File018. ヒューマンの王



【後半に「残酷描写」らしきものがあります】

【苦手な方は「***」以降を読まずに次話へお進みください】



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 マティが目を開けると、視界の三分の二を空が占めていた。

 残りの三分の一では森の木々が風に揺れている。

 小さな妖精は自分が仰向けに寝ていることに気づき、ぼんやりとつぶやいた。


「ピージがもう、あんなに高く……」


 青い空にひとつの白い点が輝いている。

 その前を時々勢いよく横切っていくのは上層を流れる雲の切れ端だ。


 「フェアリ族は、あれをピージと呼んでるの?」

 「はい」


 ……しばしの沈黙。


 「えっ? え?」


 暖かくて寝心地のいい場所。

 そこがどこなのか。


 がばりと上半身を起こして振り返るマティ。

 仰向けのまま頭の後ろで手を組み、空を見上げるカイリの顔がそこにあった。

 森をそよ風が通り過ぎていく。


「す、すすす、すみませんっっ」


 マティがカイリの胸の上から飛び上がった。


「も、もしかして、私が目を覚ますのを待っていてくれたのでしょうか?」

「…………」


 その通りなのだが、こうもストレートに聞かれたときにどう答えたらいいのか、カイリはとっさに思い浮かばなかった。

 風が気持ちよかったからさ……とキザに答えても、マティは笑ったりはしないだろうとは思うのだが。


 カイリが黙ったまま視線を空に戻すと、マティも再び空を見上げた。

 空で輝く光点はジッと動かないように見える。

 だが“ピージ”と呼ばれたその光点は、実際にはゆっくりと空を移動している。

 同じコースを通り、二十四時間後に元の位置に戻ってくるのだ。

 西から昇り東に沈むため、現代の東から昇る太陽や月とは正反対の動きである。


 この五千万年後の地球では太陽は動かず、月は存在しないのだが――。



「フェアリ族とエルフ族はあれを“精霊騎士スピリチュアルナイト”と呼んでいます。“ピージ”という名前は、マスターが教えてくれました。」


 マティがマスターと呼んだのは過去に出会ったカイ・リューベンスフィアの誰かだ。

 自分のことではないので、カイリもその呼び方にまで干渉する気はない。


「そっか。マティはピージの位置でだいたいの時間を把握しているんだな」

「はい」


 ピージがオレンジ色に染まる西の地平から顔を出し、空を横断して東の地平に沈み、再び西から顔を出すまでの時間。

 それを「一日」と呼んでいるとマティは言った。

 曇りや雨の日はピージが見えなくて困るんじゃないかとカイリが聞くと、マティが笑って答えた。


「ピージが見えなくても、だいたいの時間はわかるじゃないですか」


 つまりそういうことなのだ。

 この世界の住人は現代人のような分刻みの生活をしていない。

 ピージは日時計くらいにしか役に立たないが、それで十分ということなのだろう。

 どうしてもピージの位置を知りたければ、晴れている場所まで〈離位置テレポート〉で移動すればいい。


 そしてマティがピージと呼んだ光点は、正確には“P.G.”――カイリが予言書から得た知識によれば“プラネット・ガーディアン”の略――であり、衛星軌道に浮かぶ過去の遺産である。

 P.G.はかつて巨大な静止衛星、つまり地球の自転と同じ速度で赤道上空を移動することで、地上からは静止して見える衛星だった。

 それがほぼ二十四時間で空を移動するようになった理由はただ一つ。

 ――地球の自転が一年に一回になったからである。



「マティにはちゃんと説明しておくよ」


 唐突な言葉。

 カイリは寝転がったままだ。


「はい」


 宙に浮いたまま話の続きを待つマティ。


「この世界を滅びから救うためには、四体の“竜”を集める必要がある」

「リュウ……ですか」


 風が強くなり空の雲が増えてきていた。

 直径が百メートルもある池の水面に直射日光が届かないほど森の木々は高い。

 それでも雲を照らすオレンジ色の光が失われていることはわかる。

 太陽が雲でかげっているのだ。

 明るかった水辺がかなり暗くなっていた。


「初めて聞きます。リュウとは何でしょうか?」

「そうだな……存在としては、こいつに近いと思う」


 カイリがポケットから取り出したのは、アーモンドに似た茶色の物体だった。


「それは木の精ドライアードの種ですね」

「やっぱりそうか。さっき、屋敷の焼け跡で拾ったんだ」


 その種がドクンと脈打った。

 思わず落としてしまうカイリ。


「うおっ」


 慌てて上半身を起こし、転がった先を目で追う。

 地面に落としたと思った種は見当たらなかった。

 代わりに高さが二十センチくらいの大きな双葉が生えている。

 一瞬の出来事でまるで手品を見るようだった。


「サナトゥリアが置いていったのですね」

「もう用は済んだってことか」


 双葉の陰から小さな顔がのぞいていた。

 マティよりも小さく、身長が十五センチくらいの童女だ。

 ツインテールで暗緑色ダークグリーンの長い髪。

 大きなエメラルド色の瞳。

 肌は日焼けしたような小麦色である。

 外見年齢は十歳くらいだろうか。


「あの…… こんにちは です」


 おどおどと遠慮がちに双葉の陰から出てきた少女の服は、清楚で簡素なパステルグリーンのミニワンピースだ。


「こんにちは」

「こ、こんにちは」


 挨拶を返されても小さな少女の遠慮がちな態度は変わらなかった。


「あの…… 私と 契約する です?」


 マティとカイリが互いの顔を見合わせた。



  ***



「――ただいま戻りました」


 ライトブルーのストレートヘアをショートカットにした女が、大きな扉を開けて部屋に入ってきた。

 チャイナドレスの深すぎるスリットからは青いサテンの下着がのぞいている。


 二十メートルの高さがある天井が均質に白く発光し、レリーフが刻まれた象牙色アイボリーの壁に囲まれた五十メートル四方の明るい部屋。

 床は磨かれた黒い大理石で、鏡のように天井を映している。

 扉の反対側は部屋と同じ幅の上り階段になっており、その上の奥行十メートルくらいのスペースに敷かれた厚手の絨毯じゅうたんが手前の階段まではみ出していた。

 絨毯の上には宝石と金の装飾で縁取りされた幅が三メートルはある豪奢ごうしゃなソファが鎮座し、その上に数個のクッションが載っているのが階段下から見える。

 それがヒューマン族を統べる王が愛用する玉座だった。


「セイリュウか」


 王は玉座であるソファの上に寝そべったまま、首輪をつけた女を見おろしていた。

 初老の彼は痩せ気味で、その髪とアゴひげはグレー。

 血色の悪い肌を覆うのはバスローブのような厚手の白い服一枚で、見える服装はそれだけだ。

 一見するとひたいがやや広めのどこにでもいそうな紳士だが、やや濁った青い瞳には不気味な凄みがあった。


「……私の留守を任せた十人の衛兵たちの姿が見当たりませんが、何かございましたでしょうか?」


 セイリュウと呼ばれた女の質問に対し、無表情のまま答えるヒューマン族の王。


「……何もない。何もなくて退屈だったのでな」


 その言葉だけで、セイリュウはすべてを察したという表情を見せた。

 はみ出した絨毯の先から赤い液体がしたたり、階段に小さな赤い水溜りを作っている。


 ――我が身を盾とし、命に代えても御身をお守りすることを誓います。


 今朝聞いたばかりの彼女たちの言葉が思い起こされた。

 初めて見る王の前に正装で整列し、緊張のおも持ちで敬礼していた。

 十歳で親元から離され、王に仕えるための厳しい教育とつらい訓練を受けて育った女たち。

 彼女たちが一流の武術や魔術を身につけるために費やした若い人生は、王の退屈しのぎという一時の快楽のために消えたのだ。


「性が女で護衛の任が務まる者は、彼女たちで最後でございます。次の補充まで男の護衛になることをご了承いただけますでしょうか?」

「そうか。かまわんが、おまえが留守にするときは部屋に女を用意しろ」


 そう言うと、王は返事を待たずに寝転がったまま片足だけをソファからおろした。

 それが合図であるかのように階段を上るセイリュウ。

 彼女の視界に入ってくるのは、どす黒い赤色の染みが広がる絨毯の表面とその上に散らばる汚れたクッション。

 そして手足の生えた白い肉塊たちだった。


 死臭はほとんどしなかった。

 絨毯が古代の布でできているためだ。

 ただその浄化作用が、肉塊から吹き出る血の量に追いついていない。


「片付けは報告の後でいい」

「かしこまりました」


 王の前まで来たセイリュウが絨毯に両ヒザをついた。

 おろされた王の片足が目の前にある。

 両手を絨毯につけ、四つん這いの姿勢から頭を下げて、王の足指に震える舌を伸ばした。


 部屋に響くぴちゃぴちゃという音。

 ソファの上で上体を起こした王が足元に這いつくばるチャイナドレスの女に声をかけた。


「“卵”はあったか?」


 唾液のついた口を離して答えるセイリュウ。


「はい。ご命令通り、孵化設備の損傷についても確認してまいりました。完全に破壊されており、通常シーケンスでの起動は不可能です」


 答え終わるとすぐに口を開けて舌を伸ばす。


「そうか」

「…………」


 セイリュウは樹海で見かけた二人のことを王に報告するタイミングを待っていた。

 王が話している最中に口を挟むことは許されていない。


「三時間後にサナトゥリアが来る。食事の用意をしておけ」

「あっ」


 セイリュウの顔を蹴り飛ばすように立ち上がると、王は玉座の裏にある扉に向かった。


「ご、ご主人様」

「今から二時間は邪魔をするな」


 振り返りもせずに歩き去る王。

 次に彼に話しかけることができるのは彼が部屋から出てきたときか、二時間が過ぎた後ということが確定した。


 セイリュウは王に逆らうことができない。

 なぜなら、彼女を卵からかえしたのが王だからである。

 起動者には絶対服従。

 それが“竜”というシステムの掟であり、精霊システムにおける契約よりもはるかに厳格であった。

 だからこそ王はセイリュウに罰を与えても褒美ほうびを与える必要はなく、裏切りを怖れる必要もない。

 安心してそばに置くことができ、何でも言うことをきくペットであった。


 玉座の裏にある扉の奥からくぐもった女の悲鳴が漏れ聞こえた。

 衛兵の何人かはまだ生かされていたようだ。

 おそらくは王好みの理知的な美貌をもつあの二人だろう……そう予想するセイリュウ。

 彼女たちの命もあと二時間以内に消えることになる。


(玉座の片付けと食事の用意をさせなければ……)


 セイリュウが正面の扉から出ていくと、誰も居ない王の間に小さく聞こえる女たちの悲鳴だけが残された。



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