File068. 甚平を着る男



「おぅ、知っとるか? 精霊騎士団スピリチュアルナイツが、壊滅したいう話」

「あいつらがおんのは、ヒューマン領やろ。俺らには関係あらへん」

「そやなぁ、どうせレジスタンス活動するなら、ヒューマンの王やなくて、俺らの領主様を――」

「あほ、それ以上言うたらあかん」


 飲み食いする男たちの野太い声が耳に入ってくる。

 広い屋内の手前半分にはたくさんの角テーブルが雑然と置かれ、人数に合わせて寄せられたり離されたりしている。

 座面まで金属製の椅子は座り心地が悪そうだが、男たちは気にしていないようだ。


 通路に立つカイリはショッピングセンターのフードコートを思い出していた。

 ただし、ここは天井が低く照明が弱いため、広い割には開放感がない。


 さらに照明が少ない奥半分には長方形の大テーブルが八つ並び、それぞれを革張りの長いソファが囲んでいた。

 高級感のある造りで、右手には直角に曲がった長いカウンター席も見える。


 そのいずれもが、顔の半分をひげで覆われたドワーフ族に占拠されていた。


 居酒屋とクラブとバーを無理やり繋げたような内装だが、高校生だったカイリには馴染みがない。

 しかも酔ったドワーフたちには上品さのかけらもなく、ただ雑然とした騒がしさに面食らっていた。


 ふたつの小テーブルを寄せた近くの席で、ひとりのドワーフが立ち上がった。


「オレぁ、もう帰るよ。うちのやつ、今期、十六人目を身ごもってな。早けりゃ、今夜にでも生まれるんよ」

「いや、ほんま? うちも、十二人目がそろそろよ。今期はたぶん、その子で最後やな」

「そないなら、オレも帰るかー」


 ちょうど空席ができる様子にカイリが気をとられたときだった。


「メタルチェアはヒューマンにはつらいと思うよ。奥のソファ席に行こう」


 そうカイリに話しかけたのは、建物の前で背後から突然声をかけてきたヒューマン族の男だ。

 背丈はカイリより頭ひとつ分高いが、細身で穏やかな口調のため威圧感はない。


 二十代後半に見える笑顔は優しげだが、問題はその恰好だった。


 黒髪は不潔感こそないもののボサボサで、身に着けているのは甚平じんべいに似た和風の薄着だけ。

 おまけに素足に草履である。

 雪国で暮らす恰好には到底見えなかった。


「おや、ヒョウエ先生やないですか。その節はお世話になりまして」


 帰りかけたドワーフがご機嫌な様子で男に声をかけた。


「やあ、ロルフさん、こんにちは。腕の調子はどうだい?」

「問題あらしまへん。この通りや」


 ぶんぶんと右腕を回すと、「こんど、一杯おごらしてください」と笑い、仲間とともに去っていった。

 フードをかぶったカイリと、同じくフードをかぶったままカイリの陰に隠れるように身を縮こませるスザクを気にする様子はない。


 だが、スザクが警戒しているのは酔っ払いたちではなかった。

 カイリを間に挟み、“ヒョウエ先生”と呼ばれた男と反対側の立ち位置を、彼女は常にキープしている。

 そのことには気づかない様子で、ヒョウエが説明した。


「僕と一緒にいれば、怪しまれる心配はまずないよ。この街では割と名を知られているほうだと思うし、正体を隠したいを連れていることも珍しくないからね。おまけにここは飲んだくればかりの“酒場”で、周囲に注意を向ける者は少ない」

「……なぜ、俺たちに声をかけたんですか?」


 ヒョウエが長い指を店の奥に向けた。


「まずは落ち着こうよ。左奥の一番いい席が空いているみたいだ」


 その大テーブルは、ドワーフの男たちで埋まっているように見えた。



  ***



「えっ」


 声を上げたのはカイリだ。

 ヒョウエに続いてソファの隙間を通った途端、視界が歪み、音が消えたように感じた。


 それまでは確かに、そこはドワーフの集団が騒いでいるテーブルのはずだった。


「むっ、ヒョウエ殿か。そのふたりは何者だ? ドワーフ族ではないようだが……」


 詰めれば二十人が座れそうな大テーブルに、ヒューマン族が六人だけ座っていた。

 そのうちの五人はいずれも二十代前半に見える男で、声を発したのは右側中央に座るオールバックのブラウンヘアで整った顔立ちの男だ。

 そのすぐ手前に座る六人目は、モッズコートのフードとえりで顔が見えない。

 ただし、ハイブーツとコートの間から覗く黒タイツの脚には十分な色気があった。


「うん、もしかしたら君たちの仲間かと思ったんだけど。この様子だと違うみたいだね」


 黙ったままのカイリと、カイリの背後から出てこないスザクを見たヒョウエがそう言った。


「まあ、それならそれで、隅の場所を少し貸してくれないかな? この子たちと話をしたいんだ」

「いや、ヒョウエ殿、それは困る。あんたには世話になったが、俺たちは――」

「時間は?」


 オールバックの声を遮ったのは、女の声だった。

 モッズコートのフードから、カールした美しい金髪が見える。


「そうだなぁ、あまり長居しても悪いから、アマテラス三十度分――二時間でどうかな?」

「二時間だと? ふざけ……」

「わかったわ」


 不満の声を発したオールバックを遮って、モッズコートの女が立ち上がった。

 長身だ。

 ブーツのせいかもしれないが、カイリより少し背が高い。


「少しの間ならあたしらが口を閉じていようと思ったけど、そういうことなら店を出るわ」

「いいのかい? そのまま歓談を続けてくれても、僕はかまわないよ」

「いいわけないだろうがっ。なんで先にいた俺たちが出ていく必要が――」


 文句を言うオールバックに、モッズコートの女が顔を向けた。

 カイリたちからは見えないが、フードの中の顔を見たであろうオールバックの表情が青ざめた。


「……ヒョウエ、あんたには感謝してる」


 女がヒョウエを見上げ、口元を覆う襟を白い指で押し下げた。

 カイリからも、色気を感じさせる赤い唇と美しいあごのラインが見える。


「あたしらは明日の朝、この街を出るわ。ムクドリの寝床亭、二〇五号室があたしの部屋よ。……その、話が終わったら、さ、酒を飲みに……来ない?」


 見えるのは女の横顔の下半分だけだが、赤く染まっているのがカイリにもわかった。

 気づくと、カイリの右袖をつかんだスザクも赤い顔をして、女とヒョウエを見つめ、鼻から息を吐いている。


(え、スザク、なに興奮してるんだ、おまえは?)


「あっ、女っ?」


 左列に座っていた短髪の男が声を上げ、スザクを指さしていた。

 はっとしたスザクが後ろにずれたフードを慌てて手で押さえたが、長い赤髪と美しくも可愛い顔が見えている。


「ありゃ、顔を見せてよかったのかい? まあ、外のドワーフたちからは見えないけどね」


 振り向いたヒョウエの声。

 そして無意識だったのだろう。

 モッズコートの女もスザクを振り向き、二十代後半であろう美貌がカイリの視界に入った。


 その美しくカットされた金色の眉と眉の間にしわが寄る。


「そう……ちっともなびかないと思ったら、ヒョウエ……ロリコンだったの……」

「え?」

「あたしって、どうしてこう、男運がないのかしらっ」


 叫んだ女は襟を戻し、フードを深くかぶると店の出口へ向かった。

 その目尻が光って見えたのは、カイリの気のせいだろうか。


 慌てて追いかけるオールバックたち。

 最後に残った短髪の男も、会計を済ませて店を出ていった。


 その騒ぎに、一瞬静まり返る店内。


「ああ? ヒューマンなんていた? 珍しいな」


 そんな声が聞こえたが、たいして気にされることもなく、すぐに喧騒が戻った。


「うーん、せっかくの風の精シルフの結界が解けてしまったね。まあ、今さら僕が結界を張るのも不自然だし、他の客と相席になっても我慢してくれるかい?」


 そう言ってソファに座るヒョウエの言葉に頷き、カイリはテーブルの角を挟んでヒョウエの右斜め前に腰かけた。


風の精シルフの結界だったんですか。あなたが、使役して?」


 風の精シルフが六精霊の一種であることは、カイリも予言書の知識で知っていた。


(まだ見たことはないけど、フェスにマティの翅を付けたような姿だと思えば、だいたい合っているはず……)


 フェスやダブドのように地面に潜ることはできないが、マティのように空を飛ぶことができる。

 そんな風の精シルフが作る結界はビャッコが作る風の神衣の劣化版ともいえるもので、音を一定量遮断し、外側にいる者に近くの風景をコピーして見せることができる。

 鏡を使ったトリックのようなものなので、注意すれば見破ることはたやすい。


「いやいや、僕は昔から精霊とは相性が悪いんだ。どうせ考えればわかることだから言ってしまうけど、彼らのひとりが風の精シルフ使いなんだよ」

「え、でも今、あなたが結界を張るって……」


 あはは、気にしないで――と笑うヒョウエ。

 下手なごまかし方だが、カイリはそれ以上突っ込まなかった。

 ヒョウエの態度が友好的なうちはこちらも友好的に接し、できるだけ情報を引き出そうと思ったからだ。


(あまり口が堅そうには見えないから、こちらの情報を出しすぎないように注意しないといけないな。首輪の人――セイリュウとその主人には、できるだけこちらの情報を知られたくない)


 例えばカイリがカイ・リューベンスフィアであることを知られれば、噂が広がり警戒されるリスクは高いとカイリは考えていた。


(もし空で聞いたあの叫び声がセイリュウと無関係なら、この街に長居するつもりはない)


 カイリの身体に隠れるように右隣に座ったスザクは、あいかわらずヒョウエを警戒していた。



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