Sakura in Wonderland🈡
「つまり、増幅された空間回帰能力、もとい時間回帰によって、この様な状況になった訳なのだな」
「ええ、そういう事になるわ」
「ふむふむ、その暴走を止めて頂き、なんと礼を言えばいいのだろうか。まさか名高き冷然院、その子女と刃を交えるなど、私の平穏な人生には似つかない。遥か極東の地での思い出作りにしては、やや遊びが過ぎる」
武装を解いた緋鎖乃とアゼルの立ち話は、平和そのもの。そこには凶悪であった兎も、トランプの兵士も、水の巨人も居ない。
「おい緋鎖乃」
潜めた声で、緋鎖乃に耳打ちする。
「なあに?」
「お前アゼルの記憶どんだけ消したんだよ? 大分忘れてないか?」
「強くなってしまったんだもの、仕方がないわ。彼の自業自得」
腕を組んで鼻息荒く言う緋鎖乃は、自慢気だった。あの交差の一瞬で、アゼルは多くの記憶を燃やされた。この世界で力が増幅された今の緋鎖乃にとって、人一人の人生を消し炭にするのに、多分多くの時間は必要ではない。
末恐ろしい。
「私は桜への思いだけを狙って燃やしたのだけれど……事に致るまでの経緯全て忘れているみたいね」
「上手く辻褄合わせておいてよ」
「分かっているわ。鎖子はそこで寝ている桜の心配だけしていればいいわ」
そう言って、緋鎖乃は桜に視線を落す。
私の膝枕で、ぐっすりと眠る桜を。
アゼルの記憶が消えて、恐らく全ては元に戻った。アゼルの婚約者として、そして、この不思議の国の主人公アリスとなった私の妹は、元の中学二年生に回帰した。
「それにしも、私が暴走していたとはいえ、この様な子供を手にかけようとするとは……ミサ殿、大変失礼をした」
「あ、いえ……別にもう大丈夫です……うう、なんだか不思議です。あれ程憎たらしい敵だった筈なのに……」
ミサとの敵対の記憶を失ったアゼルは、誰に対しても紳士的だ。私は過去のイザコザ全てを見ている訳じゃないから共感には至らないけれど、ミサの心中は察して余りある。
「ふむ……それにしても、不思議だ」
「なにが不思議なのかしら?」
「いや、一つどうしても分からない事があってな……緋鎖乃殿を初めとした、この場に居る者の能力、私を含めてだが、強化されているという事実。それが理解出来ないのだ」
「理解出来ないって、貴方の能力でしょう?」
「いや、私の能力は異空間生成。確かに、同姓のチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンに発想を得て、私は不思議の国を造り上げた。しかし、だ。こんなに広くもない。こんなに強くもない。なにより……他者の能力を増幅させる能力など、ある筈がない」
眉を顰めるアゼルを見て、私と緋鎖乃は目を合わせた。
「どういう事? これは、貴方の能力じゃない?」
「僅かな空間回帰を時間回帰にまで引き上げるなど、まるで神域の話ではないか。よしんば私がその能力を持っていたとして、ならば私はもっと強い。しかし、しかしだ。私はそんな能力を持ち合わせていないのだ。この世界に居る者の力を引き上げるなど……」
「クソガキ、お前はこの世界で強くなったんだろ?」
「は、はい! 私とミサは、アゼルを追ってこの世界に来て、それに気付きました。私は現実世界では
全ては増幅され、今に至った筈だ。
前提が、少しだけ、ずれる。
「ああ、そう言えば、貴方確かに言っていたわ。私達の前に再度姿を現した時、確かに言った。『これは私の能力ではない』、と」
緋鎖乃が言って、そんな言葉があった気がすると回想する。だとするならば、その能力は、アゼルに付与されたもの?
「しかし……御覧の通りだ。私は、記憶を失った。ミサ殿達と戦うまでの経緯……その周辺がごっそりと抜け落ちている。確かにそれ以前は、この様な能力はなかった。その後、私に何かがあり、そしてミサ殿達と争うに至ったのだ」
「って事は……緋鎖乃、消し過ぎだな」
私が冷ややかに視線を送ると、緋鎖乃が顔を紅潮させている。
こいつ、こんな顔するのか。
「ち、ちちちち違うわ。わわわわわ私はただ一生懸命――」
「あーあー責める意味で言ったんじゃないよ。まあ、別にいいじゃん。アゼルに付与されたこの能力がなんだってさ、取り敢えずは解決したんだし」
「そ、そそそそそそうよね、そうだわ。その通りだわ! 解決! 解決よ! ミサ、良かったわね! さあ、これで未来に帰りなさい!」
ここまで動揺するとは。流石実戦前、まだ精神が未熟だ。
「いつのまにやら、私達が未来から来た事も信用して貰ってますよね」
「そりゃあまあ、証明する手立てがないにしろ、否定する材料も少ないしな。それに、未来人だろうかなんだろうが、些細な問題だよ」
「そうですか? 大きな問題かと思いますけど……」
「桜が戻ってくれば、私はなんでもいい」
不思議の国の主人公、その青いドレスに身を包んだ、深く眠る妹を抱き寄せて、私は言った。
「オバさんは、桜さんの事が好きなんですね」
「当たり前だろ、妹だぞ。お前兄弟姉妹居ないのか?」
「一人っ子なんです」
「それじゃあ、兄弟姉妹が出来たら私の気持ちが分かる筈だ。お姉ちゃんっていうのは、妹と弟が世界一大事なものなの」
「今度、パパとママに頼んでみますね!」
そう言って、ミサは笑った。
「時にミサ殿、君のお仲間の内、一人がこちらに向かっているが、事の経緯は説明済みか?」
「え? あ! リリコ! 忘れてた!!」
「お前友達の事忘れんのかよ……やっぱりクソガキだな」
「違います! こんなに色々あったら忘れないものも忘れちゃいますよ! リリコ何処!? っていうか、アゼルさん何で分かるんですか!?」
「此処は私の造り上げた世界だ。人の出入りや動きは全て把握出来るに決まっているだろう」
「じゃあ、私等と戦ってる時も、動きは把握していたんだ」
「と、思う。今は記憶がないから定かではないが」
「あ、そっか」
と、アゼルの話に膝を打った所で、視界に一人の少女が飛び込んだ。
ミサと同じオーバーオールに身を包みながら、相対して髪の毛は黒のボブカット。
大きな瞳が特徴的な、小さな女の子。
「おーーーい! ミサー!!!!!」
「リリコー!!! 此処だよー!!!! 良かった! 無事だったんだね!」
「無事じゃないよー! 兎とかトランプにめっちゃ追いかけられたよ! 怖かったよ! もー、ミサ、いきなり穴に落っこちて消えちゃうんだもん!」
「ごめんごめん」
「って! あ、アゼル・ドジソン!!! な、なんで此処に!?」
「やあリリコ殿。安心したまえ、私はもう平気だ」
「はあ!?」
「説明するから、リリコ落ち着いて」
「ってか誰!? 誰!? 美人なお姉さん達誰!? そして寝ているのはアリス!? え!? なにこれ!?」
リリコとは初対面だが、ミサと比べて大分騒がしかったので、私は正直相手にするのが怠かった。
いや、彼女の状況を慮れば、当然の反応ではあるが。
「えっとね、取り敢えず、アゼルさんは仲間? かな、うん、仲間になりました」
「仲間!? はあ!? さん付け!? どういう事!? え、あ、違う! そうじゃない! 私、そんな事言いに来たんじゃない!」
「え?」
「この世界! 崩れてる!! どんどん壊れてる! 床とか空とか! 全部全部! 私、それから逃げて来たの!!!」
大騒ぎの中、リリコは自分が走って来た方を指差す。
アゼルのワンダーランド、不思議の国は、田舎道が続く広大な土地を、涼し気な快晴が見下ろしている。
その筈が、崩れている。確かに、地平の向こうが、黒く、欠落している。
「ああ、記憶が消えてしまった時に、もしかしたら能力になにか影響が出たのかもしれない。恐らく、維持していた世界が戻ろうとしている。崩れている」
「記憶が消えたってなに!? 緋鎖乃さんにでも斬られたの!?」
「ええ、私が斬ったわ。燃やしてしまった」
「え!? え?! お姉さんが緋鎖乃さん!? 冷然院の!?」
アゼルの言葉を飲み込むのに必死だというのに、唐突に突き付けられた事実にリリコが更に混乱している。そこら辺のリアクションは既にミサで見ていたので、私と緋鎖乃にとっては新鮮さはない。
「おいおいアゼル、世界が崩れていくって事は……私達は吐き出されるんだろ? 何処にだ?」
「それは勿論、元の世界に決まっている。鎖子殿達から見れば、未来だ」
「え!? 鎖子!? 鎖子って東雲の!?」
周回遅れのリリコはシカトした。
「ちょっと、それでは困るわ。アゼル、私達を助けてくれないかしら?」
「冷然院の子女の頼みとあっては断れぬ、などと冗談はいいか。勿論だ、この世界で外に出す事は容易。何せ、此処は私の世界なのだから」
言って、アゼルが手をかざすと、私達がこの世界に飛び込んだ時と同じ黒い円が空間に浮かび上がった。
「出口だ。此処を通れば、君達が入って来た場所へと戻れる。君達が入って来た時の記憶はないが、君達自身には何処からこの世界に侵入したかの情報は残っている。この世界への招待客は、元の場所に戻れる。もっとも、リリコ殿によって回帰させられたこの空間は崩壊と共に徐々に未来へと帰る筈だ。早く出ないと、同じ座標の未来に吐き出されてしまうぞ」
「それじゃあ鎖子、お暇しましょう。このままでは、私達は未来に行ってしまうわ」
「それも悪くないけど」
「冗談言わないで」
半分冗談ではないのだけれど。
「それにしても、急な話で何とも……折角未来人と出会えたってのに、落ち着かない別れだなあ」
「オバさん、そういうの気にするんですね?」
「別れ際は美しい方がいいよ。バタバタして帰るのは馬鹿のする事」
「じゃあオバさんは馬鹿だ」
「ブッ飛ばすぞクソガキ」
「えへへ、でも、大丈夫ですよ。その内会えますから」
ああ、そうか。そうだった。
ミサとリリコ、そしてアゼルの口ぶりからも、それは分かってた。
私達は、恐らく未来で面識がある。この逸脱した世界に身を置く同士、何処かで繋がっている。
それなら、こんな別れも、悪くはない。いつか、出会うのだ。この少女達と、私は。
「鎖子さん、緋鎖乃さん! 本当にありがとうございました! 私とリリコだけじゃ……とても……」
「困っている子供を助けるのは大人の役目だ。子供が気にするんじゃない!」
「鎖子、私達まだ成人していないわ、子供よ?」
「クソガキに比べたら大人だろ!」
桜を抱えながら、緋鎖乃にツッコむ。
「それじゃあね、ミサ、リリコ、アゼル。近い未来で出会うみたいだから、こんな別れでも、寂しくはないわ」
「はい! 緋鎖乃さんは大人ですね!」
「私への当てつけか?」
「違いますよ、えへへ」
一応、ミサにチョップを入れる。
「わー、一瞬でしたけど、今回はミサがいっぱい助けて貰ったみたいで、ありがとうございました!」
「それではまた会おうではないか!」
次いで、リリコとアゼルの別れの言葉。こんなに慌ただしい別れでは、感慨の一つもない。
「先、行くわ」
緋鎖乃は、この世界に来た時の様に、軽快に黒い穴へと飛び込んだ。私も、それに続く。
「じゃあね、リリコ、アゼル」
「ちょっと! 私! 私を忘れないで下さい鎖子オバさん!」
「五月蠅いなあ、じゃあな、クソガキ!」
「ムキー! クソガキじゃないです!!」
そうして、わざとらしく頬を膨らませるミサに笑いかけて、私も穴に飛び込んだ。
急な帰還は、後ろ髪を引かせる事を許さない。刹那を駆け抜けたほんの僅かな冒険は、あっけなく幕を降ろしてしまった。
未来からの時間回帰なんていう奇跡という言葉では足らない異常は、こうして終わった。
未来の異空間生成師、アゼル・ドジソンを王とする限定国家。
騒がしい遅刻癖のある兎達と、トランプの兵士、そして水の巨人が住まう、空想世界。
それは、夢の様に消えてしまった。
私の妹がアリスとなって迷い込んだワンダーランド。稚拙で継ぎ接ぎだらけの物語は、兎が私達の前に慌ただしく現れた時の様に、慌ただしくエピローグを捲る。
サクラ・イン・ワンダーランド。それはまるで、御伽噺みたいな。
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