閑話
「ねえ、あいつ追い出そうよ」
「だーめ。商店街の皆は家族同然なんだから。ひー君だって一緒」
舞香はそう言いながら、食器を洗っている。舞香が作ってあたしが食べる。珍しくない、いつもの光景だ。
「それは分かってる。分かってるけど、どう考えても今回の件は度し難い。ううん、そんな言葉じゃ足りないよ。あいつ、イカれてる」
域神歪はネジが外れてしまった。オカしくなってしまった。それが何時かは分からない。もしかしたら、生まれた時からそうだったのかもしれない。
でも、おかしくなってしまったあたし達の中にあって、あれはそれ以上だ。それ以下だ。あれは、存在するべきではない。
あたしが商店街の一員になった時には歪は舞香の隣に居たから、舞香は気付かないのかもしれないけれど、絶対に間違っている。
あんな男、生きているべきではない。
「……舞香は、あいつの事庇うよね」
「だって、私は商店街の責任者だから」
本当は違う癖に。
舞香はあの男の事が好きだから。至極単純で、一番強い気持ち。
理由とか、過程とか、整合性とか、道理とか、そういうのは全部無駄だ。好きって気持ちの前では砂塵に等しい。男女の仲を理で結ぶのは、滑稽で浅薄だ。
あたし達が生活していた鬼束商店街。普通から逸脱し、その世界の中で商店街として機能していたあたし達の街は、滅茶苦茶になってしまった。
あの男の所為で。あの男の勝手で。
「舞香の家族は、皆死んじゃったんだよ?」
それなのに、それなのに、それなのに。
「ひー君だから、しょうがないよ」
舞香は洗い物を終えると、新しく出来たばかりのカウンター席に腰かける。
あたしの、隣。
新しいお店は綺麗で、前の汚らしい商店街の老舗、といった雰囲気とは一線を画す。雑誌に紹介されていそうなカフェテリア。それなら、お店の名前も変えれば良かったのに。
あたしの病院も新しくなったし、琢部と愛羅さんのお店も新しくなった。
勿論、歪の書店も。
どうしても欲しい本だったんだ。
歪は、悪びれる様子もなくそう言った。
歪が盗み出したのはホムンクルスの製造書。神に抗う人造の術は、神を信仰する集団によって地下に保管され、五百年以上が経過していた。
歪は、それを奪った。当然に、その足取りを追われた。禁忌の人造方法を記した原典を取り返すべく怒り狂う集団と、あたし達商店街の全面戦争は、あたしと舞香、琢部に愛羅さん。そして、歪を残して終結した。
神を祀り上げる集団は歴史から姿を消し、商店街はその殆ど失った。舞香の家族も、歪の家族も死んでしまった。
それなのに。
「綾魅は、ひー君の事が嫌い?」
「嫌いに決まってるでしょ。誰があんなの好きになるの?」
あたしは収まらない怒りをそのまま込めて、舞香を睨んだ。
「じゃあ、ひー君を追い出さない私の事を責める?」
本当に、性悪だ。
全部分かってる癖に。答えを知ってて、そう聞いてくる。
でも、もういい。甘やかすのは止めだ。言ってやらなければならない。
舞香にだって、がつんと、言ってやらねば。
「本当に馬鹿だと思う。責任者として、心から間違っていると思うよ。あんたがあいつを追い出さないなら、あたしが此処から出て行きたいくらい」
「でも、綾魅まで居なくなったら、私困っちゃうな」
そうやって固く覚悟を決めて一歩踏み出したのに、簡単な一言で全部吹き飛ばしてしまう。
この女は、本当に最悪だ。
けれど、想定内。舞香の最悪なんて、分かり切ってる。
だから、方向性を変える事にした。あたしの、とっておき。
「新しい商店街を作って、空間を作り上げて……幾ら使ったの?」
「お店はそうでもなかったよ? ただ、特定条件で発動する移送トラップを二重にしかけたこの空間を作るのは、流石にね……商店街の財産ぜーんぶ使っちゃった」
「幾ら?」
「なんで?」
「いいから」
苦笑いの舞香に詰め寄って、目線を合わせる。
「ご……五百億……くらい」
「……はあ……」
眩暈がする。それでも、可能性がない訳じゃない。
「じゃあ、あたしが買い取って、あいつを追い出すよ」
「え?」
あたしの、夢。
「あたしが商店街を五百億で舞香から買い取る。全部全部買い取る。なにもかも、一から百まで買い取る。そしたら、あたしのものだから、あたしの自由」
舞香は一瞬目を丸くしてから、頬を一回膨らませてから噴き出した。
「……くっ……あっは、なにそれ綾魅。流行りのやつじゃん。どっかの社長にでも感化されたの? やめてよ、あっはっ」
手を叩いて笑う舞香に、もう一度言った。
「全部買い取るから、責任者も含めて、全部ね」
「私も? なにそれ」
「だって、丸ごと買い取るんだから、しょうがないでしょ? 舞香も入ってるのは、しょうがない」
「はいはい分かった分かった。よく分からんないけど、頑張ってね」
言質は、取った。
全部あたしのモノにする。この大きく壮大な商店街に隠して、あたしのモノにしちゃうんだ。
高校に上がる直前の話。あたしが子供の頃の、話。
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