蝉しぐれ

春日野ひかる

プロローグ



「そろそろ岸につくぞ」


 本島と離島を結ぶ連絡船の船上に僕、津村 勇気つむら ゆうきは立っていた。横には自転車がある。他所ヨソから来た人は驚いていたけど、離島から本島の高校に通っている僕が自転車ごと船に乗り込むのは至極当然のことで、本島へ買い物に行く大人達もみんなそうだったから特段変なことだと思っていなかった。

 そういえば東京から来た先生も驚いた顔をしていたっけ。

 くすっと笑うと、横にいる同級生の茂が不思議そうな顔をして僕の顔を覗き込んだ。もちろん茂の横にも自転車がある。

「勇気、なんか雰囲気変わったな」

「……そう?」

 そう言って笑うと、茂の顔が余計に驚いた顔になった。

「ほら、それだよ。前の勇気はそんな風に笑わなかった。夏休みの間、なんかあった?」

「…………別に?」

「今、ためたよな? なぁ、何があった? もしかして、ひと夏の経験とかしちゃった?」

 じぃっと茂の顔を見て、ふっと笑う。

「着いたよ。降りよう?」

 そう言って僕が自転車のスタンドを外し押して歩き出すと、茂も慌ててスタンドを外し後ろから追いかけてきた。

「マジで? なぁ、詳しく教えろよっ」

 本島に降り、真っ青な空を見上げる。


 〝ひと夏の経験〟


 それは本当に僕には未知の経験で――――。

 彼の人かのひとを想い、目を細めた。


 僕の、想い人――――。


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