File024. 召雛子《インキュベート》


 フェスに呼ばれたカイリがあせる心をおさえながら振り向いた。

 いら立ちをぶつけないように注意したつもりだったが、やや大きな声になる。


「さんは付けなくていいって……」


 その言葉が途切れた。

 カイリの視界に飛び込んできたもの。

 一瞬何が起きたのか理解できなかった。


 刺激が多い現代に生きる若者にとって、それは大したものではないと言えるかもしれない。

 だがそれは、そんな生活から離れた今のカイリにとってとてつもなく衝撃的な光景であった。


 濃紺色ネイビーブルーの長い布の端が木の根によって持ち上げられている。

 マティが宙に浮いたままその布を必死に押さえている。

 ただそれだけのことなのだが。


「な――、な、何をするの、フェス!」


 突然のことに言葉も出なかったマティがようやく声を発した。


「カイリさんを元気にする です」

「どうしてこれでカイリが元気に――」


 フェスの触覚器フィーラーである木の根が地面から伸び、マティのロングスカートの前をめくっていた。


 下着まで見えたわけではない。

 だが普段は決して目にすることがないマティの――カイリより少しだけ年上に見える女性の――まぶしいばかりの白いふとももから元高校生は目を離せずにいた。


 カイリが顔を真っ赤にして固まっていることに気づいたマティの顔が一瞬で耳まで赤く染まった。


 実際のところ、少し高めとはいえ脚が見える程度にスカートの端が持ち上げられたに過ぎない。

 その時点でマティに動揺はあっても大きな恥じらいはなかった。

 彼女を羞恥の海に沈めたのはカイリのあまりに純朴な反応である。


「な、な……、し、知りません!」


 大木がそびえる空に向かって飛び去るマティ。


「…………。……フェス、どこでそんなことを覚えたんだ?」

「…………? 契約者を元気づける方法の一つ です。フェス個人の知識であって 場所は特定できない です」


 にこやかに話すフェス自身に罪はない。

 彼女は学習した知識に従って行動しているプログラムに過ぎないのだから。


「いや、いいんだ。フェスにそんなかたよった知識を残した過去の契約者の責任だ。そして恥ずかしながら……俺にその人を責める資格は……ないよなぁ」


 不可抗力とはいえ、罪の意識から顔に手を当てて空を仰ぐカイリ。


「さっきみたいなことは二度としちゃだめだ、フェス」

「わかった です!」


 にっこりと微笑むフェス。

 それを見て苦笑するカイリ。


(それにしても、人形サイズのマティの脚を見ただけでこんなにドキドキするなんて、同級生に知られたら変態扱いだろうなぁ)


 カイリは肩の力が抜けていることに気づいた。

 先ほどまで固まっていた思考がゆっくりと動き出す。


「フェスが俺を元気づけようとしてくれたこと自体には感謝してるよ。ありがとう」

「どういたしまして です」


 マティは当分顔を見せないだろうとカイリは思った。

 キスの話で屋敷を飛び出したときには三日も姿を見せなかったのだ。

 彼女は恥ずかしい思いをするととっさに逃げ出し、すぐには戻らない。

 小首をかしげるくせに続いてカイリが気づいた二つ目のマティの癖である。


「さて、さっきの首輪の人が竜だとしたら、たぶん水系リキッドの竜だと思う」

「?」


 フェスには理解できない。


(一瞬で声を出せなくなったのは、のどの水分を奪われたせいだ。そんな魔法は存在しない。そんな真似ができるのは四体の竜の中でも水系リキッドの竜だけだ)


 ――あなたたちの命を一瞬で奪うことは、呼吸するよりも簡単なこと。


 彼女はそう言った。

 水系リキッドの竜なら意識するだけで、敵兵数千人の血液を沸騰ふっとうさせることだってできる。

 それが竜という存在――日本が有事に備えて極秘裏に開発し、世界の四か所に埋めた最終兵器。

 だからこそ万が一にも敵に寝返ることがあってはならない。

 そのための絶対服従契約システム。


 予言書の中でも最重要機密事項にあたる“竜”に関する項目をカイリは思い出していた。


「そして俺がこの場所に探しにきた竜は水系リキッドじゃない。ここで眠っているはずの、おそらくこの黒い箱の中にまだいる竜は、火系プラズマの竜なんだ」


 水系リキッドの竜がすでに誰かの支配下にあることはもう間違いないだろうとカイリは思った。

 彼女のセリフは主人に従うものだったからだ。

 だがそれくらいの困難は想定しておくべきだったのだとも思う。


(世界を救うためには他人から奪ってでも四体の竜を集めなければならない。それだけのことだ。卵を探すだけでいいと思っていた俺の考えが甘すぎたんだ)


 そして水系リキッドの竜にここで出会えた偶然は、むしろ奇跡的な幸運だったと考えを改めた。


「首輪の人がここで何をしていたのか。森しかないこの場所で、この箱に用があったと考えるのが自然だろう。そしてわざわざ水で隠すようなことまでしている。箱の中に火系プラズマの竜の卵が残っている可能性は高いと思う」


 フェスは不思議そうな顔で黙ったままだが、カイリはわざと言葉にして彼女に聞かせていた。


(問題は、ここに箱があることを知りながら放置していることだ。その理由がわからない。水が緑色に濁っていたくらいだから、箱を見つけて隠したのは昨日今日というわけじゃないだろう。俺だったら誰かに取られる前に孵化させるんだけどなぁ)


 そこまで考えてカイリは気づいた。


「考え事をしている場合じゃない。今すぐ俺たちが孵化させるべきだ」

「でも 開けられない です」


 ようやく会話に参加できたフェスは嬉しそうだ。

 嬉しそうに言うセリフではないのだが。


「うん、開けられないから、自分から出てきてもらおうと思う」

「???」


 再び不思議そうな顔に戻るフェス。

 カイリはかまわず話を続けた。


「本当は箱の中に入って、コンソールを正しい手順で操作して箱を起動させて、それから孵化プログラムをスタートさせるのが正しい手順なんだけどね」


(予言書の知識がなければ竜を孵化させられるはずがないと思っていた。水系リキッドの主人はどんな奴なのか。そういう意味ではエルフ族のサナトゥリアも何か知っているようだったし、この先も苦労しそうだな……)


 そんなことを考えながら黒い箱の壁に手のひらを当てるカイリ。


「カイリさんは ドアがあるはずって言ってた です。もうドアを探さなくていい です?」


 カイリのことを相変わらずさん付けで呼ぶフェス。

 生きているマティと違い精霊はプログラムである。

 契約者の名をさん付けで呼ぶのは変更できない設定なのだろうとカイリは理解し、呼び捨てにしてもらうことを諦めた。


(様付けでないだけマシだな)


「いいんだ。たぶんドアをふさいだのは首輪の人だ。どうやったのかはわからないけど、ドアを含めて壁の一部を液化したんだと思う。液体になってしまえばどうとでも加工できる。水系リキッドの竜ならね」

「わからない です」


 微笑むカイリ。

 木の精ドライアードのデータベースに竜に関する言葉は登録されていないのだろう。

 逆に言えば今初めて学習しているのだ。

 それが、まだ理解できないフェスに対して言葉で聞かせている理由だった。


水系リキッドの竜は液体を固化したり気化することはできても、固体を変化させることはできないはずなんだけどね」


(まさか固体を操る土系ソリッドの竜もここに来ていたのか? そうだとしたら、首輪の人の主人はすでに二体の竜を従えて――?)


 せめて火系プラズマの竜だけでもすぐに手に入れたい。

 カイリは強くそう思った。


「これは予言書に書かれていた最後の手段だ。この方法で孵化させると契約はできない。つまり竜を契約で従わせることができなくなるけど……今はこれしかない」


 カイリが呪文の詠唱を始めた。


 ――高目移行ランクアップ汎数レベル13


 マティがいたら驚いただろう。

 その魔法の汎数レベルの高さに。

 カイリが使おうとしているのは隠し役名コマンドとも言える魔法だった。

 後から追加されたものであり、おそらく魔法システムの開発チームも知らない役名コマンドである。


 ――通模インプット要俳キーワード

 ――待っているよ あなたに早く会いたいよ どうか無事に生まれてきてください あなたのパパもママも とても楽しみにしています わがままでも やんちゃでも 生意気でも ずっと見守っていくから 元気な姿を見せてください まだね 良いママになる自信はないのだけれど きっと 感情のままに怒ってしまうこともあるし けんかもすると思うけれど あなたを見守っていく覚悟だけは しっかり決めていますからね 安心してこの世界に 生まれてきてください


 今までの魔法とは比べ物にならない長さの要俳キーワード

 言葉の雰囲気が他の魔法と違うのは、要俳キーワードの作者が違うためだろう。

 瞬間記憶の能力がなければ、とても覚えていられなかっただろうなと思うカイリ。


 ――転配コンパイル

 ――役名コマンド


「〈召雛子インキュベート〉」


 カイリの足元で白く光って広がる波紋のような魔法陣。

 時が止まったかのような数秒間が過ぎると、カイリがいきなり箱から手を離してつぶやいた。


「……やばい」


 フェスを肩に乗せたまま叫ぶカイリ。


「マティ! もし近くにいたら急いで〈離位置テレポート〉を。屋敷で落ち合おう。あ、しまっ……」


 気づいたときにはカイリの身体がフェスと一緒に白い光に包まれていた。



  ***



 同時刻。

 遥か北の地で、大きな縦穴から姿を見せたレイウルフが憔悴しょうすいした様子で右腕をおさえていた。

 その傍らには、ダウンコートのファー付きフードを目深まぶかにかぶった十五、六歳の少女。

 フードからはストレートの長い黒髪がこぼれていた。



 - End of Folder 03 -



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