File069. 聖女


 索敵でこの場所を見つけたときのスザクの言葉。


 ――いくつかの小隊が集合しているような感じ?


 それが店内のテーブルに分かれて座るドワーフたちのことだったのだと、今ならカイリにもわかる。

 大型のつるはしやピッケルを持ち込んでいる筋肉質の男たちが集合していれば、それを“戦力”と見なして竜の索敵が反応するのは当然といえた。




「おこしやす。ご注文、何になさいます?」


 突然かけられた明るい声に、カイリが顔をあげた。

 肌の露出を抑えた深緑と白、黒の配色からなるメイドのような衣服は、この店の制服なのだろう。

 小学校高学年くらいに見える黒髪の少女が、かしこまって笑顔を輝かせている。

 見知らぬ土地の見知らぬ店で、見知らぬ人々に混ざって緊張していたカイリとスザクの心を溶かすような優しい笑顔だ。


 店内をよく見れば、同様の制服を着る小柄な少女たちが忙しそうに歩き回っている。

 ある少女はたくさんのカップを盆に載せて運び、ある少女は何枚も重ねた食後の皿を器用に腕に載せて、エネルギッシュに働いている。

 客や店員同士で交わされる声は明るい。


「いつものワイン――三十五番のほうね、と、そうだね、マタバを三人前で」

「おおきに。すぐ、お持ちします」


 戸惑うカイリたちを横目に、ヒョウエがスマートに注文を済ませた。

 カイリたちの不慣れな様子を察し、率先して行動するまでのタイムラグがほとんどない。


「ドワーフの女が珍しいのかい?」

「ドワーフ?」


 斜め前でくつろぐヒョウエが、カイリを観察していた。

 カイリの右腕をつかむスザクの手に力が入る。


 カイリもスザクも、ドワーフ族の女を見たことがなかった。

 エステルたちを攻めてきたドワーフ族は皆、豊かなひげをたくわえた男ばかりだった。


「そうだよ。この街に暮らす者のほとんどはドワーフさ。君たちや僕のようなヒューマンもいないわけじゃないけど、かなり珍しい」

「そうなんですか」


 素直なカイリの反応に苦笑してから、ヒョウエが表情を引き締めた。


「ただし、ヒューマンの女がこの街に来ることはない。特に今は、ドワーフたちの繁殖期がまだ完全には終わっていないからね。さっきも言ったように、そっちの嬢ちゃんはフードをおろさないこと。ここは騒がしい酒場だけど、できるだけ声も出さないほうがいい」


 ドワーフたちの繁殖期――その言葉を聞いたカイリは思い出した。


(たしか、人類の中でもドワーフ族やワーウルフ族に見られるっていうアレか)


 カイリが屋敷で見つけた最も古い日記。

 それが四代目カイ・リューベンスフィアの日記だった。


 カイサ・ブリッガレ。

 彼女の日記はフィンランド語でつづられていて、カイリにはほとんど解読できなかった。

 ただし、いくつかのページについては後世のカイ・リューベンスフィアたちによる英訳が書き込まれていたため、英和辞書を丸ごと記憶しているカイリにもある程度読めたのだ。


 彼女は初めて訪れたドワーフ領で、初めて人を殺した。

 繁殖期真っ最中のドワーフ領において、ヒューマン族の女がドワーフ族の女以上に性犯罪の対象になることを、そのとき彼女は身をもって知ったのだ。


(そうだ。急に老化が進行するエルフ族とは違い、ドワーフ族の女性は死ぬまで幼い外見のままだと書かれていた。ヒョウエさんの話はおそらく本当のことで、住人の半分がヒューマン族だとゲンブが言ったのは、ドワーフ族の女をヒューマン族だと勘違いしたからだろう。……となると、スザクたち竜は間違いなく目立つな)


「俺の名はカイリ、こっちはスザクです。まだ商売を始めたばかりですが、いろいろあってこの街に来ました。不慣れなため、この街のことを教えていただければありがたいと思ってはいますが……どうして見ず知らずの俺たちに声をかけたんですか?」


 テーブルに来る前の質問をカイリが繰り返すと、ヒョウエがにこやかに返した。


「うん、当然の疑問だね。でも答えは簡単だよ。最初に声をかけたのは、君たちが店の前で困っているように見えたからさ。もっとも、そのうちのひとりがヒューマンの嬢ちゃんじゃなければ、店の中まで付き合うつもりはなかったけどね。簡単に言うと――君らが危なっかしくて、放っておけなかったんだ」


 飾り気のない言葉に顔を赤くするカイリ。

 自分たちの変装も言動も、お粗末なものであることをなんとなく自覚していたからだ。

 少なくとも自分たちが商人ではないことに、ヒョウエは気づいているだろうとカイリは思った。


「お待たせ。冷めんうちに、召し上がってください」


 注文を取りに来たのと同じ娘が現れて、テーブルに料理を並べていく。




 その時だった。

 カイリの後方から重い扉が開く音が響いた。


「振り返らないで。そのままじっとして、目立たないようにやり過ごすんだ」


 小声の主はヒョウエだった。

 真剣な目でカイリとスザクに目配せし、店員の娘を自分の脇でしゃがむように促す。


 カイリは気づいた。

 店内に満ちていたそれまでの会話も、飲食の音さえも聞こえず、静まり返っていることに。

 客たちのささやき声がかろうじて耳に届いた。


「聖女様や。奥の賓客室から聖女様が……」

「ちゅうことは、賓客室には領主様が――」

「くそっ、ツイてねえ」

「おい、まさか看板娘のシエルちゃんが見当たらんのは――」


 状況を理解できないカイリに、ヒョウエが短く言葉をかける。


「必要なことは伝えたよ」


 やがて、周囲から聞こえていたささやき声さえ小さくなっていく。

 小声でもできるだけ会話を控えたほうがいい。

 ヒョウエの忠告をそう理解したカイリは、背後を振り返りたい気持ちを我慢する。


 カイリの後方から女の声が届いた。

 その震える声音は、緊張に包まれた店内によく響いた。


「ご領主様が、酒の相手をお望みです。もしヒューマンの女がいるならば、こちらへ。いなければ店員をよこしなさい」


 ヒョウエの横で、身を低くした店員がガタガタと震えだす。


「おた、お助けください、ヒョウエ様」

「そのまま隠れていなさい。僕にできることは、君を差し出さないことだけだ」


 カイリとスザクは、おびえる店員をわけもわからずに見ていた。

 彼女の幼い顔からは接客中の笑顔が消え失せ、血の気が引いている。


 室内から男の声があがった。


「ここにひとり、店員おるで。おら、立てや」

「いややっ、堪忍やっ」


 客の一人が店員の腕をつかんで立ち上がった。

 それに応える女の声。


「そう。今夜のあなたの支払いを免除するよう、店主に伝えましょう」

「ま、待っておくれやす。その子は、わしの娘なんです」


 客たちよりも明らかに上品な服装のドワーフの男が、慌てた様子で店の奥から出てきた。


「そうですか、店主。ですが、ご領主様は待つのがお嫌いです」


 女の声には店主とその娘に対する同情がわずかににじんでいる。

 それでも、口にしたのはかす言葉だった。

 店主は苦渋の表情を浮かべ、震える指で店の一か所を示した。


「し、新人のカレンがそこにおります。店ん中で……一番若い女です」


 店主の指の先にいるのは、ヒョウエの陰に隠れる娘だった。


「やだ、やだやだ、ヒョウエ様」


 力が抜けたように尻もちをついたカレンの、恐怖に見開かれた両目に涙が浮かぶ。

 カイリにもなんとなくわかった。

 少なくとも酒をぎ、一緒に酒を飲み、会話する――そんな接客では済まないということだ。

 店に集まっている客は、竜の索敵に引っ掛かるほどの戦力になりえる男たちである。

 そんな彼らでも逆らえないほどの権力が、“ご領主様”と呼ばれる存在にはあるのだろう。


 ガタリと大きな音がして、カイリの後方から別の少女の声が聞こえた。


「えひっ、ひひっ、ふひゃあ」


 扉の向こうから這い出してきた彼女のそれは、言葉になっていなかった。

 客のつぶやきが聞こえる。


「あれ、この店の看板娘シエルちゃんやないか。なんて、哀れな姿に……」

「あれはあれや、領主様んとこ滞在しとるちゅう魔術師の仕業や。可哀想にシエルちゃん、一生廃人やな……」


 カレンが両手で自分の頭を押さえ、悲鳴をあげた。

 その悲痛な叫びを耳にしたとき、カイリは自分がソファから立ち上がっていることに気づいた。


 ヒョウエの真剣な、そして心配する表情が、カイリのすぐ右側に向けられている。

 ゆっくりと背後を振り返ったカイリは、同じようにソファから立ち上がり、フードを下ろすスザクの仕草を見た。

 室内照明を反射し、美しくボリュームのある赤髪が輝きを放っている。


 先に声を発したのはスザクだった。


「ヒューマンの女が、ここにいるよっ」


 その前方。

 壁にしつらえられた豪華な扉の前には聖女と呼ばれたたおやかな女が、床にはよだれをたらす看板娘シエルの姿があった。



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