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「あ、これはちょっとすごい」
兄貴は開口一番にそう口にした。
それから約二分後、ヘッドホンを外してカセットテープを止めた。
「幼少時代に鬱屈抱えてそう」
「失礼だな、放っといてやれよ」
とはいうものの、兄貴がそんな感想を持ってしまうのもわかる。その曲は明るさや気持ちよさを一切排除して攻撃と拒絶だけで構成された音楽だった。序盤からマイナーコードを叩きつけるいびつな進行に、リズムの外れたメロディが乗る。それは本来なら小声で歌うべきところを汚らしいまでの音量で押し付けて、大して一番盛り上がるべきところで意地の悪さを見せつけるかのように音が退く。
どこの誰に向けてそんな狂気いっぱいの曲を作ったのか。
あ、僕だっけ。逃げたい。
「ここらへんメシュガーだな。こっからはたぶんジプシー」
その間にも兄貴はその曲を繰り返し聴いて、よくわからない単語を並べていた。それがまたしばらく続いて、兄貴はヘッドホンを外した。
「どうよ」
「これを目の前で弾かれたら逃げるのも仕方ないと思う」
ですよね。いや、別に擁護されたかったわけでもないのだけど。
「上手いな。分野を横断するセンスは感じる、けど」
「けど?」
「天才ってほどではないかな」
そういう兄貴は別に冗談を言っている顔ではなかった。
「……本気で言ってるの?」
「あぁ、このくらいの才能なら山程あるし。プロになったとして、ある程度まではいけるだろうけど、ヒットするかは運が良ければってくらいだと思う」
兄貴のやっかみかとも思ったけれど、しかし彼はこういうところに関しては公平だ。
「……」
「何か不満なのか?」
そう、僕はきっとその言葉が不満だったのだ。僕は手に持ったギターを手持ち無沙汰にいじってみた。昔、弾いてみろと渡されたことがあったけど、才能もやる気も足りず二日で挫折したことを思い出す。
「正直に言うと兄貴のセンスを少し疑ってる」
「……多少は好みあるだろうけど、まぁ人それぞれだろうし」
そもそも、と彼は言った。
「この曲は君のために書かれたものなんだろ」
そういえばそうだった。
「だから君にしか通じないような感情や気持ちが込められているのかもしれない。音楽だけのみならず芸術全般にはそういう理屈や議論をすっ飛ばして感性に直接訴えかけるものがある。君はきっとそのひとつを受け取ったんだよ」
「だとしたら――」
僕はその気持ちにどう答えれば良いのだろう。
僕はこの気持ちをどうすれば良いのだろう。
※
布川は今日の昼休みもイジメられていた。ついでに言えば昼休みだけでなく放課後も。担任の指示で時間が確保されて、文化祭で何をするかという話し合いをする、はずだった。布川にとって不幸だったのは、文化祭を主導する立場の文化委員が彼女をイジメる主犯格の女子で、布川にその役割を押し付けて早々に帰ってしまったこと。そして布川が司会をやるとなった途端、ほぼ全員が続いて帰ってしまったこと。
もちろんそれはクラスメイト同士で示し合わせたとおりのできごとだった。ひとつだけ手違いがあるとしたら、僕だけが一度帰ったふりをしてすぐに教室に戻ってきてしまったことだった。
彼女はひとりでまっさらな黒板の前に立ち尽くしていた。
僕が開けた扉の音に振り返る。
「布川さんも帰ればいいのに」
「……」
「責任取らされるのって文化委員か級長でしょ」
「私」
「……え?」
「級長、私です」
「……なるほど」
そういえば学期の初めに推薦と多数決という名の数の暴力で押し付けられていたな。ちなみに僕は図書委員だ。
「……どうしようかな?」
「さぁ?」
僕に訊かれても困る。
「助けに戻って来てくれたんじゃないんですか?」
「……そうなのかもね」
昨日の話がしたかっただけなんだけど。
「ピアノはいつから弾いてるの?」
「子供の頃から」
「今も習ってる?」
「ショパンなら」
顔を見合わせて、それが彼女なりの冗談だったのだと知る。
「兄貴に聞かせたら、兄貴もすごいって」
「それで録音してたんですか。告白の返事もせずに」
だからそれはもういいって。
「でも僕はすごいどころじゃなくて、頭おかしくなるくらいすごいと思う」
「……」
「そしてもっとたくさんの人とこの興奮を共有したい」
「……それで、つまり何が言いたいんです?」
「つまり……演奏会なんかどうだろうかって」
僕は黒板にそれを書き記した。
『布川のピアノソロコン』
そしてその少し下に一の字を入れた。僕の一票だ。
「これで過半数だね」
彼女は驚いたように目を丸くする。
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