茉莉花堂へようこそ(その二)
「外から見たときはかなり小さなお店だと思ったけれど、こうして見てみるといろいろ置いていますのね」
「はい。当店はドールとドールドレスとドール小物のお店ですので、人間用のお店よりもずっとずっと小さく済むんです」
口元のほくろが色っぽいファイデア子爵夫人が、興味深そうにドールドレスのディスプレイを覗き込みながら呟いた言葉。それに、メルはこの店ですっかりお決まりになっているセリフを返すと、子爵夫人は扇子で口元を隠しながらも声を立てて笑っていた。
「今日は、私の娘のお人形さんのドレスを見繕いに来ましたの。花の国の花咲く都が広くても、お人形さんのドレスを専門に扱っているのはここだけと噂に聞いたものでね。人間用のドレスを作る仕立て人に誂えさせてもよかったのですけど、ドールドレスを専門に作る職人の作品はどのようなものかと興味がありまして、ね」
ファイデア子爵夫人は自分の娘と娘が抱いている人形を愛おしそうに見下ろして、またおしゃべりを続ける。
「このお人形さんは、私の夫の母、つまり私の義母の持ち物でしてね、とても大事にしていたそうですわ。何しろ、この子が八つになってようやく譲り受けることができましたの。――七つのときまでは、まだまだ手が不器用でちゃんと扱えないだろうって、何度行っても断られてしまっていましたのよ」
「それは、とても愛された子だったんですね」
メルも微笑みながら、子爵夫人に相槌をうつ。
子爵夫人は多少おしゃべりではあるが悪い人というわけではなさそうだし、それになにより金払いはとてもよさそうだ。
「えぇ、でも――」
「ねぇ、ママぁ、ねぇこの水色のふんわりしたのと緑色のすとんとしたの、どっちすてきかしら?」
まだまだ続きそうな勢いの子爵夫人のおしゃべりをさえぎったのは、子爵令嬢ミウシア。
子供特有の甘い声ではあるが、その言葉にはおしゃまで背伸びをしたがっている雰囲気がある。
さっきからずっと、店で商談用に使われている奥のテーブルの上に水色と緑色のドレスを並べてその前に座り、悩んでいるのだった。
「ミウシア、ママは緑色がいいと思うわ」
「うーん、でもでもでも、やっぱり水色もすてきだとおもうの」
そしてまたテーブルの前で悩み続けている。
さっきからずっとこの調子なので、母親である子爵夫人もすっかり待ちくたびれてしまって、茉莉花堂の商品を眺めて時間を潰しているのだった。
今は、小さな小さな人形用の靴を手のひらに載せて白い指でなでている。
せっかくなので、メルは奥から同じサイズの別の種類の靴をいろいろと取り出して、並べて見せてみた。
幼い少女が履くようなぶっくりしたつま先の革製のブーツもあれば、夜会にいけそうなぴかぴかきらきらの靴もあった。
……すると子爵夫人もメルが思った以上の食いつきをみせてきた。
「なんて可愛らしいの……小さいってだけでこんなに可愛いものなのね……ねぇ、こちらもも売り物?」
「え、はい。そうですが」
「これと、これと、これを包んでくださいな。あとそれと」
子爵夫人は声をひそめて、扇で口元を隠し、娘の方を気にしながら、
「……この靴を履けるお人形さんを、その……可愛い子も一緒にほしいのだけど」
メルは青い瞳をぱちくりさせて、そしてちゃんとそのあとにっこりと微笑み、小声でこう返答した。
「子爵夫人がもしよろしければですが、お洋服やお帽子も靴に合わせてこちらでコーディネートしますよ」
……子爵夫人の財布のひもがしゅるしゅるとゆるむ音が聞こえるようだった。
そこからは、子爵夫人はまるで少女時代に帰ったかのありさまだった。
「あぁ、こっちのドレスもかわいい。こっちの東方風のも素敵。この年になって自分に乙女心なんてものが残ってたなんて、あぁ、でもどれもこれもこんなに可愛いから仕方ありませんわよね」
手のひらに乗るぐらいの小さな小さなドレスたちを、黄色い悲鳴をあげながら選び抜き、そしてこれまた先程悩みに悩んでようやくひとりに厳選した、身長が十センチそこらのお人形にあてがっている。
その姿は、娘よりもずっと乙女で子供で無邪気だった。
「ママ、そんなにいっぱいだとパパにおこられちゃうわ」
「大丈夫よ、この子はうんと小さいから見つからないわ、きっと……多分ね」
「……ママぁ」
「大丈夫よ、ミウシア、あなたが黙っていればきっと」
先程ミウシア嬢とその母親は、水色と緑のドレス両方買ってあげるから、ここでの買い物をだまっているように、という取引をしたのだった。
ミウシアはそれを受け入れたのだが、母親のあまりにもあまりな財布の紐のゆるみかたを見て、子供ながらに不安になったらしい。しきりに、メルを見上げて「もう母をとめてくれ」と懇願のまなざしである。
「あぁ、そうそう、椅子も必要ね。ずっと立ったままだとかわいそうだもの。それにテーブルと、それだけじゃ寂しいわ、お部屋を」
「子爵夫人」
「ねぇ、このサイズに合う、お部屋って――」
「子爵夫人、あの、当店としてもとてもうれしいのですが、こういうものは少しずつ揃えてていくのもとても楽しいものですよ」
「少しずつ?」
「はい、少しずつ、揃えてあげるんです。そうすれば、一気に手に入れてしまったときよりも、幸せとときめきの時間が長くなりますよ。それに――」
「それに?」
「今お出ししているのは、春物の品だけなんです。夏にはさわやかで涼し気な素材のドレスを、秋にはぶどう色や紅葉の色のドレスを、そして冬には銀雪貂や翠玉兎の毛皮をつかったコートやお帽子などをご用意しています」
「……まぁ、まるで人間の仕立て屋や洋品店とかわらないのね」
「ねぇママ、私このお店また来たいわ。今度はいっしょに避暑にいくときのためのドレスが欲しいの」
娘がさりげなくおねだりを入れてきたが、子爵夫人は叱ろうとしない。それどころかにまにまと口元をゆるませている。
「そうね、楽しみを長く長く味わうためにも、それに、夏のドレスのためにも、ここは我慢した方がいいわね。パパに怒られてしまっては、きっと夏のドレスもなしになってしまいそうだし。申し訳ないわね、お騒がせしてしまって」
後半はメルに向けた言葉だった。
「はい、夏もお待ちしてますね。もちろん、夏より前のご来店もお待ちしてます」
「今日はずいぶんといいお客さんを捕まえられたじゃないか」
「あれ、白。いつの間に来てたの?」
子爵夫人と令嬢が沢山の品物をかかえて、店を出たのがついさきほどのことだった。
メルはドレスを小さなハンガーやトルソーに着付け直したりしているところに、後ろから抱きつかれた。いつものことだ、白はメルに触れるのが好きなようだった。
「ひどいなー、いたよ。いたよ。ずっといたよ。というかメル、僕の扱いが年々ひどくなっていってない?」
「そんなことない、と思うけどな」
白はメルが物心ついたときから一緒の存在だった。
だが、他の人には見えないし存在も感じられない。
小さい頃は、周りの人間に存在を主張してみたりもしたのだが、笑われたり気味悪がられたりして、今では誰にも話していない。
でも、ちゃんとそこにいる。妄想の存在だと言われたこともあるが、妄想にこんなふうに体温はあるのだろうか。
「あれ、メル太った?」
「……太ってない、多分」
「あぁ、ならまた成長したのかな。ふにふにむにむにふかふかー」
自ら謎の擬音をつけながら、メルの胸に触れてくる白。
「白、邪魔。片付けができないよ」
「けちんぼ。じゃあメルの髪の毛いじってる、それならいいでしょ?」
そう言うと、メルの返事をまたずに金色の髪の毛先をゆびでくるくるし始める。
白は存在そのものが不思議で神秘的だが、それに見合うだけのミリテリアスな容姿をしていた。
名前のとおりに、白くて長いまっすぐの髪に、男か女かよくわからない中性的な顔立ち、しなやかな体つき、それに東方風の真っ白い衣服。
もしも、白が他の人にも見える存在だったなら、目立つことこの上なしだろう。
「今日のぶんの帳簿つけるの、大変そう」
「あれは絶対にまた来るね、しかも夏にならないうちに」
「そうね。でも私も早く、店番だけじゃなくて、ちゃんとした商品を作りたい」
「そうだね、メルならすぐだよ。もうすぐ、だよ」
そう言って、白はメルのちいさな耳に口づけをするのだった。
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