七個ないのが七不思議 Extra
「おはようございます」
六月十五日、冷然院緋鎖乃は、いつも通り遅い遅い目覚め。時間は昼下がり。和室でテレビを眺める私は、適当に返事をして台所を指差す。
「おはよう。ご飯、自分で盛って」
「ええ、それくらいは自分でやるわ」
古野野江のジャージ姿である緋鎖乃は、台所で大盛のご飯をよそって戻ると、正座をして手を合わせる。
「いただきます……あら?」
白米を口に運びながら、緋鎖乃が私をじっと見る。
「なに?」
「いえ……それが鎖子の元の姿なのね。私が以前貴方に会った時はまだ小さかったから、今の鎖子を見るのは今が初めて」
「あーそういやそうか」
私は立ち上がると、元に戻った長身を見せびらかす様に伸びをした。
本日の朝、朝霧深の解呪により、遂に私は元に戻った。古野野江潜入の仕事がないか、深が大分優秀であればもう少し早い復帰だったのだが、それは文句を言っても仕方のない事だ。
「どう、本当の私」
「どうと言われても……身長が高いのね、としか。リーチが伸びている……どうかしら、その状態なら、私に勝てる?」
「あんたとやって絶対負けるってのは、この状態での話だよ。変わらない変わらない」
「そう……私が桜に負けるのと同じくらい確実なのね」
そう言うと、少しムッとした表情をする。
おお、冷然院緋鎖乃、どうやら負けず嫌いなのか。先日の敗戦を引き摺っている様子だ。
あの日、重体の緋鎖乃を鬼束商店街、
緋鎖乃を死なせる訳にはいかないから、緋鎖乃に致命傷を、とは滑稽な話だ。
事が事であるから、冷然院へは事情だけを説明し、この三日間、緋鎖乃は戸破の家で預かっている形だ。
事態が緊急だった事もあるけれど、それ以上に、緋鎖乃を守る為の処遇だ。
「引き摺るなあ。そんなに気にする事?」
「そうね、意外と私もプライドが高いのかもしれないわ。けれど、その内諦められると思う。今回の事みたいに。ええ、そう。私は、多分……諦められる様になったわ」
そう言って、緋鎖乃がテレビに目線を映す。
ニュースが、古野野江学園の火災を報じている。不審火で全焼した図書館。細部までは報じられていないけれど、この世ならざる火炎は、その全てを燃やした。
あの日の出来事も、あの地下室も。
冷然院緋鎖乃と冷然院緋奈巳の炎が、古野野江の暗部を燃やし尽した。
緋奈巳さんとの会話の後、夜通し図書館の蔵書を外に運び出したのには骨が折れた。私達なりの気遣いだったのだけれど、屋上の扉が破壊された事と相俟って、この事件は奇妙に展開している。
決して収束しないのが申し訳ない。
「もう、この事は平気? ……な訳ないか」
「……昔ね、姉様が泣きながら帰って来た事があったの」
「ん?」
「何年前だったかしら……五、六年前の様な気がする。姉様の泣いているところは、それっきり見た事がないわ……恐らく、姉様にも私の様な事があったんじゃないかなって思ったの。今回の事で……もしかしたら、姉様にもって。だから、私はそれに付いて行かなければいけないわ。私は冷然院だから」
自分の死を望んだ彼女は、強い瞳でそう言った。
緋鎖乃はぶれていない。最初から、ただ只管に冷然院足ろうとしただけだ。だから、そうやって自分の中で納得しているのなら、今死を選ばない事は、優柔不断な訳ではない。
その意思の強さには、頭が下がる。
「そういえば、鎖子と桜はもうこっちに戻るの?」
「ああ、身体も戻ったし、仕事も終わったし。やっと学校に戻れる。今週中にはまた私も女子高生」
「そう……まあ、そうよね。鎖子に至っては、本来学年が違うものね」
「なんでそんな事……あ」
尋ねかけて気付いた。
緋鎖乃は、全ての悲劇を消したかった。究極的に無へと帰す為には、関わった全てがなくならなければならない。それは、自身の記憶に始まり、そして、自身の存在にまで至った。
完璧を求める故に、緋鎖乃は、自分の記憶を、全員から消した。それは、被害者だけに留まらなかった。あの学園に、緋鎖乃を知る人は、居ない。
「そこまでやる必要あったかって思ってる?」
見透かした様に緋鎖乃が言うので、思わず口籠る。
「ん……ああーいや、その……そんな事した手前、それを私は口に出来ないよ。緋鎖乃のやった事が間違いだとも思わないし。ただ、その、普通の考え方もするんだな。要は、友達が居なくなって寂しいって事だろ? 私達に戻って来ないのか確認したのは」
それはとても人間染みていて。いや、それは、十四歳染みている。普通の、極々普通十四歳と同じ考え方。
「寂しいわよ。だって、友達は沢山居たし、皆の事が好きだった。鎖子は私の事を冷血漢と思い過ぎね。私は普通、普通だわ。皆の記憶から私を消したのだって、事件の事もそうだけれど、もっと単純な理由よ」
「単純?」
「皆が友達を失うのが嫌だったのよ」
ああ、なんだ。
私は、今回緋鎖乃と一緒に居て、随分と大人びた子だなと思った。それでも、それを特別に思わなかったのは、緋鎖乃が冷然院の人間だから、むしろ当然の事と思って、そう接した。
けれど、実際はどうだろう。緋鎖乃は、只管に優しいだけで、本当に普通の十四歳。
ならば、それならば、全て逆行するじゃないか。
「私の記憶が消えれば……私が死んで、居なくなってしまっても、皆悲しまないでしょ? これは傲慢かも知れないけれど……少なくとも、私はそうだから。私が友達を失ったらとても悲しいから、きっと皆もそうだと思う。だから、消えてしまう私の記憶を消してしまおうと、そう思ったのよ」
この子は、一番辛い選択をして、あの夜に立ちはだかっていたんだ。
この子は、必死に考えて、自分だけが苦しい生き方をすると決めた。
「緋鎖乃、あんたは、もっと楽に生きていい。私は、そう思う。そんなに強い生き方、続けられるものじゃない」
私が言える言葉といえば、それくらい。
「買い被り過ぎよ。私は臆病なだけ。誰かが嫌な思いをするのが、嫌なだけよ」
それがどれ程強い生き方か、この子はまだ知らない。
だから、どうか、このままで。
それでも、どうか、この子が幸せになれますように。私には、願う事しか出来ない。
そこからは二人共無言。緋鎖乃が食事を続け、私はなにも考えずにテレビを見ていた。つい先日に殺し合いをした関係とは思えない程に弛緩した空気が流れる。
緋鎖乃がご馳走様と呟いて食器を片付けている時に、丁度玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー!」
深の大きな声が聞こえて、和室の戸が開く。
「おかえり」
学校を終えた桜と深、そして、玉子が鞄を下ろしながら和室に入って来る。
「鎖子さん、お客様」
「お?」
入るや否や、ただいまの言葉もなく玉子が不愛想に言う。いや、吐き捨てる。本来そんな事をする子ではないから、すぐにその原因に当たりがついた。
「やっほー、お邪魔します」
三人の背後から、緋奈巳さんが顔を出して手を振る。
「緋奈巳さん、来る時連絡してって言ったのに」
「いやあ、丁度駅前で三人の事見てね。それで一緒に」
本日は緋鎖乃のお迎え日。緋奈巳さんは、長い髪の家を揺らしながら、手に持った紙袋を机の上に置く。
「これお土産ね、皆で食べて」
「そんな気にしないでいいのに」
「こういうのは表面上嬉しそうに受け取っておけばいいのよ」
「そういうもん?」
「大人はね」
「分かった。ありがとう」
素直にお礼を言って、紙袋を持って台所へ。
「緋鎖乃、緋奈巳さん来たよ」
「あら、じゃあもう行かなきゃね」
食器を洗っている緋鎖乃に声をかけると、手際よく作業を終え、二階へと荷物を取りに上がっていく。台所は、和室への戸以外にも廊下に出る戸があるので、緋鎖乃は緋奈巳さんと顔を合わせずに二階へと行った。
和室に戻ると、緋奈巳さんは座布団に正座。その少し後ろで、玉子が今にも飛びかかりそうな殺気を出して体育座りしている。
「玉子、パンツ見えるよ」
「抱えているから平気」
「……桜と深着替えに行ったでしょ? 玉子も制服着替えて来なさい」
玉子は事これに関しては阿呆だ。恨めしそうな視線を緋奈巳さんに向けたまま、部屋を出て行く。
「ごめんね緋奈巳さん、玉子悪い子じゃないんだけど」
「ねえねえ、なんで赤雪のあの子、私にあんな敵対心バリバリなの?」
不思議そうな表情で声を潜める緋奈巳さん。気付いていないのが恐ろしいが、それを指摘すると緋奈巳さんも緋奈巳さんで面倒なので黙っておこう。
「さあ、なんでだろうね。緋鎖乃、二階に荷物取りに行ったよ」
「あら、そうなの。顔出さないから、てっきり寝ているのかと思ったわ」
「緋奈巳さん、まだ緋鎖乃と会ってないよね?」
「ええ。あの夜……血塗れの図書館以来、会ってないわ」
「だからじゃない? 多分、顔合わせ辛いでしょ。緋鎖乃は、色々気にしていると思う」
気にするな、という方が無理な話だ。
緋鎖乃の事を考えれば、きっと彼女の後ろめたさの要因は一つだけ。
自分は、冷然院足り得たであろうか?
そんな事を考えているに違いない。
「それは……そうよね。私、嫌われていたらどうしよう」
「ないない。その上、切り替えも出来てたよ。相変わらずあの子は強いままだけれど、これから先諦める努力をするって言っていた。昔の緋奈巳さんを思い出したんだってさ」
「昔の私?」
「そう。泣いてた緋奈巳さんの話。憶えあるの?」
「あー……あるわ。そう……そうね。私の……うん、昔の、話」
緋奈巳さんは回想しながら天井を見上げて、畳に寝転がった。私の知らない、過去の話。きっと、緋奈巳さんが諦めた話。
「……いつか話すわ」
「いいよ。詮索する程野暮じゃない」
「そう。それなら、緋鎖乃が降りて来たらすぐに帰るわ。色々ごたごたの後始末もあるから」
「大変そうだね。そういえばさ、緋奈巳さんに二つ、聞きたい事があって」
「私に? 恋のアドバイスなら出来ないわよ?」
「ごめん、絶対緋奈巳さんにはしない」
「なによそれ!」
緋奈巳さんの恋愛事情を知る身として、到底好みが合わなそうだから、とてもじゃないが相談する気にはなれない。
「失礼しちゃう。私の方が年上なのに」
「あーあーごめんって。それより質問。緋奈巳さんさ、期限は分からないけど、緋鎖乃が無実の証拠を見つけられなかったら、やっぱり緋鎖乃の事殺してた?」
もしもの話。あのまま、私があの夜に踏み留められた場合の世界。
「当然よ。冷然院として示しがつかないもの。確かに私達はこの国の為に骨を粉にして身を砕いている。そうやってご先祖様達はこの国を守って来たし、そうやって信頼を得て来た。冷然院の一強制は、諸外国の様な組織同士の軋轢を生まないから迅速に行動が出来る、なんていうけれど、別に私達を敵視している組織がない訳じゃない。そういうところを抑える為にも、緋鎖乃の死は必要だったでしょうね」
それは到底私には理解出来ないであろう苦労。この国最強故の憂鬱。
だからこそ、緋奈巳さんの言葉が嘘じゃないと分かる。緋奈巳さんは、緋鎖乃を殺したのだろう。あの夜のままだったのならば、きっと。
「そうだよね。じゃあもう一個。これは、質問というか、疑問かな」
「なんなりとどうぞ」
「今回の夜を踏破して思った。この事件さ、緋奈巳さんが出張れば、簡単に解決した事件だったと思う。私ですら一夜目で最後に辿り着いている。ならば、緋奈巳さんだって同じ。そして、緋奈巳さんをあの夜に足止めする事は、緋鎖乃には出来ない。緋奈巳さんは、私と桜が潜入させるのに丁度いいから、なんて言ったけれど、別にどうとでも学園には潜入出来る。それこそ、緋奈巳さんは大学生でもいいし、教員、事務員、なんでも出来たでしょ? それなのに、どうして私達に任せたの?」
投げかけた私、投げかけられた緋奈巳さん。少しの間を置いて、緋奈巳さんが上体を起こして私を見た。
一瞬だけ視線を合わせ口を開きかけて、緋奈巳さんはまた畳に寝転がった。
多分、私の顔を見るのを嫌がった。
「……自信がね……なかったのよ」
「自信?」
「そう。仮にね、緋鎖乃が今回の犯人だったとする。緋鎖乃が快楽殺人鬼で、己の欲望の為に白裏潤矢を殺していたとする。その場合、もし私がその確たる証拠を見つけたら、私はきちんと緋鎖乃を殺せただろうか?」
再度上体を起こした緋奈巳さんが、今度は私をじっと見る。
「私はお姉ちゃんだから……だから、もしかしたら緋鎖乃の行動に目を瞑ったかもしれない。だから、貴方を頼ったの」
「緋奈巳さん、それ、さっきの質問の答えと矛盾してる」
「いえ、していないわ。冷然院としての私の答えと、緋鎖乃の姉としての答え。だから、矛盾はしていないわ」
それを矛盾していると言うのだけれど、緋奈巳さんの気持ちも理解出来た。
血と家、その間で揺れる、感情と誇り。
「私は、緋奈巳さんはそんな事しないと思う。だから、私達に仕事を頼んだのは、間違い」
「それは私を買い被り過ぎよ。私は、鎖子が思っている程強くはないわ」
どこかで聞いた台詞。血は争えない。
「緋鎖乃まだかしら。玄関で待つわ」
「荷物は昨日の夜に纏めてた筈だけど」
緋奈巳さんは話題を切り替えて立ち上がる。私も合わせて和室の扉を開く。目の前の玄関に、大きな鞄を持った緋鎖乃が居た。
「あ……」
不意打ちだった為か、緋鎖乃が思わず声を漏らした。当然だ、恐らく今一番顔を合わせたくない人との対面。覚悟はしていたであろうけど、タイミングを外された形になる。
そんな緋鎖乃にお構いなく緋奈巳さんが歩み寄って行く。二人の、久々の対面。
「あのっ姉様!」
緋鎖乃がなにか言おうと口を開く。それはきっと、あの夜が終わってからずっと考えていた筈の一言で、大事な大事な言葉だったと思う。
けれど、姉妹というのは、そう難しいものではないのかもしれない。
「緋鎖乃、よく頑張ったね」
緋奈巳さんは、そう言いながら緋鎖乃を抱き締めて、赤茶の髪の毛を撫でる。
多分、その数秒だけで、十分だった。
「それじゃあ鎖子、本当にありがとうね」
緋奈巳さんは振り返って私に言うと、そそくさと靴を履いて出て行ってしまった。
「あ、姉様待って」
それを追う様に、緋鎖乃も靴を履いて玄関の戸を開ける。
最後に振り返って、私を見る。
どの夜とも同じ様な、強い瞳。
「鎖子、本当にありがとう……私を助けてくれて、ありがとう」
そう言って、長い髪の毛を振り乱して頭を下げる緋鎖乃。
「そんなのやめてって。私はただ、あの夜を追いかけただけ。私はなにもしていない。むしろ、あんたの邪魔をした。あんただけが、頑張ってた」
謙遜ではなく、本心でそう思う。
あの夜は、ただ只管に、冷然院緋鎖乃が遮二無二に絶望と闘争しただけの話だ。
私は、傍観者。
「……またいつか。今度は、私も強くなるわ」
顔を上げた緋鎖乃は、やはり強い瞳で言って、去って行った。
冷然院の二人が帰って、私にとってのこの事件が、終息した。
「緋鎖乃ちゃん達、帰った?」
深く息を吐き出した私に、二階から降りて来た桜が言う。
「桜、緋鎖乃に挨拶したの? 今帰っちゃったよ」
「うん、さっき二階で。お姉ちゃんこそ、ちゃんとバイバイした?」
「したした……あー、してないかも」
「ほらー! お姉ちゃんそれじゃだめだよ。お話はしたの?」
「少し。緋鎖乃にさ、私を助けてくれてありがとう、なんて言われたよ」
「それ私も言われたー!」
「不思議な話だよ、こっちはなにもしてないのに。むしろ、私達は緋鎖乃を阻んだ」
「そんな事ないよ。私達は、ちゃんと緋鎖乃ちゃんを助けたよ」
「ん?」
私が大人ぶって遠い目をして言うと、桜がばっさりと否定する。
「どういう事? 私達が緋鎖乃を助けたって」
「だって、緋鎖乃ちゃん言ってた。もしもこの事件を私とお姉ちゃんが解決出来なかったら、死んじゃうって。だから、私達は緋鎖乃ちゃんを助けているよ」
「あー、それはそうじゃなくて……なんて言うかなあ。桜には難しいかな」
「そうじゃないのはお姉ちゃんの方。私だってそれくらい分かってる。そうじゃなくてね、その時言ってた。私を殺すのは、姉様でも兄様でも叔父様でも、自分の刀でもいいって。それってつまり、緋鎖乃ちゃんは、自分で自分を殺す事も出来た。最終的に緋鎖乃ちゃんは死にたかった訳だから、自殺する事も出来たって事でしょ? でも、それをしなかった。私達をあの夜に足止めをしてタイムリミットが来る事を選んだ。それってきっと、助けて欲しかったんだよ」
桜は真剣な眼差しで、言う。
「冷然院として死ぬ事を覚悟していたけれど、きっと、心のどこかでまだ死にたくなかった。だって、人間だもん。だから、冷然院として、自分が死ぬ為に全力を尽くした。でも、その上で計画が失敗するのなら仕方がない。そんな風に思ってたんじゃないのかな? 自分が納得して生き続けられる、そんな選択を、ずっと待っていたんじゃないのかな?」
緋鎖乃と一緒に居た数日間を回想する。
桜の言葉は、やけに私に重く響いた。
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