File023. 黒い箱



「――死者が出たのですか?」


 声をひそめるレイウルフに対し、騎士隊隊長が真剣な表情で答える。


「いえ、全員無事です。目やのどの痛みを訴える者もおりません」


 後ろで一本にまとめられた波打つブラウンの長髪と口ひげをもつラウエルは神殿護衛隊に属する騎士隊の隊長で、渋い顔立ちと口ひげのせいでエルフ族の割にはやや老けて見える男だ。

 サナトゥリアの部下だが前職は森林防衛隊所属の騎士隊隊長だった。

 つまりレイウルフの元部下である。

 そしてここにいるラウエルとその部下五名はおおやけには“行方不明”になった族長エステルの越境捜索隊ということになっていた。

 ――が、実際のところは“発掘”現場の警備が現在の任務である。


「レイウルフ様、危険です」

「大丈夫です」


 いつの間にか巨大な縦穴のへりに立ち、下をのぞきこんでいるレイウルフ。

 穴の底には白いガスがたゆたっており、何も見えない。


(三日前に来たときにはこんなガスはなかったはずです。“箱”から噴き出した白いガスというやつでしょうか?)


 あごに手を当てたレイウルフが何かを感じとった表情を見せた。


「ラウエル」

「はっ」

「エステル様捜索を偽装する荷物の中に防寒具がありましたね?」


 質問の意図が読めないまま答えるラウエル。


「はい。ただ、表向きは氷雪の絶壁アイスウォールまで足を延ばせる装備を用意したことにしておりますが、偽装でしたので実際にはダウンコートくらいしか……」

「十分です。たしか他の物資と一緒に宿舎の広間に置いていましたね」


 〈離位置テレポート〉で消えたレイウルフが戻ると、その手におろしたてのダウンコートがあった。

 ファーフード付きでライトグレーの地に紺のステッチが入っている。

 エルフ族のカラフルな衣服にくらべるとかなり地味に見えるが、普段の服装は森で、ダウンコートは氷雪地帯で、それぞれ彼らの存在を景色に溶け込ませやすくしている。


「レイウルフ様、一体……?」


 いぶかしげなラウエルにレイウルフが微笑んだ。


「エステル様がいらっしゃる前にもう少し情報を得ておいたほうがいいでしょう。どういうわけか下はかなり寒そうです」


 レイウルフが感じたのは頬に触れた冷気だった。

 被害者が出ていないことから白いガス自体に危険はなく、おそらくは気温の急激な低下によって生じた濃霧だろうと推測していた。


「危険です。そのような任務は我々にお任せください」

「君たちには到着されたエステル様を護衛する任務があります。六名全員でも少ないくらいですよ」


 騎士隊にとって族長の護衛以上に優先する任務はない。

 二の句が継げないラウエルを残して、レイウルフは巨大な縦穴の壁に組まれた足場を躊躇ちゅうちょなく駆けおりていった。


(レイウルフ様の悪いくせが出てしまったか。何事もなければよいが……)


 ため息をつく騎士隊隊長は、自分より若い元上司の性格をよく知っていた。

 多くの者が尻込みする未知の領域を目にしたとき、あるいは誰も予想できなかった苦難が突然降りかかったときなど、一人だけ目を輝かせて前向きに行動する男。

 エステルが“たまに大胆さを見せる”と評した性格そのものであり、普段生真面目きまじめなレイウルフに若い部下の人気が集まる理由でもあった。



  ***



 妖精の樹海フェアリオーシャン――地平線まで広がる広大なジャングルから一本の巨木が突き出していた。

 生い茂った大量の枝を傘のように広げて周囲の木々を見おろしている。

 その根元近くに土がむき出しになった直径百メートルほどのすり鉢状の穴があいていた。

 穴の底に溜まった緑色の水がその量をどんどん減らしていく。


「いいぞ、フェス。その調子だ」


 まるでポンプのように水を吸い上げているのは巨木から伸びたたくさんの根だった。

 巨木の正体は木の精ドライアードであるフェスの触覚器フィーラーが密集して形成されたものであり、カイ・リューベンスフィアの屋敷で見たものよりさらに一回り大きい。

 ちなみに触覚器フィーラーも小人の姿も必要に応じて形成されるものであって、どちらかがフェスの本体というわけではない。

 精霊の本質はシステム上に存在するプログラムそのものである。


 地上から穴の底を見つめるカイリとマティの視線の先で、小さくなった水面から黒光りする金属らしい何かが姿を見せる。


「何でしょうか? 卵ではないようですが……」

「行ってみよう」


 木の精ドライアードフェスの張りめぐらされた根を伝って、湿って滑りやすい斜めの地面を降りていく。

 カイリが穴底に着くころには水がすっかりなくなっていた。


 池の水を吸い上げてできた穴の中央、すり鉢の一番深い底にそれはあった。

 高さが五十センチくらいの黒い三角錘。

 濡れた表面が光を反射し、重厚感がある。


(予言書に書かれていたのはこんな三角形のものじゃなかったよな……ああ、そうか)


「ちょっと離れてて」


 何かを思いついた様子のカイリはマティにそう声をかけてから周囲を見渡した。


(我ながら貧乏性かな)


 マティ以外には人の気配がないことを確認し、右手を伸ばして黒い三角錘のてっぺんに触れる。


(詠唱省略はいざという時のためにとっておきたくなってしまうんだよなぁ)


 ――高目移行ランクアップ汎数レベル


 呪文の詠唱を始めるカイリ。

 詠唱省略を使うほどの状況ではないと判断していた。


汎数レベル3までならここで使っても大丈夫だろう。使用エネルギーは汎数レベル4魔法の十分の一だ)


 ――通模インプット要俳キーワード

 ――けいけいけいを保ち、けいけいとしけいすることをけい


 白いローブを着たカイリの背中を黒髪の妖精が見つめていた。

 カイリが唱えた要俳キーワードは彼女が知る汎数レベル1魔法〈品浮レビテート〉のそれであり、発見した黒い物体を浮かせるつもりなのだとわかった。


 ――回倒アンジップ度等表示俳ブーストワード

 ――ご機嫌ななめのグラヴィトン


 ――転配コンパイル

 ――役名コマンド


「〈品浮レビテート度等ブースト2〉」


 初志の玉ガイドジェムを出さずに魔法を発動させることに成功していた。

 屋敷の焼け跡で瓦礫を運ぶために、〈品浮レビテート〉を何度も詠唱した成果だろう。


「カ、カイリ……!」


 驚きの声を上げるマティ。

 魔法の白い光に包まれた高さ五十センチ程度の三角錐の物体。

 光が消え半透明になったそれはゆっくりとそして軽々と、“地面をすり抜けるように”持ち上げられ、その全貌をさらした。


 高さが五十センチ程度に見えたものは全体の一部にすぎなかった。

 カイリが片手で支えるそれは小さな一軒家ほどの大きさがあり、度等ブーストを乗せた理由がそこにある。

 一辺が十メートルの黒い立方体。

 穴底から顔を出していたのはその頂点の一つ――黒く四角い箱のかどにすぎなかった。

 中身が空っぽに見えるのは〈品浮レビテート〉の効果中だからだ。


 カイリが地面近くで手を離すと黒い箱は再び白い光に包まれて実体化し、ズズン――と音を立てて地面に落ちた。

 ほんの十五センチほどの高さから落ちただけにもかかわらず地面を揺らすほどの重量物だ。


「カイリ、これは――?」

「この中に卵があるはずだ」


 喜びの笑顔を浮かべて箱の周りを飛び回るマティ。

 だがカイリの顔は晴れない。


「どうした です カイリさん?」


 いつの間にかカイリの左肩にフェスが姿を見せていた。


「さんは付けなくていいって。俺はこいつが池に沈んでいるだけだと思っていたんだ。ほとんど地下に埋まっていたのに、フェスに見つけられなかったのはなぜだろう?」

「それは……」


 地面から細い木の根が現れ、箱に近づいた。


「フェスには感知できない です。そういう物質でできているみたい です」

「今までにもそういうものってあった? フェスの目には見えているんだよね?」


 緑髪の褐色少女が言うには、目には見えているとのことだった。

 だが彼女の触覚器フィーラー――木の根や枝では周囲の土と区別できないという。


「きっと大切なもの です」


 フェス自身はそれで納得しているらしい。

 ちなみに土の中――人がそばにいない場所で小人の姿になることはないので、過去に同じような物質が地下にあったかどうかはわからないというのがフェスの答えだった。

 ごもっともである。


「そうだね。土の精ノームならともかく木の精ドライアードに見つからないくらいの工夫はされているか。それはいいとして、まだ二つ疑問がある」


 会話中のカイリとフェスのところへマティが飛んできた。

 その顔からは笑顔が消えている。


「どうした、マティ?」

「あの黒い箱はどうやって開ければいいのでしょうか?」

「それなんだよなぁ」


 ぽりぽりと頭をかくカイリ。


「疑問の一つは、あるはずの“ドア”が見当たらないことなんだ」


 〈品浮レビテート〉中の物体は表面の薄皮一枚だけを残したように半透明になる。

 ただし最表面の形状だけは正確に残されるので、四角い箱の反対側でも下側でもドアがあれば半透明の物体を透かして確認できたはずなのだ。

 それがなかった。

 

「もう一つの疑問はこんな地表付近で見つかったことだ。もともとはもっと深い場所に埋められていたはずなんだよ」


 マティの話によればこの樹海はフェアリ族の故郷であり、少なくともフェアリ族がこの地にたくさん生きていた時代があったはずである。

 エルフ族とドワーフ族が不可侵条約を結んだという二千年前までは、フェアリ族以外にも多くの種族が訪れていたのではないだろうか。

 それは卵が埋められた五千万年前からすればごく最近と言える時期であり、もし大昔から地上付近にあったとしたらこの箱が発見されなかったはずがないようにカイリには思えた。


「マティ、この二千年の間に地形が変わるほどの大地震が起こったなんてことあるかな?」

「ありません。少なくともこの妖精の樹海フェアリオーシャンでは」


 二千歳を超えるマティの言葉には高い信憑性があった。


(この箱が地表に移動するような地殻変動はなかったと見ていいだろう。ごく最近、少なくとも二千年以内に誰かがこの箱を地下から掘り出したと考えたらどうだ? この状況を説明できるか? 竜を目覚めさせた後、不要になった箱が捨てられているだけ? 用済みの箱から竜の秘密が漏れるのを防ぐための処置が、入口を塞ぐことだとしたら……あるいは最初からそんな機能が箱に付いていたとしたら……。そうだとしたら、すでに竜は――)


 カイリの脳裏に浮かぶ眩く光る水面、チャイナドレス、首輪。

 逆光の中で青く光る二つの瞳、上空から聞こえた巨大な生物の羽音。


「くそっ、あの人が竜だったんだ」


 黒い箱に近づき、こぶしをぶつけるカイリ。

 そんな彼をマティとフェスがただ見守っている。


(俺は世界を救いたいんだ。こんな俺に……仮そめの存在に過ぎない俺に、“約束”をくれたマティのために――)


「カイリさん」


 フェスの呼ぶ声がカイリの耳に届いた。



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