神出鬼没の商店街⑤
そこはなんの変哲もなかった。お店の名前から、街にある少し古い飲食店を想像したけれど、シーリングファンが天井で回転する店内は、食堂というよりは喫茶店だった。木製の重そうなテーブルが二卓、それぞれに椅子が四脚。そして、木製のカウンターがキッチンとフロアを仕切り、そこに四脚、脚の長い椅子があった。
「いらっしゃいませ」
私達を出迎えたのは、黒いエプロンを腰に巻いた男の人だった。赤がかった茶色の短髪で鋭い目つき。恐らくカフェユニフォームであろう白いシャツな事もあって、清潔感のある爽やかな容姿をしていた。
ただ、それに似つかわない冷たい瞳と、鎖子ちゃんより少し大きい身長で、私の事を見下ろしていた。
「
「……えーと……」
「鎖子だよ鎖子! 東雲鎖子! お前脳みそ動いてんのか?」
「あー、東雲の失敗作……じゃあ、横のちっこいのは東雲の化け物か。もう一人は?」
「桜じゃないよ、顔が全然違うだろ? 本当こいつは……こっちのちっこいのが逆廻真凛、おっきいのが八王子玉子」
「あー、逆廻の落ちこぼれと赤雪の生き残りか」
無表情で私と玉子ちゃんを交互に見る。
「ちょっと!」
その視線に対して、玉子ちゃんはずいと前に進み出る。
「さっきから物言いが失礼じゃありませんか? 私は別にいいですけど、私の姉二人に対して侮辱的な発言は許せませんよ!」
おお、玉子ちゃん。私より年下なのになんて頼もしい。多分、琢部さんに対する鎖子ちゃんの対応に感化されたんだ。
「そーだそーだ、失礼だぞー」
私は、玉子ちゃんの後ろに隠れながら援護射撃を放つ。
「玉子、気にしなくていいよ。こいつは何言っても無駄だから」
「いいえ、鎖子さんが良くても私が許せません! 貴方! 私の姉二人に謝罪して下さい!」
腕組み踏ん反り返る玉子ちゃんは、鼻息を荒くする。けれど、男の人は相変わらずどこ吹く風といった無表情。
「あー……えーっと、悪かったな」
「悪すぎだ馬鹿!!!!!」
一瞬頭部が消えたかと思う程だった。鈍い金属音の正体が、フライパンで頭蓋骨を弾いた音と気付くのはもう少し後。
木製のカウンターの奥、厨房から飛び出した影が、男の人を殴りつけた。
「っつ……痛い」
「痛いじゃねえよ馬鹿! 痛覚働かせる暇あったら脳みそ動かせボンクラ! てめえはいつになったら物の言い方を覚えんだ、ああ? 埃臭ぇてめえの実家に叩き返すぞボケ!」
とても人の事を注意出来る人格とは思えない第一印象。しかし、現れた女性の容姿は、口汚なさに反して可憐と形容出来た。
茶色の髪の毛は腰まで伸びていて軽く巻かれ、彼女が罵詈雑言を吐く度に揺れる程に滑らか。鼻先がぴんと伸びて、目尻がとろんと垂れている。そして、男の人と同じく白いシャツに黒いエプロン。
一見すれば、とても大人しそうに見えるけれど、その口は止まらなかった。
「なんか言えよおい! なあ!?」
倒れ込む男の人に蹴りを容赦なく叩き込んでいる。電光石火のリンチは狂瀾怒濤。
「さ、鎖子ちゃん……ど、どうしよう?」
玉子ちゃんは突然の事態に開口してあわあわとしている。私は鎖子ちゃんに頼るのが精一杯。
「始まったよ……
鎖子ちゃんが呆れた表情で声をかけると、男の人に振り上げた腕が止まる。舞香さんと呼ばれた女の人は、肩で息をしながら髪の毛の乱れを整え、呼吸を落ち着かせると振り向いた。
「あら鎖子ちゃんいらっしゃい。お久しぶりね」
微笑みは天使の様だった。先程までの光景は幻なんじゃないかってくらいに眩しい。
「あらあら、初めましてかな? ……とっても可愛いお二人は誰?」
「ちっこいのが逆廻真凛、おっきいのが八王子玉子」
「んー! 話は聞いてる! 真凛ちゃんと玉子ちゃん! やっと会えた! 私、鬼束舞香! 此処の食堂のオーナーで、商店街の責任者です! よろしくね~。鎖子ちゃん、なんでもっと早く二人を連れて来てくれないの? こんなに可愛い子達を隠してるなんて、お姉ちゃん意地悪する子は嫌いだなあ」
口をワザとらしく窄めながら、上目遣いで訴えて来る。
「さ、逆廻真凛です……よろしくおねがいします」
挨拶をした直後、私は鎖子ちゃんの手を引いて舞香さんに背中を向けた。
「鎖子ちゃんっ、なになに? どういう事?」
「名乗っただろ。この鬼束商店街の責任者で、『鬼束食堂』オーナーの鬼束舞香さんだ」
「滅茶苦茶怖いよ!?」
「大丈夫大丈夫、あの人スイッチ踏まなければゲロ甘で気持ち悪い社交辞令マシーンだから」
「そんな事言っても――」
「鬼束舞香さん!」
あまりの衝撃に狼狽する私を他所に、彼女は元気だった。そう、八王子玉子は、此処でも同じだった。
「所在不明の鬼束商店街! それを統べる豪傑! どんな大女かと思っていましたが、なんて可愛らしい人なんでしょう!」
玉子ちゃんにとっては、先程目の前で行われた暴行は、あまり重要ではないらしい。いつもの様に瞳を輝かせ、舞香さんの手を取る。
「私、鎖子さんに此処に連れてきて貰って、本当に良かった……! こんな素晴らしい体験が出来るだなんて! 鬼束舞香さん、お会い出来て本当に光栄です!」
「えーなになにこの子可愛い~めちゃくちゃ可愛い~! 鎖子ちゃん鎖子ちゃん、あそこで寝てるゴミウェイターと交換しない?」
舞香さんは、玉子ちゃんの距離感の縮め方に嫌悪感はない様で、むしろ受け入れ態勢ばっちり、大らかに構えていた。
「玉子をやってもいいけど、そこの阿呆が家族になるのは勘弁」
「ああ、それもそうね。残念ながら、玉子ちゃんを手に入れる為のカードが私には不足している……うう……悲しい」
「
「綾魅ってば
舞香さんは大きくため息を吐きながら、玉子ちゃんの脇を抱えて、高い高いの要領で軽々と持ち上げる。舞香さんの身長は玉子ちゃんより低かったし、とても細身だったけれど、この世界に於いてそんな事は関係がない。
「ああ、そういえば鎖子ちゃんに綾魅から伝言」
「伝言?」
「商店街に来たら伝えてくれって言われてたの。逆廻の子、ホスピタルに連れてきなさい、だって」
「ああ、やっぱり」
「場合によっては無料にして貰えるんじゃない? それも、未来永劫」
「真凛取られるのは勘弁」
私を、連れてきなさい?
私は、鬼束商店街の事を知らない。そもそも、この逸脱した異能の世界に入ったばかりだ。私はこちら側で生まれたけれど、一度弾かれた。歪に願いが叶う境界線を飛び越えたのは、最近の事である。
それなのに、私を連れてこい、というのはどういう事なんだろう?
「それで、鎖子ちゃん今日は何用? 珈琲でもいかが?」
「んーいいや。今日は真凛と玉子の挨拶回り。お呼ばれしてる事だし、ホスピタルにも顔出して来るよ。ああ、玉子は此処にいていいよ」
「え! どうしてですか! ホスピタルって、春比良ホスピタルの事ですよね!? 私も行きたいです!!」
「あんたがあそこに行くと、不幸な絵面しか想像出来ないんだよ。ああ、玉子、此処にいれば、優しい優しい舞香さんが鬼束商店街の事を沢山教えてくれるよ? ね、舞香さん」
一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、舞香さんの表情が変わった気がしたけれど、瞬きが終わる頃には、またにこやかな舞香さんに戻っていた。
「もっちろん! 玉子ちゃん、お姉さんに聞きたい事ある? なんでも答えちゃうよー!」
「え! 本当ですか!! 知りたいです! 私、知りたい事沢山あります!!」
舞香さんに呼応して、玉子ちゃんがピンと高く腕を伸ばして挙手する。
「よし、玉子は此処に置いて、移動しよう」
「え? いいの、玉子ちゃん置いてって」
「いいんだよ。ほれほれ、さっさと行くぞ。じゃあね舞香さん、玉子をよろしく」
「さっさと帰って来てね、鎖子ちゃん。ほら! お客様のお帰りだよ! いつまで寝てんだ馬鹿!!」
私は鎖子ちゃんに背中を押されたからその光景を見てはいないけれど、恐らく床に倒れる男性が蹴り上げられたのであろう鈍い音が聞こえた。
「鎖子ちゃん、あの人平気なの?」
私は、思わず鎖子ちゃんに耳打ちして尋ねた。
「平気じゃないけど平気だ。あれはあれで大分頑丈だから」
「そうなの?」
「ああ、あいつは
「あ、じゃあ強い人なんだ。緋奈巳さんや緋鎖乃ちゃんの親戚?」
「遠い遠い遠い親戚だね。さっき話しているのを聞いてて分かる通り、コミュニケーション能力に欠陥がある。気配りとか気遣いって能力がマイナスに五乗くらいされているから、自分の機嫌が悪い時は話さない方がいい。二秒で地雷を踏んで来るから」
言いながら喫茶店、もとい、鬼束食堂の戸を閉める鎖子ちゃん。戸が閉まりきる直前に、また晶さんが舞香さんに蹴り上げられているのが見えた。
「また蹴られてるよ」
「いつもの事だから気にすんな。今舞香さん気が立ってんだよ。玉子置いて行かれて」
「え、そうなの?」
「あの人基本的に自分より若い女の子嫌いだから」
「えええ、とっても優しそうだったのに」
「さっき言ったろ、社交辞令マシーンって。あの人外面だけはいいんだよ」
そんな事を話しながら、私達は鬼束食堂を出て、来た道とは逆方向へと向く。真っすぐと伸びる商店街の道、私達がやってきたトンネルの方に背を向けて歩き出す。
そうしてほんの数メートル歩いたところで、私は音に振り向いた。音は、鬼束食堂の戸が横にスライドする音。滑りの良い戸だったので喧しい訳ではないけれど、誰かが追いかけて来たのかと思って振り向いた。
「ん?」
同様に振り向いた鎖子ちゃんが、声を漏らす。私と同じ事を考えて振り向いたのであろうその思惑は空振る。
背丈は一瞬で分からなかった。けれど、白い布を頭から被り、全身を覆った数人が、鬼束食堂に入って行くのが見えた。
「お客さん?」
「じゃない? 私達以外にも此処を利用する人は居る訳だし」
「玉子ちゃん平気かな?」
「初対面の人に非礼するタイプか? 床に転がってたバカウェイターとは天と地程礼節に差がある」
「そうじゃなくて、此処に来る様な人って、その、特殊な人な訳じゃない? だから、玉子ちゃん食い付いちゃって、相手の人がびっくりしちゃわないかなって」
「ああーそういうパターンか。真凛は頭が良いね、私はそこまで気が回らなかった――」
「あれ、鎖子じゃん」
豪く透き通った声が、鎖子ちゃんの言葉に割り込んだ。私達の進行方向からした声に、視線を向ける。
アッシュの短髪に青眼を備えた長身の女性がそこには居た。
「ヒルダさん」
「また怪我したの? あれ、お隣さんは?」
「ああ、逆廻――」
再度、鎖子ちゃんの言葉が遮られる。またもや音の発生源は、私達の視界外。
私にはあまり聞き慣れないそれ。なにかが炸裂して、なにかが吹き飛ぶ音。
轟音に形容されるそれは、爆発音。けれど、その発生源は分からなかった。背後からという事しか分からなかった。
爆音に若干の遅れを伴って、今度は爆風。
私は、ヒルダさんの存在を視認した瞬間に、吹き飛ばされた。
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