File016. 古代の布


 もはやベッドの形をなしていない残骸の下から、カイリが白い布を取り出した。

 周りがすすだらけであるにもかかわらず、その布だけは白さを保っている。


「これが、カイ・リューベンスフィアの……」


 カイリが手にした布は白を基調としたローブだった。

 銀と青紫の色が襟元えりもとそでにあしらわれている。


「どうぞ、お召しになってください」


 マティが丁寧に言った。

 カイリが右腕を袖に通すと、不思議な清涼感が腕を包んだ。


(これは……)


 着終わると身体全体がまるで風呂上りのようにさっぱりする。

 フードをかぶってみると、頭もさっぱりした。

 手についていた黒い汚れも、いつの間にか消えている。


「森の中で俺は泥だらけだったのにマティが清潔だったのは、マティが着ている服に秘密があったんだな」

「私の服もそのローブと同じで、古代の布で仕立てられています。フェアリ族族長から受け継いだものです」


(古代の布……か)


 予言書にはそんな布についての説明はなかった。

 ただ、システムの応用例として新しい軍服アーミーギアについてのアイデアが書かれていたことをカイリは思い出した。


「古代の布は普通の刃物では切れないくらい丈夫な上に破れても自己修復しますし、少しくらいなら欠損部分を再生までしてくれる便利な布です。今では布のまま現存するものはなく、古代の布を裁縫する技術も失われたと言われています」


 そう、そして自己清浄化セルフクリーニング機能まであるのだ。

 服を清潔に保つ機能で、洗濯の必要がない。

 予言書に書かれていたアイデアはそこまでだったが、どうやら着ている人を清潔にする機能まで追加されたようだ。


 この世界に来たばかりのカイリであればそれらの原理が気になるところだったかもしれない。

 だが予言書を読んだ今では、その仕組みについておおよその見当がついた。


「魔法の布とは言わないんだな」

「そう言う者たちもいますが、古代の布は魔法が生まれるずっと前から存在することをフェアリ族は知っていましたから」

「そうか……そうだな」


 腕や足を曲げて動きやすさを確認するカイリ。

 白いローブは目立つ気もするが、エルフ族のサナトゥリアが着ていたカラフルな服に比べればどうということはないのかもしれない。



「ん?」


 カイリは煤で黒いものだらけの場所で、もうひとつ黒くないものを視界にとらえた。

 指でつまんで拾ったそれは、ヒマワリの種を茶色にしたようなものだった。

 アーモンドに似ている。

 白い布にくらべると色も大きさも目立たなかったので気づくのが遅れたが、確かに煤がついていなかった。


(これは、もしかして……)


 それをローブのポケットに入れながらマティに声をかけるカイリ。


「じゃあ、最後の頼み……エルフの族長さんに会いに行く前に寄りたいところがあるから、付き合ってくれる?」

「はい。ただ……」


 マティが口にした疑問はもっともだった。


「マス……カイリはこの世界に来てから樹海と屋敷の場所しか知らないはずです。いったいどこへ行くというのでしょうか?」

「ちょっと待って。ちゃんと予言書に書かれていたんだ」


 そう言うとカイリは煤で黒くなった地面に棒で線を書き始めた。

 横に引いた一本の線と縦に引いた一本の線で十字を作る。


「この交点が今いる場所だとして、こっちが西……太陽がある方角だとすると、この方角に六百キロメートルくらい行くと何がある?」


 カイリが十字の左上を棒で指している。


「樹海があります。ちょうどカイリを見つけた場所あたりかもしれません」

「そうか……偶然なのかな。寄りたいのはそこなんだ。近くに目印がないか聞こうと思ったんだけど、必要なかったな。俺の〈離位置テレポート〉でも行けそうだ」


 術者が訪れたことがある場所にしか移動できないという〈離位置テレポート〉の制約には原理的な事情がある。

 それをカイリは知っているが、今のマティが知りたいのはそんなことではないだろうとも思っている。

 

 マティがいつものように首を傾けているのは、カイリがその場所に何の用があるのかわからないからだった。


「用事を伺ってもよろしいでしょうか?」


 マティの方を見たカイリがニヤリと笑った。


「そこに埋まっているはずなんだ」

「何がでしょうか?」


 もったいぶるように話すカイリにイライラする様子もなく素直に聞き返すマティ。

 小さな妖精は小首をかしげたままだ。

 その仕草を見ていたいためについ話を引き伸ばしてしまったことを自覚して、カイリは軽い自己嫌悪を覚えた。


「“卵”だよ。予言書によれば、地下に卵が埋まっているはずなんだ。それを早く確認しておきたい」


 カイリの話をマティが真剣な顔で聞いている。


「簡単には割れたり見つかったりしないように隠されているとは思うんだけど、何しろ予言書が書かれたのは五千万年も前のことだからね。大規模な工事や地殻変動に巻き込まれていないか心配だ。もし卵が見つからなければ、世界を救うのは厳しいかも……」


 その瞬間、マティの顔色が変わった。


「すぐに向かいましょう」


 そう言って〈離位置テレポート〉の詠唱を始めようとする。


「ちょっ……、待って。埋められてから五千万年が経っているんだ。一分や二分遅れても変わらないよ」


 マティが〈離位置テレポート〉の呪文を唱えようとしたのを見て、カイリはあることを思い出していた。


「それより、さっきのエルフ族が詠唱無しで〈離位置テレポート〉をしていたけど、どうやったのかわかる? マティが〈衣蔽甲シールド〉を使ってくれたときも、途中の詠唱はなくて役名コマンドだけだったよね」


 詠唱を中断したマティが不思議そうな顔を向けた。


「え……、もうカイリには説明したはずですが……」


 そこまで言って、何かを思い出したような顔をするマティ。

 カイリはさっぱりわからないという様子だ。


「そうでした。具体的にはまだ説明していませんでしたね。無詠唱や詠唱省略と呼ばれる魔法のテクニックです」

「うん」


 抽象的には説明されていたんだろうか……と考えてみるが思い出せないカイリ。

 予言書にそんなテクニックについての記載はなかった。


「その……言葉を話せるようになったときのことを、覚えていますか?」


 マティの顔が少し赤い。

 その赤い顔を見てカイリは思い出した。


「……事前詠唱か」

「はい」


 事前詠唱とは、呪文の詠唱中に“発動条件”を強く念じることで、あらかじめ唱えておくことができるという魔法のルールだ。

 一度詠唱する手間は同じだが、設定した発動条件が呪文詠唱の代用になる。

 先代のカイ・リューベンスフィアが死ぬ前にそれを使ったという。

 その時の発動条件は“マティのキス”だった。

 そう設定されていたことにより、本来ならマティには使えない〈翻逸トランスレート〉の魔法をマティがキスだけでカイリに発動させたのだ。


「もうおわかりでしょう。無詠唱も詠唱省略も、事前詠唱を応用したものです。サナトゥリアはあらかじめ効果範囲を自分に設定して、発動条件を何か――よくあるのは指で特殊な形を作るようなパターンですが――それによって〈離位置テレポート〉が発動するように事前詠唱をしていたんだと思います」


いんを結んでドロンと緊急脱出か……忍術みたいだな)


 そんな感想を抱いたカイリだったが、理解はできた。


「ということは、詠唱省略は発動条件を詠唱の一部……さっきのマティの場合なら役名コマンドの“〈衣蔽甲シールド〉”だけを口にすることで発動するように設定していたってことか」

「はい。詠唱省略は無詠唱よりも確実で、間違いで発動させてしまう危険も少ないのですが、戦闘においては敵に悟られにくい無詠唱のほうが有利です」


 これが〈離位置テレポート〉や〈品浮レビテート〉のように日常的に使う魔法だと事前詠唱は使いにくいと話すマティ。

 〈離位置テレポート〉なら行き先と効果範囲を、〈品浮レビテート〉でも効果範囲をあらかじめ決めておかなければいけないからだ。


 だが敵地や危険な場所に潜入する場合の脱出用〈離位置テレポート〉や、不意打ちに対する〈衣蔽甲シールド〉などは、事前詠唱が極めて有効である。

 いずれの場合も効果範囲を自分に限定しておけるからだ。

 注意しなければいけないのは、魔法ごとに事前詠唱の有効期限が決まっていることである。

 安全上の理由から、暴発時の危険度が高い魔法ほど期限が短い。


 サナトゥリアがマティに感心したのは、〈衣蔽甲シールド〉の効果範囲を自分ではなくカイリに設定していたことにあった。

 とっさにカイリを守る必要がある場面をマティが想定していなければ、カイリはあの場で死んでいてもおかしくなかったのである。


「俺はまだ魔法の練習が必要だからね。〈離位置テレポート〉の詠唱は任せてくれ」


 そういうと、カイリが呪文の詠唱を始めた。

 初志の玉ガイドジェムは出ない。

 カイリが魔法の設定に慣れてきたというのもあるが、〈離位置テレポート〉は設定が簡単だからである。

 カイリが呪文を完成させると二人の身体がまぶしい白い光に包まれた。



 そして身体を包む白い光が消えたとき、二人は別の場所にいた。

 そこは対岸まで百メートルほどある池のほとりで、周囲の木々に数本の矢が残っている。

 三日前にエルフ族の威嚇射撃を受け、マティが〈離位置テレポート〉を唱えた場所であった。




 気づいたときには遅かった。

 その人物は〈離位置テレポート〉で出現したカイリとマティの目の前にいて、身を隠す余裕などまるでなかったのだ。


 きらきらと光る池の水面を背にして、その人物はこちらを見つめていた。

 カイリとマティがいる薄暗い森の中からは逆光になっていて表情を読めない。


 最初に言葉を発したのはマティだった。


「ここはエルフ族とドワーフ族が不可侵条約を結んだフェアリ族の故郷――妖精の樹海フェアリオーシャンです。あなたの名前と種族、ここにいる理由を答えなさい」

「…………」


 その人物が女だということはすぐにわかった。

 彼女の服装はカイリが知るチャイナドレスそのものであり、なまめかしい身体のラインがはっきりとシルエットに浮かんでいたからだ。


 逆に、彼女の首にあるものに気づくのには数秒の時間がかかった。

 チャイナドレスの立ったえりつぶすように、その細い首に付けられているもの。

 それは、首輪だった。



 - End of Folder 02 -



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る