File044. 枯渇する鉄
「行くぜェ」
目をギラギラさせるドワーフの族長、レブリオスとタオス。
地上から五千メートルの高さに停止する金属板から見おろす地上は、なにもかもが小さく見えた。
山あいで暮らすことが多いドワーフ族は、高所からの景色には慣れている。
だがさすがに五千メートルの高低差にはなじみがなかった。
長く弧を描く地平線。
視界に入るすべてが自分のものになったかのような錯覚が、族長二人の気分を高揚させていた。
真下を見れば山岳地帯。
行方不明とされるエルフの族長エステルが、少数の部下だけを連れて長期にわたり滞在しているという場所だ。
こんな辺境で何をしているのかは不明であり、興味もなかった。
殺してしまえば終わり――それがレブリオスとタオスの共通見解である。
「ビャッコォ、着地を補助しろォ。いいなァ?」
「承知しました、族長様」
「野郎どもォ、突撃だァ!」
上空五千メートルからのダイブ。
その数、千五百。
初めて体験する高高度からの落下であるにもかかわらず、夕陽に照らされた兵たちの顔は引き締まっている。
身体が頑強なことで知られるドワーフ族だが、同時に恐怖や苦痛に対する耐性も高い。
訓練された兵たちは、まるで戦闘用ロボットのようだった。
――よろしいのですか?
族長がいなくなった金属板の上。
耳元で
スーツ姿の女が、眼鏡越しの理知的な瞳で見つめている。
彼女がリュシアスだけに声を聞かせるときの手段であり、最初の頃こそ驚いたリュシアスも今では慣れている。
「……族長命令は絶対だ」
リュシアスの声が聞こえ、振り返るサナトゥリア。
彼の独り言だと思ったのか、彼女は気にとめる様子もなく息を漏らした。
「あんたらも行くん? うちはここで消えるわ」
〈
その様子を見つめるビャッコは無表情だが、心の内で高めていた警戒をようやく緩めるのだった。
(ドワーフの族長は俗物にすぎない。でもあのサナトゥリアというエルフの女は何かがおかしい。〈
ビャッコがその気になれば、発汗や体温の変化までも気体分子を介して把握することができる。
だがサナトゥリアには、魔法の発動に意識を集中させる気配さえなかった。
それにもかかわらず〈
今頃は別の場所のナノマシンが、転送された原子構成情報を元に彼女の身体を再構成し始めているだろうとビャッコは思った。
焼失したフェアリ族の予言書には、〈
“術者が訪れたことがある場所にしか移動できない”という制約だ。
それは術者の身体を再構成するのに必要な原子の種類と数を、ナノマシンシステムが把握してあらかじめその場所に確保しておくための措置である。
集められた再構成用原子群は、地下に格納されていることが多い。
ナノマシンはそこから必要な原子を取り出し、地表に術者の身体や衣類を再構成する。
つまりそこが〈
予言書には〈
そのひとつが希少元素を含む所持品は、〈
だがカイリにそのことを気にする様子はなかった。
ナノマシンシステムが千年も利用されれば、普通に人が訪れるような場所の出現ポイントには、たいていの元素が確保されることになるだろうという予測も書かれていたからだ。
システムが稼働して五千万年。
元素不足の心配をする必要があるとはカイリには思えず、所持品が取り残されたという経験をマティが誰かから聞くこともなかった。
サナトゥリアの〈
板の上にいるのは二人だけである。
「初めてお会いしたときの、私の言葉を覚えていらっしゃいますか?」
「…………」
黙ったままのリュシアスに、ビャッコが言葉を重ねた。
「“あなたのために何でもいたしましょう”――そう申し上げました。その誓約は、あなたが生きている限り有効です」
リュシアスの脳裏に、ビャッコとの出会いが
***
先代カイ・リューベンスフィアのカイン、フェアリ族のテクニティファ・マティ・マヌファ、エルフ族のエステルとソロン――彼らとリュシアスが仲間として“世界を救う旅”をし、その旅がカインの死によって終わりを迎えた後のこと。
ドワーフ領に戻ったリュシアスが直面したのは、鉄資源の枯渇が近いというドワーフ族にとって危機的な状況だった。
ドワーフが扱う多種の金属のうち、七十パーセントを占めるのが鉄なのである。
鉄はドワーフ族の生活と文化に欠かせない。
地下の巨大な鉄鉱床は鉄を生み出す源であり、千年以上前に北方から移動してきた彼らの先祖が発見したものである。
それをあと百年あまりで使い切ってしまう――。
枯れた採掘場分布の資料を見たリュシアスが懸念し、自分で現地を調査して回った上での結論だった。
当時の族長も今のレブリオス&タオスと同様に、力でのし上がった剛の者である。
――資源が眠る土地は、エルフどもに勝利すれば手に入る。
それがリュシアスの進言に対する族長の返答だった。
本心であり、その場にいた幹部たちもそれ以上の思考を停止する。
その理由がリュシアスにはよくわかった。
一般的にドワーフとは理屈や理論をこねるのが苦手な種族である。
地道な鍛錬と実践を大切にし、そこから導かれる目の前のわかりやすい目的のために動く。
そんなドワーフ族の中で、リュシアスは珍しいタイプだった。
そうでなければ“世界を救う”という飯のタネにもならない旅に同行することはなかっただろう。
しかもそんな旅のために宿敵であるエルフ族と一緒に過ごすなど、普通のドワーフには到底考えられないことだったのである。
それでもドワーフ族の上層部において、ある程度の発言権が彼には残っていた。
それは彼が旅に出る直前の武術大会で、二十連覇を達成していたからだ。
リュシアスは誰もが認めるドワーフ族最強の戦士だった。
一対一の闘いにおける強さは、ドワーフ族にとってわかりやすい優劣の付け方なのである。
(百年後に世界が滅びると言われても気にしなかった連中が、百年後に鉄が枯渇すると言われて動くはずもないか……)
千年以上前の先祖による大鉄鉱床の発見は、千年以上の繁栄をドワーフ族にもたらす素晴らしいものだった。
だが同時に、ひとつの鉄鉱床をただひたすら消費することしか知らない世代を生み出していた。
鉄鉱床が枯渇するという可能性は理解できるものの、それが目前に迫っていることをなかなか実感できないのだ。
鉄鉱床は大地からの恵みであり、永遠のものだと信じる者さえいた。
だから族長たちの反応は想定の範囲内であり、いずれにせよ有志を集めて新しい鉄鉱床の探索を始めるつもりだった。
だが――。
――仮に百年で世界が滅ぶという話が本当なら、百年後に鉄がなくなる心配をするのはおかしいじゃねぇか。
――次から次へと世間を騒がすホラばかり吹いてんじゃねぇよ、この
手始めに訪れた領内最大の鉄工ギルドに、リュシアスの話をまともに聞こうとする者は一人もいなかった。
他のギルドも同様である。
そして“逸れドワーフ”という言葉から、その理由を察することができた。
(エステルやソロンと旅をしたことが、ここまで影響するとはな……)
敵対するエルフとともに旅に出たという事実は、それが族長の許可を得た行動であっても、民衆に悪感情を抱かせるのに十分だったのである。
ドワーフ領を離れ世界を救う旅に出ている三年の間に、自分に“逸れドワーフ”のレッテルが貼られていたことを、リュシアスはこのとき初めて知った。
“逸れドワーフ”とは、なんらかの理由で集団から追い出され、一人で生きるドワーフの蔑称である。
一般的なドワーフの人生は、各種金属の鉱床とともにある。
採掘、精錬、加工の各工程を家族単位で分担する共同生活が基本であり、家督を継ぐ直系の男子は世代交代と同時に
家族の絆が工程の精度を上げ、家族同然の近所付き合いが製品の品質を高める。
そんな職人気質の文化に、ドワーフ族は誇りを持っている。
だからこそ仲間になじめない“逸れドワーフ”は差別の対象であり、逸れドワーフを出した家族や関わった者は、一生底辺の仕事しか回されないハメになる。
それが“逸れドワーフ”というものだった。
逸れドワーフの言葉に耳を傾ける者はいない。
旅に出る前には親しかった者も、家族を巻き込むことを恐れてリュシアスを
それは粘り強い性格のリュシアスが、人々の説得を諦めるのに十分な理由だった。
そして百年以内に世界を救う算段がついていないのは本当のことであり、世界の滅びを前にして鉄の枯渇を心配する自分が
(だがそうじゃない。逆なのだ。たとえ世界が救われても、鉄を失ったドワーフ族に未来はない。できることはしておかねばならん。たとえ誰にも理解されなくてもだ)
そしてリュシアスは、本当に逸れドワーフとなった。
今から九十一年前のことである。
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