春待つ花の章
茉莉花堂へようこそ(その一)
それはある暖かな春の日のこと。
春の日差しが差し込む決して広くはない店のカウンターの中で、少女が居眠りをしている。
ゆらゆらと頭がゆれるたび、くるくると渦を巻くきらきら金色の長い髪もゆれる、ゆれる、ゆれる、ゆれる。
そしてまた、ゆらりと頭がゆれて――
がくん!
少女はカウンターに置いていた手を滑らせて体勢を崩してしまう。だが、そのおかげか、完全に目がさめたようだ。
「ふぁ……ぁあああ、ふぅ、なんだか変な夢みちゃったなぁ」
白いレースのリボンが飾られたくるくるの金髪にぱっちりとした青い瞳、ミルクのような白い肌、ういういしく愛らしいピンク色のドレス姿、と見た目はまるで完璧なお人形のようなのに、おおきなあくびを恥じらいもせずにしてみせる。
メルレーテ・ラプティ、愛称はメル。
人形のようなすがたのわりに動作ががさつなこの少女は、この店……「ドールブティック 茉莉花堂」の売り子であり、ドールドレス職人見習いであった。
王都ではこの店はこう噂されている。
「ドールブティック 茉莉花堂では、生きてはいないけど、まるで生きているかのような人形たちと、それに見合う素晴らしいドレスを、靴を、帽子を、手袋を、アクセサリーを――つまり、人形を魅力的に見せるための何もかもを、手に入れることができる」
「たとえ冷やかしのつもりでも、眺めるだけだと思っていても、あなたに銀貨の持ち合わせがたっぷりとあったならば気をつけなさい。あなたはきっと、銀貨の最後の一枚までも、この店で支払うだろうから。それほどまでに魅力的な人形と、ドールドレスが待っているのだ。くれぐれも、気をつけなさい」
「店では、まるで人形のような少女店員と、彼女の人形が出迎えてくれるだろう。だがしかし、彼女がどんなに魅力的でも、邪心を抱いてはいけない、もしもそんなそぶりを見せれば、きっと恐ろしい結末が待つだろう」
噂の一部はずいぶんと大げさな、とこの店の店員であるところのメル本人は思う。
恐ろしい結末ってなんだろう一体、別にとって食うわけでもなんでもないのに。ちょっとお財布の中身が空っぽになって、素敵なドールやドールドレスを「お迎え」していることはまぁあるかもしれないが。
だが、こういった噂は、王都の収集家小路にある小さな不思議な店への好奇心を掻き立てるには十分なようで、茉莉花堂はなかなか好調な経営状態だった。
メルのいる飴色のすべすべとした木製のカウンターには、ハサミや針、巻き尺や型紙らしい紙切れのほかに、色とりどりのリボンや精巧に編まれたレース、きらきらとひかるビーズ、それに色とりどりの華やかな布がある。それはまるで女の子が憧れるもの全てをつめこんだ宝石箱をひっくり返したような状態だ。
これらを用いて、メルはドールドレスを試作していて――そしていつの間にか居眠りしてしまっていたのだ。
「ごめんねエヴェリア、居眠りなんかして」
メルは、机の上に座っている、だいじなだいじな自分のドールに話しかける。
エヴェリアは、四十センチほどの真っ直ぐな茶髪に緑の瞳の、ちょっとだけ大人びた体型の女の子の姿をしたドールだ。
メルがドールドレス作りの師シャイトに出会ったときに譲り受けた、大事な「相棒」なのだ。
「だって昨晩は、新しいドレスデザインどうしようって考えていたら眠れなくなったんだもの。弟子入りして二年、道は険しいとわかってはいたけど、ねぇ、早く私もお店に出せるような作品が作りたいな。お店の掃除も、ディスプレイを考えるのも、接客も、商品の管理も、みんなきらいじゃないけど、むしろ好きだけど、でもやっぱり私はドールドレスがつくりたいよ、エヴェリア」
そこまで話しおわって、メルはふー、と大きなため息とともに、カウンターに両肘をつく。
「きらきら、きれいな世界でも、ぜんぜん楽じゃないのはどこも一緒だね」
そうつぶやいて、気を取り直したのか、作業途中だった型紙とデザインスケッチが描かれた紙を手に取る。
「あのね、新作はね、春だし、こんなふうにスカートのすそを花びらみたいなかたちにしてみようと思うの。……まだちょっと難しいかな? でも新しい技術にも挑戦してみたいし」
エヴェリアに話しかけながら、メルは自分の考えをまとめてみる。
スカートをこのかたちにするなら、すそはちょっと短めにしたほうがいいかもしれない。今、店に在庫があるなかで春の花の色をした生地は。下のペチコートはこんな色とデザインで。上に合わせるブラウスはあまり飾りをふやさないほうがいいだろう、スカートを引き立てるために、引き算も必要。上着はどういうのがいいだろう、スカートにあわせて花びらみたいなカットにしたケープだとくどすぎるだろうか、それともボレロのほうが……。
夢中になって、布やリボンをエヴェリアに合わせ、デザインを組み立てる。
それはとても楽しいことだった。
夢中になりすぎて、ついつい店の掃除や帳簿つけがおろそかになってしかられてしまうこともあるのだが、こうして作品を考えているとき、作っているとき、そして完成したときの高揚感には換えられないのだからしょうがない――とメルは思っている。
「ん?」
デザインがまとまりかけたとき、メルは唐突に顔をあげ、作業を中断した。
店の前で馬車がとまる音がしたからだ。
それは決して空耳ではなかったようで、すぐに茉莉花堂のドアが開けられた。
メルは、ドアが完全に開くまでの時間で、ドレスの裾や袖を直し、髪を整える。これも茉莉花堂が開店してから身につけたわざだった。
「いらっしゃいませ、茉莉花堂へようこそ」
このお店でしか見せないようなメルのとびきりの笑顔の先にあるのは、美しく着飾った若い母親と、八歳ぐらいの娘。彼女たちの物腰や服装や化粧、それにちらりと見えた外の馬車から推測すると、おそらくは貴族。
ふたりとも、はじめてのお客だった。
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