Folder04. 見初める時間

File025. 光の柱


 白い光に包まれたカイリが最後に見たもの。

 それは黒からオレンジに変色した巨大な箱が、ぐにゃりと変形するところだった。


(まだ手に熱が残っている)


 見晴らしのいい崖の上に立ち、手のひらを見つめるカイリ。

 箱に触れていて感じたのは急激な温度上昇だった。

 彼が手を離した後、十メートルの高さがある黒い箱は壁が溶け落ちるほどの高温に達したのだ。



 カイリが〈離位置テレポート〉の魔法で強制的に移動された先は、カイ・リューベンスフィアの屋敷が焼けた崖の上だった。

 あらかじめそこを移動先に設定していたのは彼自身である。


(マティに声をかけたときに発動しちゃったんだよな。詠唱省略は思っていた以上に使い方が難しい)


 ――もし近くにいたら急いで〈離位置テレポート〉を。


 そうマティに声をかけたときに〈離位置テレポート〉が発動してしまった。

 「テレポート」と発声するだけで〈離位置テレポート〉の魔法が発動するように事前詠唱を設定していたせいである。


(便利だと思ったんだけどなぁ)


 役名コマンドを唱えるだけで発動するように設定した事前詠唱魔法はすでに二百個ほどある。

 そのすべてをやり直そうと決めていた。


(今回は発動した魔法もタイミングも運が良かった。度等ブーストを乗せた魔法が暴発したらとんでもないことになるし、タイミングによっては汎数レベル1魔法でも危険かもしれない)



 崖の上に涼しい風が流れ、まばらに生える木の細い枝が小さく揺れた。

 池のそばでマティと話しているときに日が陰りはじめたことはわかっている。

 今は空全体が薄い雲で覆われ、眼下に広がる森や河川が普段の輝きを失っていた。


「カイリさん あれは」


 カイリの左肩の上で、暗緑色ダークグリーンの髪をツインテールにした小人の幼女が左方向の空を指差している。


「ああ」


 同じものをカイリも見ていた。


「カイリさん 笑い方が気持ち悪い です」

「え」


 無意識に笑っていることを自覚するカイリ。


「ひどいな、フェス。仕方ないだろ、嬉しいんだから」

「嬉しい です?」

「ああ」


 右手で口元を隠すようにさするカイリ。

 その顔を見上げてフェスがにぱっと笑った。


「カイリさんが嬉しいと フェスも嬉しい です」

「そっか」


 顔を明るい光で照らされた二人が見つめる先。

 そこに地上から雲まで伸びる一本の光の柱が出現していた。


 その神々こうごうしい光はゆっくりと薄れ、やがて消えた。

 だが確かにそこに光の柱があったことを示すように、空を覆う雲のそこだけが乱れて口をあけ、雲上の明かりを漏らしている。


「さっきまで俺たちがいたのはあの空の下だ。そしてあの光の柱は……あんなブレスを吐けるのは……」

「?」

火系プラズマの竜しかいない。やっぱりまだ箱の中にあったんだ、卵が」


 光の柱が消えた地上から灰色の煙が立ち昇るのが見えた。

 崖上からは見おろすことになるので判別しにくいが、煙が背景になったことでフェスの巨木がまだ立っていることがわかる。


「箱の真上にはいなかったから無事だとは思うけど、マティが心配だ。すぐに戻ろう」

「はい です」


 最初から丁寧に詠唱される〈離位置テレポート〉の呪文を、褐色肌の小人がおとなしく聞いていた。



  ***



「どうした、セイリュウ?」


 深紅の絨毯が敷かれた大広間では、金細工がほどこされた十個のシャンデリアが純白のテーブルクロスを照らしていた。

 壁際に並ぶ絵画や彫刻などの美術品は清掃が行き届いており、部屋中のどこを探してもほこりひとつ、髪の毛一本落ちていない。

 幅三メートル、長さ十メートルの長大なテーブルの端に贅を尽くした二人分の食事がかどを挟んで並べられ、二人の人物が食事をしていた。

 一人はバスローブのような厚手の白い服を身につけたグレーの髪とアゴひげをもつ初老の男で、彼が背後に立つ女に話しかけたところだった。

 ライトブルーの短いストレートヘアでチャイナドレスに身を包む若い女の首には、黒革の首輪がつけられている。


「はい。最後の卵がかえったようです、ご主人様」

「ほう。おまえの報告では孵化設備は完全に破壊され、通常シーケンスでの起動は不可能という話だったはずだが。前に俺が溶かしておまえが固めた入口も塞がったままだったのだろう?」


 ――罰を受ける。

 主人の不機嫌な声を聞いてそうセイリュウが覚悟したとき、その会話を聞いていたもう一人が食事の手を止めた。

 大広間にいるのはこの三人だけである。


「……ほんまに? 四体目の竜生まれたん? 二千年もの間、竜はセイリュウちゃんだけやったのに、ここ十年くらいで残り三体の竜が全部生まれたぁて、えらい急展開やん」

「おまえには関係ないことだ、サナトゥリア」

「冷静やなぁ、初代は。いくらヒューマン族の王で竜の長女がついとるゆうても、さすがに残り三体の竜は脅威やないん?」


 淡い金髪をショートボブにしたエルフ族の娘が、赤いソースがかかった魚の白身を小さな口に運んだ。


「ふん、エルフの族長代行にすぎないおまえから見れば脅威だろうな」

「んー、初代が今の地位にあるんは、セイリュウちゃんのおかげちゃうん? “運命に導かれし者、竜に出会い、この世をべる英雄とならん”――それがこっちの大陸に伝わる英雄伝承や。けど、運命てのは後付けやね。どんなボンクラでも、たまたま竜を見つけたラッキーな奴が竜の力、手に入れてまう。とんでもない話やわぁ」

「…………」


 男の濁った青い瞳が冷たく光った。

 だがサナトゥリアにひるむ様子はない。


「わかっとうて。初代はこの世で唯一人、ぜんぶの魔法使いこなす大魔術師や。今まで召喚されたどのカイ・リューベンスフィアもあんたにはかなわんし、あんたならこの世のすべてを手に入れられる。うちらの大陸に手ぇ出してこんのが不思議なくらいや」


 ヒューマン族の王は沈黙したまま食事を続けていた。

 背後に控えるセイリュウがその様子を見つめている。


(プライドの高いご主人様が、こんな小娘の生意気な話を聞き流している。いつもならとっくに殺しているはずなのに……)


 竜の長女は知っている。

 彼女の主人は竜の力などあてにしなくてもこの世で最強であることを。

 それはサナトゥリアのいう魔法の力だけではない。

 もっと次元の異なるレベルで、すでに世界のすべてが彼の手中にあるといっていい。

 世界の反対側とはいえ、エルフ族とドワーフ族が多く分布する大陸に手を出していないのは、ただ面倒なのと彼が亜人の女に興味がないというだけのことに過ぎない。

 そんな彼が、目の前で暴言を吐くサナトゥリアを手にかけない理由が思いつかないのだった。


(たしかに“悪魔憑き”の彼女は、ご主人様の魔法でも直接傷つけることはできない。でもそれは、私に「殺せ」と命ずれば一瞬で済むこと。エルフの族長も彼女には一目置いているという話だけど……)


 サナトゥリアには何かがある。

 セイリュウにわかることはそれだけだった。


「俺はこの世界の残り一年を自分勝手に生きると決めている。面倒なことに時間をかけている暇はないし、俺の楽しみを邪魔するやからは消すだけだ。おまえはあと一年で世界が滅びるという話を、まだ信じていないのか? それだけは俺の力でもどうにもならんと説明したはずだが」


 ヒューマン族の王とサナトゥリアの会話が続いていた。


「いくら二千年生きとるゆう初代の言葉でも、信じられへんなぁ。うちらの族長もなんやら世界を救うゆーてるけど、おつかれさんて感じや」

「……本心か?」

「どうやろなぁ」


 その後、食事が終わるまで言葉が交わされることはなかった。

 ナプキンで口元をぬぐい、席を立つサナトゥリア。


「ごちそーさん。やっぱりここの食事はうまいわぁ。セイリュウちゃんの指導が行き届いてるんやねぇ」

「ありがとうございます」


 丁寧に頭を下げるセイリュウ。

 サナトゥリアのことは客人としてもてなすよう指示を受けていた。


「今回も互いにろくな情報はなかったな」


 そんな言葉が王の口から漏れた。


「そんなもんやろ。うちは食事に大満足や」

「おまえに〈翻弄頭コンフュージョン〉の魔法が効けば、簡単なんだが」

あきらめてえな。うちの悪魔憑きは生まれつきや。そんな自白魔法なんてかけんでも、なんも隠してへんよ」

「ふん」


 王がサナトゥリアの言葉を信じていないことは明白だったが、それ以上追及することはなかった。

 ひらひらと手を振るエルフの娘。


「またなぁ、初代カイ・リューベンスフィア」


 短い金髪がふわりと浮き、細い肢体が白い光に包まれる。

 彼女に不自然な動きは見られない。

 〈離位置テレポート〉を無詠唱で発動させるための条件設定があるはずなのだが、未だにその動きを見つけられないセイリュウだった。



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