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 次の日から、僕と彼女だけの文化祭に向けての練習が始まった。正確には彼女が音楽室で練習して僕はそれを聞いて感想を述べるだけだったのだけど。

 担任は例のことなかれ主義で、そのちょっとクラス企画としてはどうかと思われる負担配分な題目に、首を一度かしげただけで頷いてくれたらしいし、他のクラスメイトは当日までの一切お役御免という事実だけを聞き及び、すでにその内容にさえ興味さえなくしたようだった。

 当の文化委員の子は彼女がピアノを弾くと聞いて、何かしら馬鹿にする言葉や嫌味のいくつかを口にしたらしいけれど、最終的にはやはり当日、自クラスの当番なく他の企画を客として回れるという魅力に屈したらしく、実現する運びとなった、らしい。

「自分で提案しといてなんだけど、こんなワンマン企画。当日になってやっぱり差止めとかないだろうね」

「……知らないよ」

 彼女自身、そこまで乗り気というわけでもないらしい。そりゃそうだ。それでもこうして音楽室に通ってくれるのは、愛する僕のためが大半みたい。愛する僕って単語に一瞬顔が熱くなりかけたし、やっぱり単純に拒否するだけの押しが彼女には足りないのだろう、と思うことにする。

 彼女は僕との会話を打ち切るようにピアノを弾き始める。それは僕も知っている、『Take Five』だった。そういう聞かせる曲で話遮るのやめろよ、何も言えなくなるだろ。なんて演奏中には当然声に出さないけど、僕は思った。

「それで――」

 アレンジだらけで原曲の面影もなくした何かを弾き終わって、先に口を開いたのは彼女だった。

「本番で、私は何を弾きましょうかね」

「最初に聞かせてくれたやつがいいな」

「……恥ずかしい」

「何で?」

 何の報告だ。急にそんな感情を暴露された僕の方が恥ずかしい。

「あれはラブユー的な曲だから」

「……歌詞もないのに」

 当然、音を奏でるのは彼女のピアノだけである。演者の感情は音のみで何処まで通じるのか。それも素人同然の文化祭の観客に。

 そもそもラブユー的な曲なら世間にありふれている。どいつもこいつも誰ともしれない相手に向かってアイシテルの五文字を公衆の面前で。改めて思ってみるとそれってすごく恥ずかしい現象な気がしてきた。

「それでも、気持ちの問題です」

「……僕も色々君の演奏は聞かせてもらったけど、やっぱりあれが一番好きだな」

「相思相愛」

「飛躍しすぎだと思う」

 脱線ともいうのかな。

「だから、ねぇ。最初に言っただろ。僕は感動を共有したいんだ」

「……感動、ですか?」

「君の演奏を聞いた兄貴は、すごいけどこの才能はちょっと探せば何処にでもあるとも言ってたんだ。僕はそれが悔しくてさ。だって本当に最初聞いた時、救われてしまったんだよ。どうしようもなく。だからどうしても、僕はこの演奏が他の人にも認められるってことを証明したいんだ。兄貴の目は節穴だってさ」

「……はぁ。耳じゃないんですね」

 ピンと来ないような顔をしてた。

 僕自身、言ってることが自分の都合の押し付けもいいところなのはわかっているので、彼女に演奏を拒否されるならそれはそれで仕方ないだろうとは思う。

 僕はせめて、ただその気持ちを伝えておきたかっただけなんだ。

「ところで」

「ん?」

「告白の返事ってどうなりました」

 その件につきましては先日弊社へと持ち帰らせていただいてから現在に至るまで鋭意前向きに検討中なのですが、いかんせんデリケートなことも多い議題ですので、その検討内容に関しましては詳しい説明を控えさせていただきたく、後日改めてはっきりお返事をさせていただくという形で。

「というか脱線好きだね」

「脱線じゃないの」

「……?」

「取り引き」

「……えっと」

「……ラブユーがちゃんと届いちまえば、いくらでも弾いてみせるのですよ」

 つまり。うん、なるほど。

 彼女は首まで真っ赤になったまま、やけくそ気味に笑ってみせた。

 兄貴ごめん。兄貴より先に彼女ができた。

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