神出鬼没の商店街⑥

「げほっ」


 多分、地面に強く叩き付けられたのだと思う。思う、というのは、実際にはなにが起きたかまだ整理が出来ていないからだ。


 強く打ち付けた右半身が痺れる。頭の中がぐわんぐわんして、耳鳴りが酷い。


 ああ、そうだそうだ。お店を出て、誰かが鬼束食堂に入っていった。直後に、爆音。恐らく、爆発が起きたのだろう。そうして私は吹き飛ばされた。


「鎖子ちゃん! 玉子ちゃん!」


 痛む体で思考が緩やかに始動して、直ぐに叫んだ。心配と焦燥が入り混じる感情を全部吐き出すみたいに大声を放つけれど、その後が続かない。


「……なんで……」


 商店街に通る道はコンクリートだった筈だ。空色は夕暮れ、橙色だった筈だ。風景は、シャッターの降りたお店が建ち並んでいた筈だ。


 目の前の景色は、何もかもが違っていた。


 私がへたり込む場所は、湿った土。接地した掌に泥が付着している感覚がする。汚れた私の姿を照らすのは、月明かり。森の木々の隙間から差すそれが、私の現状を教えてくれたけれど、混乱は増すばかりだ。


 此処は、夜で、森の中だった。先程まで夕暮れの鬼束商店街に居た筈なのに。


 訪れる前、現実世界では昼下がり、だから、只管に夜の帳が降りている事が不気味だった。


「さ……鎖子ちゃん!!」


 今度の叫びは、ただ不安を掻き消す為だけだった。周囲を見渡しても、暗い森が続くだけで、物音といえば微風にそよぐ木々の擦れる音だけ。


「鎖子ちゃん!」


「鎖子って、東雲鎖子?」


 不安の第二射に合わせた声に、振り返る。


 僅かな明かりに照らされたのは、男の人。月光の所為ではないと一目で分かる程青白い肌で、だぼだぼのジーパンと、Tシャツを着ている。その半袖から伸びる腕は、私よりも細く今にも折れそうだった。


「あっ……あのっ……」


「この状況で東雲鎖子を呼ぶ、という事は、東雲鎖子に関連のある人物だ。年の頃は東雲鎖子より下か? だとすれば、戸破の家に居るのは東雲桜、逆廻真凛、八王子玉子。ボクの記憶にない顔なのだから、東雲桜ではない。そして、この状況で涙を浮かべて狼狽しているのだから、あの地獄を抜けた八王子玉子ではない。だから、キミは逆廻真凛だ。はじめまして、逆廻真凛」


 決して早口ではなかった。けれど、この状況で耳を傾けるのに億劫でもなかった。私が落ち着くような声色。男の人の話しを聞く僅かな間に、自分が涙を浮かべているのだ、とそれを自然に拭う程度には落ち着いてしまった。


「は、はじめまし……て? えっと……」


域神いきがみひずむだ。鬼束商店街にある域神書店の店長。さあ、さっさと家に帰るといい」


「え? え? 帰るって……なんでですか!?」


「んん? なんでって、キミは先程東雲鎖子と八王子玉子の名を呼んだ。その三人で鬼束商店街を訪れた理由は、キミと八王子玉子に鬼塚商店街の存在を教える為だろう? ボクの店は商店街の最奥だ。綾魅はキミと会いたがっていたから直ぐに会ったと思うから、残るはボクの店だけ。そのボクと顔合わせをしたのだから、さっさと家に帰ればいい。用事は済んだのだろう?」


「いえ、そうではなく――」


「ああ、八王子玉子がボクと会っていないか。それでは帰る訳にはいかない。それでは八王子玉子を待つといい。ボクはそろそろ店に戻るからそう伝えておいてくれ」


「ちょっと待って下さいよ!!」


 そう言って私に背を向けて立ち去ろうとする域神さんを呼び止める。


「なんなんですかベラベラと! 私今混乱しているんです! 女の子が困っているのだから、もう少しこう……丁寧に状況を説明してくださいよ域神さん!!」


 不安を憤怒に変換して、半ば八つ当たりの形で域神さんに怒鳴る。私にしては珍しい行為。いや、こんな状況初めてなのだから、珍しいかどうかは分からない。こういう場合、私の普通はこれなのかもしれない。


「……キミはまるで舞香みたいな事を言うんだね。それとも、女性はそれが普通なのかな? それと、ボクの事は歪と呼んでくれ。ボ。だから、下の名前で呼んでくれよ。ああ、けれど、キミがもし東雲鎖子の事があって他人を下の名前で呼ぶのに抵抗があるのなら――」


「分かりました歪さん!」


 なんだか長くなりそうな気がして、途中で割り込んだ。


「それで、状況を丁寧に説明しろ、との事だけれど、どの程度説明すればいいだろうか? キミが商店街の事をどれ程理解しているかを先に聞いておかないと、説明が重複して――」


「わーわー全部です全部! 私、まだこちら側に来て日が浅いんですよ。なので、ずぶの素人の私にも分かるように説明して頂けますか?」


 分かった、私の声が大きくなる理由。少しイラついているんだ。混乱した状態で歪さんの長い言い回しは、最初こそ心の平静を取り戻す時間が貰えて心地良かったけれど、落ち着き払った今、それはただ冗長なだけだった。


「それではこの場所から説明しよう。此処は鬼束商店街の防犯システムの中だ。空間生成で生み出されたこの森の広さは、舞香の好きな児童小説に合わせて百エーカー。標高差はなく、ただただ木々が生い茂った森が広がっている。特にトラップはないから、キミの様な弱い人間が歩き回っても死ぬ事はないよ」


「防犯システム? あ、さっきの爆発!」


「キミのその汚れた姿を見る限り、爆心地に近い場所に居たのだろう。ボクは自分の店で本の整理をしていた。店外からの爆発音に気付いた時にはこれさ。鬼束商店街に居る鬼束舞香、丕火晶、日野浦琢部、日野浦愛羅、春比良綾魅、冷然院ヒルダ、そしてボク、域神歪に攻撃が加えられた時、強制的に商店街内に居る人間はこの場所に飛ばされる」


 歪さんが挙げたのは、鬼束商店街に居る人達なのだろう。春比良さんは名前を良く聞くし、冷然院ヒルダさんは、鎖子ちゃんが呼んだ名前。爆発の直前に私達の目の前に居た人だと思う。


 冷然院って事は、緋鎖乃ちゃんのお家の人だ。結構若そうに見えたから、お姉ちゃんかな? あれ、でも、外国の人っぽい容姿だった気もする。


「あれ、ちょっと待って下さい。防犯システムの空間転移だというのなら、攻撃してきた人達だけをこの場所に転移させればいいんじゃないですか? 一緒に来るなら、防犯になってないですよ」


「キミの言う事は尤も。けれど、空間転移を意図しない人間に強制させる訳だから、例えば自分を攻撃してきた人間だけを何処かに飛ばす、なんて身勝手を押し通すのは大変なんだ。ボク達は自分の我儘を押し通す為に願いを押し付けどうにかこうにかして能力を引っ張り出したけれど、それは大凡に於いて真っ当には叶っていない。あまり自分の身勝手に事は進まないんだよ。意図しない人間を指定の場所に強制移動させるなんて大技、転移範囲を選べるだけで十全だ。デメリットとして移動する人間の選択が出来ないくらい、お釣りがくるものだ」


「ええっと……つまり?」


「噛み砕くなら、そんなに都合の良い能力は早々ないって事。キミは分からないかもしれないけれど、人数の上限なく空間転移させるトラップというだけで、異常な世界に居るボク達にとっても異常なんだ。鬼束商店街を作った空間生成師はそれはそれは剛腕という事」


 そっか。私は、逆廻の血、可逆の逆廻。私の能力は、人体の時間を巻き戻す。それは皆が言うには常軌を逸脱する稀有な能力。致命傷をなかった事に出来るそれを、私は扱えない。時間は、私が意図しない程に巻き戻ってしまう。


 そういう事だ。全員そういう事なんだ。強力な能力には代償が付きまとう。それはきっと、在り得ない願いの代金。


 私達の願いは叶うけれど、それは決して、私達の願い通りにはならない。


「神様はケチなんだ。自由になるとしたら、身体強化や言語共有の願い位だろうね。だからこそ、それに分類される能力者は強力だ。の様にね。それじゃあボクは帰るよ」


「え、ちょ、ちょっと待って下さい! 私も連れて行って下さいよ!」


「勿論だ」


「え」


 刹那、景色が一転する。先程の暗闇に比べれば明るいけれど、その空間は薄暗かった。高い天井から吊るされたランプは、私の頭の上辺りまで垂れ下がり、それが弱々しく周囲を照らす。


 部屋の中は、本だらけだった。東城高校のオカ研の部室、そこに似ている。違う部分は、オカ研と違って本が散らかっていない。ぐるりと部屋を囲んだ本棚は、高い天井にぴったりとくっつき、ぎっしりと本が並べられている。


「こ、此処は?」


「ボクの店に決まっているじゃないか。域神書店、古今東西書物であるなら何でもボクに見せてくれ。ああ、ギガス写本の本物なんか大歓迎だ。と、こちら側に来たばかりのキミに言っても仕方がないか。こちらで生きていくのなら、その内手に余る本に出会う事もある。そしたらボクに一報をくれよ。この店の本棚に本を一冊差し込んだのなら、本を一冊持ち帰る事が出来る。それが域神書店唯一の規律だ」


 そう言って、歪さんは本棚から本を一冊引き抜いた。

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