File070. 問意渡意《テレパシー》


 リュシアスが背にした荷物にくくりつけられた小袋。

 その中に、はねをぴたりと背につけ、考え込むマティの姿があった。


 マティ、リュシアス、ビャッコの三人は、風の神衣に包まれて暗い空を静かに飛行している。

 それでもリュシアスがその丸い体躯を少し傾けるだけで小袋は揺れるのだが、マティがその揺れを感じることはなかった。

 フェアリ族だけに生える特別な翅のおかげだ。

 空中にいるときと同様に周囲のナノマシンに作用し、安定した姿勢を維持している。


 マティは、カイリとスザクがドワーフたちに囲まれている場面を想像していた。


(レイウルフはすぐに気づくはず。この街の住人のほとんどがドワーフ族であることに。一緒にいるゲンブに、彼女の情報が勘違いだったことを確認することもできる。でも、カイリとスザクはドワーフ族の女をたぶん知らない――)


 赤毛のヒューマン族は珍しいが、いないわけではない。

 だが、スザクの光沢を放つような美しい赤髪はかなり目立つはずだ。

 もしカイリたちがドワーフ族の女をヒューマン族と思い込み、ゲンブの情報が裏付けられたと勘違いすれば、油断して顔を見せ、思わぬ注目を集める可能性は十分にある。

 まだ完全には繁殖期が終わっていない、このドワーフ族の街で……。


 マティがそう心配し、眉間にしわを寄せたとき、まるで狭い部屋に反響するような声が響いた。


《マティ、リーダーとして許可をくれ》


 ――マティだけに聞こえる、カイリの声だった。



  ***



 ――ヒューマンの女が、ここにいるよっ。


 スザクのそのセリフが静まり返る店内の隅々にまで染み渡った直後、重低音の異様などよめきがわき起こった。


「ヒュ、ヒューマンの女、おい、ヒューマンの女がおるで」

「なんてかいらしい。聖女様に匹敵する美人やなぁ」

「ほんで聖女様よりかなり若い。くそっ、こないなときでなけりゃあ、わしが……」


 ドワーフたちの動揺が手に取るように伝わるが、動く者はいない。

 聖女と呼ばれた女は、一束にまとめて左胸の前に垂らしたグレーの髪に右手を添え、スザクと、そしてカイリに目をやった。

 その長い睫毛まつげが震える。


「そうですか……今日は、ヒューマンの女がふたりもいましたか……」


 その声は喜びを現すものではなかった。

 ヒューマン族の女に呼びかけたにもかかわらず、残念そうな、哀れみの色さえ混じっているようにカイリには思えた。


「悪いが、俺は男だ」


 びっくりした顔で振り返るスザクの前で、カイリがフードを下ろした。

 スザクが申し訳なさそうな表情を一瞬だけ浮かべ、何も言わずに口をへの字に曲げる。

 勝手な行動を謝る気はないようだ。

 そしてカイリも、それを責める気はなかった。


(責める資格がない)


 カイリはスザクの行動を見て立ち上がったわけではない。

 そして先に動いたスザクを見たことで、冷静さを取り戻していた。


(スザクにも俺にも、この街のすべてを消し去るほどの力がある。だが、だから何だ? 俺は何をしたくて立ち上がった? 俺たちはよそ者で、この街にはこの街のルールがある。それを無視するのは、ただの無法者で……)


 スザクの視線がカイリの背後に注がれていた。

 その視線の先を確認したカイリの口から息が漏れる。


 そこにはポカンと口を開け、床にしゃがんだままカイリたちを見上げる女店員の姿があった。

 店主らしきドワーフがカレンと呼んでいた、接客する笑顔が明るく輝いていた黒髪の少女だ。

 涙と鼻水で汚れたその顔が、事態を把握できずに固まっている。


(……そうだ。笑顔をくれた彼女に訪れた突然の不幸を、スザクと俺は見過ごせなかった。ただ、このままこの街の最高権力と衝突すれば、まず間違いなく、パーティの皆に迷惑をかけることになる。……ああそうか、なるほど)


 カイリが再び口を開いた。


「スザク」

「なに? カイリは私を止めるの?」

「いや、三秒だけ待ってくれ」


(リュシアスが言っていたのは、こういうことだったんだな)


 そしてカイリは、用意していた詠唱省略魔法のひとつを口にした。


「――〈問意渡意といとい〉」


 ほぼ同時に、聖女と呼ばれた女がスザクをかした。


「赤髪の娘だけ、すぐに来なさい。これ以上領主様をお待たせすれば……」

「今、行くっ。カイリ――」


 スザクが視線を上げたその先で、カイリの顔が不敵に微笑んでいた。


に話をつけたよ。好きにしろ、スザク」

「うんっ」


 嬉しそうな笑顔を見せるスザク。




 カイリが使った魔法は〈問意渡意テレパシー〉。

 遠くにいる相手に言葉と思念を届け、相手の言葉と思念を受け取る解析系魔法。

 二千年前にマティが習得を諦め、この世界に伝わることがなかった汎数レベル2魔法のひとつだ。


 カイリは短い言葉とともに、今の状況と、今の思いをパーティリーダーであるマティに伝えた。

 言葉にすれば時間がかかる内容も、〈問意渡意テレパシー〉を使えば記憶と感情を圧縮した思念として、一秒もかけずに伝えることができた。


 マティの願いは、この世界を、この世界に暮らす人々を滅びから救うこと。

 それは人々の今の生活を守るということでもあると、カイリは理解している。

 だからもし今の状況を言葉だけで説明していたなら、この街の人々の暮らしに影響が出かねない行動を、マティはきらっただろう。

 だが〈問意渡意テレパシー〉であれば、大量の情報も、言葉にすることが難しい感情さえ、一瞬で伝えることが可能なのだ。

 そしてそれが伝わりさえすれば、マティが許可をくれることをカイリは確信していた。

 なぜなら――。


(もしここにマティがいたら、俺やスザクが立つよりも先に、ここの領主に説教しているだろうな。いや、サナトゥリアや首輪の人のときのことを考えれば――)


 カイリの脳裏に、賓客室の壁に向けて〈探矢緒マジックミサイル〉をぶっぱなすマティの姿が鮮明に浮かんだ。

 彼女には初対面の相手にも容赦がないというか、警戒心が足りないというか、そんなところがある。


(実際、首輪の人のときは死にかけたし、きっと二千年の間には似たようなことが何度もあっただろうにな)


 おそらくマティは、カイリが想像する以上に世界中から大切にされてきたのだろう。

 お嬢様気質と言っていいかもしれない。

 そんなことを考えながら賓客室の扉に向かうカイリの横で、スザクが顔をしかめた。


「カイリ、にやにやして気持ち悪い……」

「ごめん、ちょっと楽しいことを考えてた」


 そしてこの迅速な決定を引き出せたのは、〈問意渡意テレパシー〉のおかげだけではない。


(あらかじめパーティのリーダーをマティに決めていたからだ)


 パーティメンバー全員と議論するような時間がないことは明らかだった。


「ねえ、カイリ。気づいてた?」

「ん?」


 聖女がやや青ざめた顔で、用があるのは女だけだと警告している。

 その顔を見つめて狭い通路を歩きながら、スザクがはっきりと言った。


「空の上で聞いた泣き声の人、あの聖女様だよ」

「……え?」


 驚くカイリに、言葉を続けるスザク。


「カモフラージュしているみたいだけど、ここまで近づくと竜の索敵を騙せないんだね。最新索敵結果の脅威度リストでダントツトップ。ビャッコ姉の百倍以上強いよ、あのお姉さん」

「…………」


 そんな存在の心当たりが、カイリにはなかった。



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