月曜日~come~

 僕の住んでいる島は小さくて、車だったらぐるっと一周一時間かからないぐらいで回れるぐらいの大きさだ。その小さな島の大半が山で、民家は港の近くに集中している。その集落の大半は漁師を生業としていて、僕の家もそうだった。

「勇気っ。お前またそんなわけわからない本を読んでるのか? そんな本ばかり読んでいないで、たまには外で遊んだらどうなんだっ。ゴロゴロしてるんだったら、漁に一緒に出るか?」

 真っ黒に焼けた肌に異様に目立つ白い歯で、ガハハと笑いながら父さんが言った。ガサツで、自分の価値観を押し付ける父さんが苦手だった。父さんにかかれば、いにしえの日本の偉大な文筆家の文章さえも〝わけわからない〟本になってしまう。僕は古文が好きだけど、まわりにそれを言っても理解してもらえないから、最近では好きなことを隠すようになっていた。

「…………」

 本をパタンと閉じると、自分の部屋に戻りベッドに突っ伏す。

「このままフツーに高校を卒業して、フツーに父さんのあとを継いで漁師になって、フツーにこの島で老いていくのかな……」

 色は白く身体の線も細い僕が漁師になるなんて、想像できない。かといって他の未来も想像できない。

「僕は────いったい何をしたいんだ? いったい何になりたいんだろう?」

 そう呟いて、身体を丸めた。




 その数日後。夏休みも後半に入っていた。自分の部屋でいつものように本を読んでいたら喉が渇いて。台所に飲み物をとりに行くと父さんに声をかけられる。

「おい、勇気。そろそろ先生を乗せた船が着くんじゃねぇか?」

 漁を終え、家で日の高いうちから酒を飲んでいる父さんにそう促され、僕はしぶしぶ家を出て港に向かった。

 だいぶ前に言われたから忘れていた。

 なんでも東京から偉い学者先生がこの島に調査に来るらしい。小さな島に宿泊施設なんてあるわけもないから、うちに泊まることになったと父さんがしれっと言っていた。たぶん組合の酒の席で、酔っぱらった父さんが安請け合いしてきたに決まっている。そのくせ面倒は僕がみろ、と言う。丸投げじゃないか。〝夏休みで暇だろう?〟って言われたって、めんどくさいことはいやなのに。

 だいたい学者先生なんて、気難しくって偏屈で、つまらない頭でっかちのおじさんにきまっている。頭の中で、趣味の悪い三つ揃いを着た恰幅のいい中年オヤジがポッと浮かんだ。くるんとカールされた口ひげを撫でながら、パイプとか咥えちゃって、頭にはベレー帽。我ながらひどい想像だとは思うんだけど、学者先生って人種を見たことがないからしょうがない。

「はぁ~。一週間どうやってやり過ごそうかな……。ほんと、めんどくさい」

 人付き合いは決して得意な方じゃない。むしろ愛想が悪い、無表情で何を考えているかわからないといわれる僕だ。一週間も知らない人の面倒をみるとか、苦痛でしかない。

「暑い……」

 流れる汗を袖で拭い、熱で歪む風景に眉をしかめる。不快指数が倍増だ。

 

 船着き場につくと、問題の船が港につけられ、タラップが渡されている。本島で買い物をしてきた人、自転車ごとおりてくる人、その人たちの後ろから、大きなキャリーケースを引いた人がおりてきた。


 そこだけ、空気が違った。


 空を見上げ額に手をあてた姿はとても洗練されていて、一目見て〝東京の人だ〟とわかった。白いパンツにVネックのグレーボーダーのタンクトップ。その上に薄いブルーグレーのジャケットを羽織っている。ジャケットは腕の途中までたくしあげられていて、その着崩し方がいちいちかっこいい。

 でも、一番かっこいいと思ったのは、その顔だ。

 太陽の光を浴びて柔らかく揺れる茶色の髪。やさしげな目元。すぅっと通った鼻筋。いつも笑みをたたえているであろう形の良い唇。ファッション雑誌から抜き出てきた人のようだった。予想していた〝学者先生〟とは偉い違いだ。しかもぐっと若い。まだ三十歳にもなっていなそうに見える。

 僕が無遠慮にじぃっと見ていると、僕の視線に気がついたその人がにこりと笑って僕に近づいてくる。

「ここの島の子?」

「はっはいっ」

 思わず声が裏返り、男の人がくすっと笑った。

「津村さんってお宅、知っているかな? 今日から一週間そこでお世話になるんだけど……」

「このへんの家はみんな〝津村〟っていいます」

「へぇ、そうなんだ……。困ったな……」

 男の人が下唇をぽんぽんと指で叩き、困った顔をした。その姿に、また、みとれてしまう。

「君も〝津村〟さんっていうの?」

 話しかけられていたことに遅れて気が付いた僕は、ハッと我に返り大きく縦に首を振った。

「あの……」

「ん?」

 その瞳に吸い込まれそうになり、踏ん張るように声をあげる。

「僕んちですっ」

 男の人は微笑んだまま首を傾げた。

「僕んちが先生のお世話をする〝津村〟ですっ」

 やっと言えた! なんで僕はこんなにドキドキとしているんだろう?

「もしかして、迎えに来てくれたとか?」

「はいっ」

 元気よく答えると、手を伸ばし頭を撫でてくれた。

「ありがとう。助かるよ。僕の名前は成井 秀人なるい ひでと。君の名前を教えてくれるかい?」

 うっとりするような優しい笑顔で僕に笑いかけながら、握手を求めてきた。その笑顔をみて、僕の心臓が掴まれたようにきゅぅっと痛い。苦しい。なんで苦しいのか、わからない。だから僕は────。

津村 勇気つむら ゆうき

 とだけ答えて、差し出した手も握らずキャリーケースを奪うように受け取った。

「こっちです」

 目を合わせず、ぶっきらぼうに言って案内する。でも先生は僕のそんな様子を気に留めることもなく、話しかけてきた。

「ありがとう。しかし、いい島だね」

 汗を拭き、あたりを見回しながら先生がそう言った。

 僕は戸惑っていた。先生を見ると────先生が視界に入ってしまうと、もう目が離せなくなる。微笑みかけられると、心臓が痛くてしょうがない。


 ────これは、何?


「〝いい島〟って、どういう意味ですか?」

「ん? 緑が濃くて豊富だね。自然がたくさん残っていて、虫たちがとても暮らしやすそうだ」

 それって田舎って言っているのと同じじゃないか?まあ間違ってはいないけど、改めていわれるとおもしろくない。しかも虫たちが暮らしやすいって、どういうこと?

「虫?」

「そう、虫。知っているかい? ここにはこの島だけに生息する珍しい蝉がいるんだ。僕は蝉の研究をしていてね。一週間その蝉の調査にやってきたんだよ」

「蝉、ですか」

「そう、蝉」

「蝉なんて調べて、何がおもしろいんですか?」

 しまった。必要以上に語尾が強くなった。僕はハッとして先生の顔を見る。すると僕の言葉に先生がクスクスッと笑う。

「おもしろいよ? 蝉は」

 そう言ってぽんぽんと僕の頭を叩くと、僕を追い抜かして歩き始めた。

 その後姿を目で追う。


 わからない。

 蝉のおもしろさも。

 この人を見ると、苦しくなる胸の理由も。


 わからない。

 まったく、わからない。




 ※※※ ※※※




 その日は村をあげて、先生の歓迎の宴が催された。ずいぶんと早い時間から飲み始めることに驚いていた先生だったけど、漁が朝早く、それこそ太陽が昇らないうちから始まると聞いて納得していた。

「成井先生~。うちのコセガレつけますんで、こきつかってやってください~」

 父さんが先生の背中をバンバンと叩いて、大きな声で話している。

「ありがとうございます。とても助かります」

 そんなやりとりをじっと見ていた僕の視線に気が付いた先生が、微笑みながら軽く手を振った。

「!!」

 僕の顔はカァッと赤くなり、それを隠すように慌てて背中を向ける。でもそれだけだと不自然だから、台所にビールをとりに行った。


 宴会は夜遅くまで行われて、僕は散会を待たずに自分の部屋へと戻りベッドの中にもぐりこんだ。柔らかな肌掛けの中で、きゅぅっと目をつぶる。すると先生の笑顔がまぶたの裏に浮かんで頭を抱えて壁側に向いた。今日あったばかりなのに、なんでこんなに先生のことが気になるんだろう。

 その時、カチャッとドアの開く音が聞こえて、誰かが部屋に入ってきた。

 誰だろう? 面倒だから寝たふりをしてしまおうか。そう思っていると、その人物はベッドへと腰かけた。

 ギシッという音だけが部屋に響く。

 誰? 父さん? 母さん?

 今更起き上がることもできず、そのまま息をひそめて気配を伺う。するとその人物はいきなり横になり、薄い肌掛けのふとんの中で丸まっている僕を抱きかかえるように寝入ってしまった。

 うそだよね? 誰? 僕が寝ているのに気が付いていない?

 僕はなんとかふとんから頭だけ出すと、後ろを振り返ろうとした。でもその拍子に耳に酒臭い息がかかり、ゾクゾクッとしてしまう。

「ん…………」

 艶っぽい声が聞こえてきて、僕を抱いて寝ている人物が先生だってわかった。わかった瞬間から、僕の心臓は激しく動きっぱなしで。

 もぞもぞと動き、抱きしめる腕をはずそうとするけどそれは逆効果で。僕をさらに強く抱きしめる。

「せ……んせ……っ」

 もうやめてください。そんな気持ちを込めて呼びかける。でも、おかしい。本気でイヤだったら、強引に払いのければいい。それなのに僕はなんでおとなしく抱きしめられているんだろう。そして僕のカラダは、なんでこんなに熱くなっているんだろう?

 クイッとカラダをひねられ、あっという間もなく唇が重ねられた。

 お酒臭い。

 それなのに、なぜか甘いキス。誰ともしたことがない、僕の、ハジメテのキス。

「せ……んンっ」

 二人の間に腕を入れ、先生を引き剥がそうとする。でもこの細腕のどこにこんな力があるのか、びくともしなかった。

 強引に舌が挿し込まれ、僕の舌を絡めとっていく。くちゅっぬちゅっと粘り気のある音が部屋に響き、僕の顔は恥ずかしさで真っ赤になった。

 先生、なにするの?これは、なに?

 薄い肌掛け越しとはいえ、こんなに強くカラダを押し付けられたら────反応してしまう。

「やめ……て……くださ……」

「すぅ…………」

 唇をずらし、やめてほしいと訴えた声にかぶさるように、先生の寝息が聞こえてきた。

「え?」

 涙目で先生を見ると、何事もなかったかのような清らかな表情で寝ている。

「うそ……」

 この中途半端に盛り上がってしまったココを、どうすればいいのか。僕は途方に暮れた。


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