Sakura in Wonderland④
「さあ! 行きますよ!」
一緒に連れて行って貰える事でテンションが上がったのか、オーバーオール姿のミサは、浮遊する穴の前でぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「ああ、ガキだなあいつ」
「当たり前よ、まだ九歳なんだもの。鎖子だってああいう時があったのよ?」
「私はその一年後には桜を連れて大脱走だ。多分あそこまで明るくない」
「重い話を差し込むの止めてくれる?」
新調したスニーカーを履き、壊れた玄関口からミサを見る。あの中でミサがどの様に戦っていたかは知らないが、同年代の中ではしっかりしている方なのだろうと思ったが、こうしてみると実に九歳らしい。
「鎖子、これは持って行く?」
「ん?」
私が玄関を跨ぐと、後ろから緋鎖乃の声がかかる。振り向くと、手には桜の金属バット。傘立てにある大量の傘に紛れて、それは鎮座している。
「ああ、そうだな。向こうで桜が正気に戻るかもしれないし、そしたらトドメはあいつが刺したいだろ」
「桜ってそんな物騒なタイプかしら?」
「意外と根に持つタイプだ」
緋鎖乃は首を傾げながら、重たい金属バットを剥き出しのまま持って立ち上がった。
「あ! それ! 東雲桜さんの金属バットですね!」
「お前本当私達の事詳しいのな。怪しい、やっぱり敵か?」
「ち、違いますよ! だって有名人ですもの!」
「緋鎖乃や桜はそうだが、私なんて雑魚だ雑魚。よく知ってたな?」
「なに言ってるんですか! 今や東雲鎖子を知らない人なんて居ませんよ!
ミサがやたらと仰々しい言葉で私を褒め称える。悪い気分はしない。
「なあ緋鎖乃、私ってそんなに強いのか? 有名人か?」
「さあ? 十分強いとは思うけれど、一騎当千なんて言葉、鎖子には荷が重いわ。姉様や一片さんにこそ似合うと思うけれど」
「
「叔父様は一騎当千というよりは、一対一を千回繰り返して全勝するタイプだから」
「緋鎖乃は細かいな」
「鎖子が大雑把なだけよ」
呆れた様に手を広げる緋鎖乃。金属バットを持っているので、振り回す形になって危ない。
「穴に飛び込む前に確認だ。クソガキ、お前の能力は? それくらい明かせるだろ?」
「クソガキって止めて貰えますかオバさん」
「なぐ」
「言います」
「全部言わせろよ」
私の言葉を待たずに、ミサの全面降伏宣言が公表された。
「ただ、中に入ってからにして下さい。ちょっと恥ずかしいので」
「恥ずかしい? 出来れば入る前に明かして欲しいわ。私は完全に貴方を信用した訳ではないから」
「うっ、それも分かってます。入ったら直ぐに見せるので、待っていただけると……どうか、どうか……」
手を擦り合わせて深々と頭を下げるミサ。あまり後ろめたさを感じない態度に、緋鎖乃もそれ以上追及する様子はなかった。
「じゃ、中に入るか。これ結構狭いな」
「鎖子の胸が突っかからないかが心配ね」
「セクハラだ。慰謝料五百万」
「羨ましいんだもの。厭味の一つも言いたくなるわ」
思わず目を丸くする。緋鎖乃、意外と気にしているのか。私はスタイルが良く見えるからそれが羨ましいのだけれど、それを口にしたらそれこそ厭味ったらしい。隣の芝は青く見える。
「順番は?」
「私が先頭、間にミサ。最後が鎖子」
「了解」
「分かりました!」
緋鎖乃は指差しで指示をすると、間髪入れずに穴の中に飛び込んだ。
「わっ、緋鎖乃さん直ぐ行きましたね……」
「度胸あるからなあ。ほら、クソガキも行け行け」
「ぐっ、オバさんも遅れないで下さいね!」
ミサの背中をぐいぐい押すと、嫌な顔をしながら穴に飛び込んだ。遅れずに私も穴へ飛び込む。
「っと」
異空間転送は鬼束商店街で慣れてはいる。カラフルな空間や暗い道を転がって行くのを連想するけれど、異空間移動はいつだった一瞬だ。
穴に飛び込んだ私は、直ぐに着地した。目の前に広がるのは石畳の道。そして、白い壁の家が建ち並ぶ。
確か、地中海に面する街並みがこんな光景だった筈だ。教科書で見た憶えがある。それは確かに私の記憶にはあるけれど、やはりあの不思議の国には符合しない。
「こんな場面あったか?」
「ないわ。少なくとも私の記憶には」
「だから言ったじゃないですか。あいつはアリスの事なんてなんにも知らないんです。あいつにとって都合のいい異空間。アゼル・ドジソンにとっての不思議の国なんですから」
心地の良い風が頬を撫でる。照らす日光は目に少し染みて、居心地自体は最高だった。磯の香りがないのと、海が見当たらないのが残念ではあるが。
「で、私の妹は何処に?」
「恐らくアゼル・ドジソンの城に居ると思われます」
「城って……あははは、なんだそいつ、馬鹿なのか、馬鹿なんだな?」
「馬鹿ですよ、あいつは大馬鹿です。自分を王子様かなにかと勘違いしているんです」
「じゃあ、攻城戦と行こう。緋鎖乃――」
私達の相手は、脳内がお花畑の馬鹿野郎じゃないかと、ひとしきり笑ってから緋鎖乃に振り返る。
石畳で、金属バットが跳ねる音が反響する。投げ捨てられたそれが、ゆっくりとバウンドするのが見える。
既に緋鎖乃は、抜刀していた。
「……あ?」
抜刀した緋鎖乃は私に背を向けている。その先に、居た。
建ち並ぶ家の間から、ぬるりと現れる。それは辛うじて人型を形成しているけれど、大きさが異質だった。恐らくは、三メートルを超える。
そしてなにより異質なのは、日光に透けるその体。巨人の体をすり抜ける光が、石畳に映し出されて滲む。それは、水族館の通路で揺れる水槽からの光と同じだ。
だから、巨人の体は、水で出来ていた。
頭と思われる部分には目も鼻もなく、ただただ人を模った水が、歩いていた。
「……緋鎖乃、なんだあれ」
「さあ。私は実戦の経験がないのだから、ここは鎖子にご教授願いたいところだけれど」
「そんな経験に乏しい緋鎖乃に、臨戦態勢への移行速度で大敗しているんだから立つ瀬がない」
「自分の技量を嘆くのは後にして」
「手厳しいな。あれは……ゴーレムかな?」
「ユダヤの人形術ね。でも、ゴーレムって泥や金属じゃないの?」
「動けばなんでもいいんだろ」
「対処法は? 斬ればいいのかしら?」
「術者を狙うか、核を破壊してやればいい。まあ、此処からじゃあ、どっちも見当たらないけどな」
建ち並ぶ家の上から周囲を見渡したかったが、ゴーレムの速度が読めない以上下手に動く訳にはいかない。此処から見る限り、弱点がない。
「あれはそんな代物じゃないですよ。ただの水。水が動くだけの生物です。ただそういう風に存在しているものです」
ゴーレムを凝視する私の視界に、ミサが割り込む。手には、緋鎖乃が放り投げた金属バット。
「はあ? なんだそれ、どういう事だよ? 水が実体って事か?」
「そういう事です」
「そんな生物……神話レベルだろう?」
「いいえ、ただの夢想です。ただの御伽噺です。ただの絵空事です。でも、いいんです。そんな出鱈目でいいんです。だって此処は、アゼルの不思議の国。遅刻中の兎を追いかけてアリスが迷い込む、ワンダーランドなんですから」
言いながら、ミサが金属バットを担ぎ挙げる。
「だから、誰だって最強なんです。ここは御伽の国、不思議の国。世界最強の空想空間。私の夢も、あいつの夢も、なにもかもが叶う場所。ですから、緋鎖乃さんが出る幕もありません。そして、これが私の能力です」
ミサは構える緋鎖乃を制しながら前に出て、金属バットを構える。
瞬間、スタート。石畳を蹴り飛ばすミサのスピードは、私どころか、緋鎖乃よりも早い。駆け出しながら金属バットを振り上げると、ゴーレムとはまだ距離のあるところでそれを放り投げる。バットは、ゴーレムを避けて暴投。顔付近を掠めて飛んでいく。
それに合わせて、ゴーレムが水の腕を振り上げて、ミサに振り下ろす。
「ば――」
か野郎と言う前に、それはミサに直撃してしまう。始動を始めた緋鎖乃も、きっと間に合わない。
ゴーレムの強度は分からない。けれど、振り下ろした腕は水なのだから、ただミサがびしょ濡れになるだけ、なんてギャグで終わる訳もない。
ただ私達は、少女の轢死体が出来るのを傍観するしかなかった。
そう思った瞬間。
「たあ!!!!!!!!」
破裂する音が響く。音の方を見やれば、ゴーレムの頭部が破裂している。見事振り抜かれたのであろう金属バットで、巨体の頭が消え失せる。
ミサの言葉に相違なく、それはそういう生物だったのであろう。生物が頭部を失えばそうなる様に、ゴーレムは支えがなくなり、倒壊する。
ばしゃんと、大量の水が石畳を叩いて散った。此処だけスコールが襲ったみたいに水浸しで、飛び散った水が私と緋鎖乃の視界を一瞬だけ奪う。
その水を拭って、視界を取り戻す。真っ白な壁に反射する日光が散った水に呼応して、薄く虹がかかっている様に見える。
その中に、立ち尽くす。
私達の間を駆け抜けて金属バットを放り投げたミサ。
そして、金属バットを受け取り、ゴーレムの頭部を撃ち抜いたミサ。
私達の目の前には、二人のミサが立っていた。
「これが私の能力です。お二人はご存知かと思います。この不思議の国で絶対的に発揮される、私の力」
それは、私にとっては日常に近い光景だった。
「私の能力は、
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