも、もしも荒事となれば二人の助力はきっと必要となるだろうから、とメルは自分に言い聞かせ、話すことにした。

「男爵夫妻はとてもいい人そうに見えたけど……虐待かなにか、あるのかもしれない。それとも、何か他に……」

「ただ単に、心の行き違いだとか、前の親を忘れがたいだけじゃないのか、そういうのは忘れろと言っても難しいものだ」

 シャイトが一人離れてカウンターでクッキーをつまみながら、そっけなく言う。

「でも、本当にただの心の行き違いだけなのだったとしたら、それはそれですごく悲しいと思うよ」

 ため息をつきながら、メルは商談用テーブルの椅子に腰掛ける。テーブルにはお茶の他に、クッキーと、さきほどプリムローズ女将さんが差し入れてくれたレモンタルトがあるが、心がずっしり重たいときにはせっかくのメレンゲたっぷりのレモンタルトもどうも灰色に見えて、美味しそうにはメルには思えなかった。

「メルの厄介事に首を突っ込みたがる癖、どうにかならないのかい」

「まぁまぁ、そんな優しいところもメルのいいところだって思ってるんでしょ? ユイハ兄さん」

「……そりゃあ、まぁね」

 そんなことを言い合っているユイハとユウハこそ、いつも優しいと思う。メルが首を突っ込んだ厄介事には手を貸してくれるし、今もこうして話を聞いてくれて、メルの心を軽くしてくれている。

 そんな二人の優しさに、メルの視界のレモンタルトもちょっぴりずつだが美味しそうな色をとりもどしつつある。

 あの少女――メアリーベルにはこんな友達は居るんだろうか。世界が灰色になっても、美しい色をとりもどしてくれるような、友達が。

「その……ありがとうね、二人とも」


 と、その時だった。カウンターでわざと行儀悪い格好でお茶を飲んでいたシャイトが、唐突に立ち上がって仕切りカーテンの向こうに素早く消えた。

 ――来客だ。

 メルは茉莉花堂の入り口ドアが開ききる前に、素早く髪を整え、立ち上がってドレスの裾を直す。



「いらっしゃいませ、ファイデア子爵夫人」

「こんにちは、夏の時期はまだ来ていないけれど、どうしても我慢できなくなってまた来てしまったわ。相変わらずこのお店は可愛らしいわね」


 ファイデア子爵夫人はにっこりと笑顔を浮かべて、冗談めかして挨拶を返す。あいかわらず、口元のほくろが色っぽい。

「あら、お客様が先にいらしたのね」

 にこにことしたファイデア子爵夫人に会釈されると、奥のテーブルに居るユイハとユウハも愛想よく会釈を返す。

「ええと……彼らは、お客というより私の個人的な友人ですね」

「じゃあ早くこちらを済ませて、貴女をお茶会に返してあげないと、彼らに恨まれてしまいそうね」

 くすくすくすと笑って、子爵夫人は言う。前のときはおしゃべりな人としかメルは思わなかったのだが、どうやら冗談もお好きらしい。

「今日は、この前のときには“お迎え”しそびれた子がまだお店に居るのかどうか様子を見たいのと、あとはドレスと靴、それに小物がやっぱりもっといろんなものが欲しいと思って。あぁ、今日は夫にもちゃんと了承を得てきたから、大丈夫よ。ただ、この前ほど軍資金は多くないけれどね」

「は、はぁ……?」

「ねぇねぇねぇ、早く品物を見せてちょうだいな! そうそう、ドレスや靴の新作はあるの?」

「あ、はい、新作ですね、子爵夫人のお迎えした子のサイズですと……」

 メルは慣れた動きで、手早く品物を陳列棚から取り出してカウンターに並べる。

 その間も子爵夫人のおしゃべりが止まることはない。

「お迎えした子は、夫には隠しておくつもりでしたのに、すぐその日に発覚してしまって、きっとメイドかだれかが告げ口したに違いないわ。でもあの子の可愛さを見せたら、夫も納得してくれましてね、やっぱり男の人でも可愛いものって好きなんだわ。それにお義母さまにもお見せしに行ったのですよ、お義母さまもあの子を気に入って下すって、可愛い可愛いとおっしゃってたので、このお店を紹介しておきましたわ。そうそう、そういえばですけれど、この店はもっと車止めを広くしたほうがいいんじゃないかと思いますの、本当なら今日はもっと早い時刻にこのお店に来るつもりでしたのに、車止めにすでに馬車が止まっていたせいで、この狭い収集家小路をかなり長い間うろうろする羽目になってしまって――そういえば先に止まっていた馬車は、ベルグラード男爵家の紋がついていましたわね。ベルグラード家の方もここのお客なのかしら?」

 怒涛のような勢いのファイデア子爵夫人のお喋りが、質問の形でようやく一段落した。

「えぇ、まぁ、今日はお嬢様のドールのためのドールドレスなどを探しにこられたようです」

 お客の情報を他のお客に漏らすのはどうかとおもったが、男爵家の紋を見られているので、隠すのは子爵夫人の心象を悪くするだけだろう。ということで素直に話すことにしたのだが、子爵夫人は怪訝な顔をした。

「……お嬢様の? 男爵家の?」

 子爵夫人は首をかしげて、こう呟いた。



「いま、ベルグラード男爵家に子供なんて居ましたかしら」





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