File008. 予言書
(風呂の用意は自分でしよう。給湯設備の使い方がわかるかどうか……まあ、まずは浴室を探すところからだな)
風呂には早く入りたいと思っていたカイリ。
森の中を移動してもなぜか清潔さを保っていたマティとは違い、カイリは泥だらけだ。
しかも何日も水浴びさえしていない。
自分ではあまり感じないしマティに指摘されたわけでもないが、かなり
浴室を探しに行こうとしてカイリが立ち上がったときだった。
気になるものが視界に入った。
ソファのわきに隠れるように置かれた小さな四角いもの。
それは、小型のブックシェルフだった。
肉厚のカラーボックスと言えるくらいの小さなもので、二十冊から三十冊くらいの本が無造作に並んでいる。
「ん……?」
二、三度まばたきを繰り返すカイリ。
(これも魔法……か?)
並んでいる本の背表紙に日本語が書かれているように見えた。
(トランスレートとやらの魔法で、異世界の文字まで読めるようになったんだろうか。いや、でもな……)
明朝体やゴシック体のようなフォントの違いまではっきりとわかる。
それに、少し傷んで文字がかすれていることまで判別できる。
さらに半分以上消えている文字が混ざった単語でも、その前後の文字を読めることに気づいてカイリは確信した。
(プロ……ラム。真ん中の消えている文字は右肩に点々が見えるから、“プロ『グ』ラム”に違いない。……どうやら本当に日本語で書かれた本みたいだな)
過去に召喚されたカイ・リューベンスフィアたちも太陽が空を移動する世界から来たとマティが言っていた。
彼らも自分と同じ世界から召喚された可能性が高いとカイリは思っている。
(俺は身につけていたものと一緒にこの世界に転移してきた。過去に召喚されたカイ・リューベンスフィアたちの中に、本を手にしたまま転移してきた人がいたとしても不思議じゃない)
異世界の本ではなさそうだとわかって少々がっかりしたカイリだが、その目が一冊の本に吸い寄せられた。
多くの本の背表紙にはタイトルとともに“極秘”の文字が印刷されていた。
それらの本はシリーズになっているようで、いずれもタイトルの下に“独立行政法人 日本科学技術研究所”の文字が見える。
内部資料であろう堅苦しそうな本が並ぶ中で、カイリの目が釘付けになったのはそれらの本とは別の読みやすそうな一冊だった。
その本には“極秘”の文字がなく、一般向けの市販本だろうと思えた。
なぜなら本のタイトルが軽やかなポップ体のフォントで印刷されていたからだ。
「これは……」
思わず声を漏らすカイリ。
彼がその本に目を奪われた理由は単に読みやすそうだと思ったからではない。
手にした本の表紙の上を、カイリの指先が移動する。
そのタイトルには風呂のことを忘れさせるほどのインパクトがあった。
『沈まない太陽 ― その世界を終わらせるたったひとつの偶然 ― 』
ゆっくりと表紙をめくるカイリ。
それは科学に興味がある高校生向けに書かれたような本だった。
カラーの図解が豊富で、中学生程度の科学知識さえあれば日本語を読めない外国人でもおおまかな話の流れはわかるのではないかと思えた。
そして行間には、英語をはじめとした様々な外国語がところどころに書き込まれている。
「はは……まいったな」
瞬間記憶能力で速読するカイリは、十分ほどでその内容を頭に入れていた。
図解を目で追いながらでなければもっと速く読み終えていただろう。
カイリの手元で開かれているのは、
そこに発行日が記されていた。
『二×××年一二月一二日 初版発行』
それはカイリが生まれた年から約三百四十年後の日付だった。
つまり未来の本である。
そしてその未来の本に記されているのは、本が書かれた時代からさらに五千万年後の遠未来を予想する内容だった。
(この本が出る二百七十年前……つまり俺が召喚された日のたった五十年後から、どういうわけか地球の自転が減速を始めている……)
世界中の研究機関がシミュレーションにより出した結論によれば、この本が書かれた当時から約一千万年後に地球の自転速度は公転速度に一致して減速を止めるという。
月と同じだ。
月がいつも同じ面を地球に向けているのは、その自転速度が公転速度に一致しているからである。
地球の自転速度が公転速度に一致すれば、地球はいつも同じ面を太陽に向けることになる。
つまり、太陽は沈まなくなる……。
(なんてこった……)
電気も水道も整備されているのは、ここが童話の世界などではなく遠未来の世界だから。
ただし、そのインフラが五千万年後の今……マティが暮らすこの時代まで維持されている理由、周囲が緑に覆われた崖の上にまで供給されている理由については、まだわからない。
そして魔法の存在についても……。
高校生向けにわかりやすく書かれた本ではあっても、そこに引用されている文献や論文のデータは本物なのだろう。
未来のシミュレーション技術が導き出したさらに
それが現実となった世界に自分がいることをカイリは悟った。
「この世界は……五千万年後の地球だ。そして……あと一年で、この世界は滅びる……間違いなく」
カイリが漏らしたそのセリフは、
唯一の違いは、“二千年後”が“一年後”に変わったという点である。
小さなブックシェルフに無造作に並べられた本。
カイリはそれらが過去のカイ・リューベンスフィアによって持ち込まれたものだと最初は思った。
だが違うのだろう。
なぜなら、ここにある本こそフェアリ族に伝わるという“予言書”に違いないからだ。
予言書解読のためだけに、なぜわざわざ異世界人を召喚する必要があるのか疑問だった。
だが、そうではなかった。
古代に書かれた本を読み解くために、古代人を召喚していただけのことだったのだ。
大胆な話だが、実に理にかなっていると思える。
ただし過去からの召喚となると因果関係の矛盾……いわゆるタイムパラドックスが気になる。
(時間旅行はフィクションの題材としては面白いけど、科学的にはありえないとされていなかったっけ……)
過去が変われば未来も変わる。
それは歴史が変わるとか変わらないとか、人類が認識できるレベルの変化かどうかは関係ない。
存在したはずのものが存在しなくなれば、それは未来が変わったということだ。
その瞬間の前後でさまざまな物理法則が成立しなくなる。
それは召喚された瞬間に別の未来をたどる
(考えてもわかりそうにないな……)
自分がこの世界に存在することは間違いなく、それが未来の地球らしいという情報こそが今は重要だった。
マティの話によれば、初代カイ・リューベンスフィアは予言書の一部を読み解き、そこに“世界の滅び”と“世界を救う方法”、そして“魔法”が書かれていることを知ったという。
彼もまたこの本、『沈まない太陽』を読んだに違いなかった。
そこには“世界の滅び”に関する詳細が書かれている。
“世界を救う方法”と“魔法”については残りの本……“極秘”と書かれた読みにくそうな本の中に書かれているのだろうとカイリは思った。
まだわかっていないことはたくさんある。
電気や水道の供給について、五千万年前の本がほとんど傷みのない状態で存在している理由、そして過去からの時空を超えた“召喚”について……。
(“極秘”シリーズの中にすべてが書かれている気がする……。もしかしたら未解読の部分に、元の世界……過去に帰る方法も……)
予言書の一部を読み解いたという初代カイ・リューベンスフィアは、おそらく日本語をある程度読める外国人だったのだろう。
一部しか読み解けなかった理由は、日本語の難解な部分までは理解できなかったからだろうとカイリは推測した。
そして二代目以降のカイ・リューベンスフィアたちの解読がなかなか進まなかった理由は、彼らの中に日本語を読める者がいなかったからだ。
(だが、日本人の俺なら……)
いくらカイリに“瞬間記憶”の能力があるといっても、二十冊以上の本を読むには時間がかかる。
自分が興奮していることに気づいて、息を吐くカイリ。
肩の力を抜く。
「まだ一年もある。時間はたっぷりあるんだ」
そう言うとカイリは伸びをした。
「まずは風呂だな。それに、マティと仲直りしないと……戻ってきてくれるといいんだけど」
***
数十分後。
湯を流す音が聞こえる脱衣所に、泥が染み付いた制服のズボンが置かれていた。
そのポケットからカラフルな模様の布がはみ出している。
森の中でカイリが見つけた布で、緑色の果実を包んでいたものだ。
その布から緑色の繊維が勝手にほつれて木製の床板の上に落ちた。
三センチくらいの細い糸に見えるそれから、さらに細く白い菌糸のようなものがたくさん生えて毛虫のようになる。
白い菌糸はみるみるうちに床板の隙間にまで伸び、そこから床下へ潜り込もうとしているようだった。
カイリが風呂から出たとき、白い毛虫のような姿に見えたそれは
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