File043. ドワーフの族長


 上空一万メートルを流れるジェット気流。

 その速度は秒速百メートルを超える。

 カイリがこの世界で初めて空を見上げたとき、雲がすさまじい勢いで流れていたのはそのせいである。


 太陽が沈まない世界と化した地球。

 それは地球の自転周期が公転周期に一致していることを意味する。

 月が常に同じ面を地球に向けているのと同じことだ。

 月から見れば、地球はいつも同じ場所に浮いているのである。

 もっともこの世界に月は存在しない。

 かつて月という衛星が存在したことさえ、この世界の住人は知らない。


 地球の昼側――太陽に面した半球では海が干上がり、砂漠が広がっている。

 かつて太平洋と呼ばれた世界最大の海洋は消失した。

 逆の夜側は氷の半球である。

 そして砂漠と氷に挟まれた狭い帯状のエリア。

 それが人類の生活圏であり、その温度と湿度を保っているのが上空を流れる人工的な・・・・ジェット気流なのである。

 そのことをこの世界の住人は知らない。



 人工ジェット気流のはるか下。

 地上から五千メートルの高さに浮かぶひつじ雲の間を、高速で移動する集団がいた。

 その数、およそ千五百。


 その者たちの外見は、背が低く丸い体型の老人に見える。

 皆が筋骨隆々で、金属製の鎧と兜を身に着け、斧や大剣を装備している。

 ほとんどの者が、もみあげから続く豊かなアゴひげをたくわえている。

 それがバタバタとはためき、いかつい顔が歪むほどの風圧を受けながらも、あぐらをかいた姿勢を崩さず前方を見据えている。

 何かに乗っているわけではない。

 ただ宙に浮いたまま座っているのだ。


 彼らの耳はとがっているが、エルフ族のように長くはない。

 その屈強な種族は、ドワーフ族と呼ばれていた。



 千五百の集団の中心に、厚さ三センチの金属板が浮いていた。

 二十畳ほどの広さがある板の上は空気の壁で守られており、まるで室内にいるように静かで風圧を感じることもない。

 そこに四人の人影が見えた。


 板の上に直接あぐらをかいて座る二人のうちの一人は、薄紅色パールピンクの髪とひげをもつドワーフ族の男だ。

 太いギザギザ眉毛の下に見えるのは、まつ毛の長い垂れ目である。

 その暗赤色ダークレッドの瞳には、同族を萎縮させる獰猛な光が宿っていた。

 男は向かいであぐらをかく同じドワーフ族の男にさかずきを差し出した。


「飲めェ、リュシアスゥ。おめェが連れてきた“竜”とやらのおかげでェ、俺たちァついにくそエルフどもとの長い戦いを終わらせることができるんだァ」


 その低い声にはどこか相手をなめている雰囲気があったが、向かいの男は気にしていない様子だった。

 銀色シルバーの髪とひげの風貌は勇ましくありながら、灰色グレーの瞳には優しさが湛えられている。


「すまん、レブ……いや、今は族長レブリオス様だったな。それにタオス様。エルフとの大事な交渉を前に、飲む気になれぬのだ」


 銀髪のドワーフ族が遠慮がちに手を振った。

 同時に響くかん高い笑い声。


「きゃははははァ、おめェは昔っから真面目すぎンだよォ、リュシアスゥ。昔通りィ、レブとタオって呼んでくれよォ。おめェが一人旅に出なけりゃァ、武術大会で優勝したおめェが族長になっていたはずだァ」


 その声はレブリオスと呼ばれた男の左肩から聞こえた。

 そこにあるもうひとつの小さな頭。

 レブリオスと同じ薄紅色パールピンクの髪で、ひげは剃っている。

 彼の名はタオス。

 レブリオスとその左肩の上に首があるタオスは、寄生性双生児に近い結合性双生児だった。

 ふたりはひとつの身体を共有している。


 双子として生まれるはずの受精卵の分裂が遅れることで、身体の一部が結合した状態で生まれるのが結合性双生児だ。

 そして一方が未発達の状態でもう一方の身体に寄生するように結合しているのが寄生性双生児だが、タオスの頭部は小さいことを除けば健康で、知性も十分に発達していた。

 タオスの小さな頭は左向きに付いており、リュシアスと会話をするために首をひねっている。

 双子の顔はよく似ているが、声帯が発達していないタオスの声は高い。


「よく帰ってきてくれたなァ、リュシアスゥ。しかも強大な“力”を連れてなァ」


 笑うふたりの族長はすでに酔いがまわっており、ふたつの顔はともに赤かった。


「竜ってェのは、大したもんだァ。名をビャッコと言ったかァ。これだけの大軍を飛行させるんだからなァ。チンケな魔法しか使えねェ糞エルフどもはァ、見ただけで腰抜かすぞォ」


 レブリオスとタオスが同時に顔を上げ、リュシアスの背後に立つ女に下品な顔を向けた。


(おまけに生身の人間たァ思えねェほど上玉だァ。青臭いドワーフ女にはねェ色気ってェもンがあらァ)


 ヒューマン族の外見をもつビャッコの美しい顔から胸、腰、尻、脚へと続くラインへそそがれる粘ついた視線。

 だが彼女の声は冷静だった。


風系ガシアスの竜ゆえでございます、族長様。この世界のすべての気体は私の支配下にありますゆえ、これくらいのことは造作もございません」


 美しく輝く白髪を編み込みルーズアップにセットし、縁なしリムレス眼鏡をかけた理知的な女性。

 二十歳はたち前後に見える彼女は、ベージュ色のスカートスーツ姿で真っ直ぐに立っている。

 その何事にも動じない胆力は、リュシアスを感心させる彼女の特徴のひとつだった。

 だが力で成り上がったレブリオスには、澄ました顔がお高くとまっているようにしか見えない。

 おまけに白髪と知的な外見は、憎むべきエルフの族長を彷彿とさせた。


「ああン? もォ少し愛想よくできねェのか、竜ってのはよォ。こっちに来て、酌をせェ」

「…………」


 族長の声が聞こえていないかのように遠くの雲を見つめるビャッコ。

 そんな彼女の上品なスーツを引き裂き、白い肌をめちゃくちゃにしてやりたい衝動に駆られるレブリオスだが、彼にはそうしない理由があった。


(んなこたァ、族長の俺様ならいつでもできらァ。現地に着くまではァ、この女を大事にしているリュシアスがへそを曲げねェようにしねェとなァ。この女ァ、リュシアスの言うことだけはよく聞きやがるからなァ)


 首をひねったタオスと目が合い、ニヤリと笑いあうレブリオス。


「ところで、サナトゥリアァ」


 板の上にいる最後の人物――四角い板の隅に腕を組んで立つエルフの女に、レブリオスが声をかけた。

 そこではわずかに風が流れており、ショートボブの明るい金髪ブロンドを手でおさえて彼女は振り返った。


「なに?」

「行方不明のエステルがミシェルマウンテンの山奥にいるってェのは、本当なんだろうなァ?」


 板の上であぐらをかくレブリオスに、さげすみの視線を向けるサナトゥリア。


「お互い直接うたんは今回初めてやけど、これまでうちが流した情報に間違いあった? 信用できんなら、引き返せば?」

「ちいッ、どいつもこいつもォ……」


 ドワーフ族の繁殖期は終わりに近づいているが、まだ完全に明けたわけではない。

 ましてや平常時でも女好きで知られるドワーフの族長は、上質な女を二人も前にして手を出せない状況に苛立っていた。

 タオスが小声で話しかける。


(レブ、今はガマンだァ。エルフ女も竜女も、糞エルフどもを皆殺しにした後は用済みだからなァ。それまでは利用するだけするんだァ)

(わかってるよォ、タオォ。すぐだァ、すぐに終わらせてェ、大陸中の女は俺たちのもんだァ)


 下品に笑うふたりをしかめっつらで見るリュシアス。

 ふたりの会話は聞こえなかったが、ろくな会話ではなさそうに思えた。

 とはいえレブリオス&タオスは百年前に同じ戦場を生き抜き、背中を預け合った仲間である。

 ましてや今はドワーフ族をべる族長であり、敬うべき存在だった。


「千五百の兵で牽制けんせいし、竜の力を見せつけてエステルに和平を承諾させる。それでよいのだよな、レブ、タオ」

「あァ? もちろんだァ、リュシアス。出発前にそう話しただろォ?」


 つまらなそうに答えるレブリオス。

 そしてビャッコが告げた。


「まもなく目的地に到着いたします」


 レブリオスとタオスの顔が輝く。


「よしィ、伝声管を出せェ」


 杯を投げ捨てて勢いよく立ち上がると、彼は周囲の大軍を見渡し咳払いをした。

 伝声管とは地下で暮らすドワーフ族が普段使っている、遠くの者に声を伝えるための金属パイプである。

 もちろんそんなパイプはここには存在しない。

 ビャッコが息をするように簡単に作り出したのは、レブリオスの声を兵たちに伝える空気の音声増幅経路である。


「野郎どもォ、よォく聞けェ。もうすぐ目的地だァ。着いたら目に入った糞エルフどもを皆殺しにしてェ、エステルをあぶり出せェ。バックアップは心配ねェぞォ。俺たちには竜がついてるからなァ!」

「おい待て」


 命令を終えたレブリオスの右肩をリュシアスがつかんでいた。


「話が違うぞ、レブ。ここには交渉に来たはずだろう?」


 肩をつかまれたまま、百年前の戦友に見下した表情を浮かべるレブリオスとタオス。

 四つの暗赤色ダークレッドの瞳は、有無を言わせぬ支配者のそれだった。


「……“族長様”と呼べ、このはぐれドワーフが」


 唇を噛むリュシアス。

 ドワーフ族においても族長の命令は絶対であり、“逸れドワーフ”とはなんらかの理由で集団から追い出され、一人で生きるドワーフの蔑称だった。



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