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 演奏するのは彼女だとしても、その他の雑務は山ほどある。当日に向けてビラを刷って、ポスターを作って、その張り出し許可をもらって、音楽室の使用許可をもらって。

 そういう細々とした仕事は大体のところを僕が引き受けてこなした。結局その音楽室を僕らが使えるのは当日の最終の半時間だけで、他は吹奏楽部や合唱をやる団体に取られてしまった。体育館の舞台でやれよと思ったけど、そちらは演劇部やミスコンで埋まっているらしい。

 それから、僕と彼女は一緒に昼休みを過ごすようになっていた。イジメ回避のためが八割で、恋人っぽいことがしたいという布川の主張を受け入れたのが二割。公には、というよりイジメる側には文化祭のための準備と言い訳して見逃してもらった。

 彼女らは不満を隠そうともしなかったけれど、文化祭を盾に何とか押し通した。失敗したら困るのは文化委員である主犯格の彼女で、それが分かる程度の知能はお互いにとって幸いなことに、まだ残っていたらしい。娘を人質を取られた母親のような怨念こもる視線をもらったので、文化祭以降は布川のみならず僕もその標的に含まれるのかもしれない。今から憂鬱だった。

「その時は一緒にジャズでも聴きましょう」

 去年の僕をすでに知っている布川はそう言って笑った。


   ※


 文化祭当日はそこそこの来場数のようだった。近隣の学校や家族連れが訪れて、クラスごとの企画を覗き、部活の成果を見学していった。僕らの教室を覗いた客は机さえ移動されておらず、荷物置き場と化している状況に首を傾げた後、黒板や入口付近のポスターを見て納得したように廊下へと戻っていった。

 そこには音楽室でピアノコンサートをやる旨とその時間が軽快なポップに記されており、ポスターとしての役割を十二分に発揮していた。作ったのは僕だけど、あまりにも可もなく不可もなくな出来で、僕のひととなりをよく表していた。

 当の僕と布川は相変わらずの二人きりで文化祭を回っていた。お化け屋敷の生徒扮する貞子に悲鳴を上げたのは僕で、たこ焼きをおごったのも僕だった。彼女は緊張のためか、あまり熱中できていないみたいだった。

 緊張というより、それはどちらかと言えば恐怖だったのかもしれない。

「失敗したら嫌いになりそうです」

「ピアノを?」

「自分を」

 布川はたこ焼きを爪楊枝で解しながら僕を見上げていた。猫舌らしい。

「失敗とかするレベルじゃないでしょ。技量的に」

 そもそも自作曲だし。

「タッチミスとかじゃなくて、観客に理解されないかもしれないってタイプの失敗」

「それは……」

 あるかもしれないけど。確かに彼女の演奏は独創的すぎる。

「でも考え過ぎじゃないかな。単純に技術があるのは確かだし、何よりこれは文化祭の出し物だ。生徒がやる演奏にわざわざケチつけるような人は聴きに来ないよ」

 そもそも本来なら観客がきちんと集まるかも微妙なところだ。幸いにして音楽室での演目のトリだから、観客が一斉にハケるということさえなければ、何人かはそのまま残って聞いてくれるはず。

「私はあなたの目的を叶えたい」

「……」

 あまりに文化祭に向けた準備に忙殺されて忘れかけていたけれど、そういえばそれは布川の演奏を多くの人に認めさせることだった。

「だから自分が嫌いになりそう、か」

 愛されてんな僕。それ自体は嬉し恥ずかしなことだけれど、いつのまにか彼女の重荷になってしまっていたのは僕としても不本意だった。だからといって咄嗟に気の利いたことも言えず、それが心からの望みだったのだと自分にも彼女にも気付かせてしまう。

「大丈夫」

 その言葉を吐いて笑ってみせたのは、僕ではなかった。

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