七個ないのが七不思議🈡

 場所を変え、集合場所と同じ古野野江学園中等学校女子部校舎屋上。半壊した場所に戻り、月夜の密会は続く。

 この学園では、いつでもこの場所からと決まっていたから、最後も此処。 


「ん……はあ、さっきの場所は息が詰まる。こっちの方がいい」


 私が伸びをしながら言うと、緋奈巳さんも同様に伸びをして頷いた。


「そうね、此処の方が空が広いから……落ち付くわ」


 見上げる月光に、今宵影は躍らない。

 とても静か。静か過ぎる夜だ。


「それで、私の妹はどうしてああなってしまったの? 肝心なところを聞かないと。緋鎖乃がを出来なかったって、どういう事?」


 竹刀袋を背負って、腕を組む緋奈巳さん。それに相対して、私は再度頭の中で事情を整理する。


「この事件を……時系列順に話すね。少しだけ、長くなる」


 私は一つだけ深く深呼吸して、続けた。


「緋奈巳さん、緋鎖乃に親友が居るのは知ってる?」


「ん……親友かどうかは分からないけれど、こっちの寮に移ってから、。それからも、連絡を取る時に友達の話題は幾つか。直接私は会った事がないけれど、思春期の子だもの。親友の一人くらい居るでしょ?」


 大凡の十四歳の話であれば、緋奈巳さんの言葉の通りで事は済む。

 けれど、その言葉は、私と桜が間の当たりにしたものとは違っている。


「緋鎖乃にも親友が居た。古野野江の中等部に入学してから、ずっと一緒と言っていた。古野野江の寮は三人一部屋だから、ルームメイトの二人とも問題なく過ごしていたと……それが変化したのが、緋鎖乃が学年を一つ上げた、春の頃」


 桜が舞う幻想的な季節が、多くの出会いと別れを演出して久しい。


「緋鎖乃のルームメイト、親友の一人の様子がおかしかったんだって。どこかいつでも怯えている様な。緋鎖乃がそれを尋ねてみても、大丈夫、なんでもない、としか言わない。それなのに、日に日に元気がなくなっていって……」


 私が先にあの場所へ緋奈巳さんを連れて行ったのは、後の話を淀みなく進める為だ。そこまで話せば、もう理由を説明するまでもなく理解出来る。


 どういう悲劇があったからは、容易に想像出来る。


「不安と共に不信感を抱いた緋鎖乃は、夜の学園に飛び出した。それは思春期特有の悩みが原因かもしれないし、時間が解決してくれる類のものかもしれないとも思った。けれど、万が一私達の領域に在るナニカが要因だとしたら? 緋鎖乃はそれを可能性の一つと考えた時、自分がこのまま手を拱いている訳にはいかないと決断した。そうして、夜に飛び出した」


 十四歳の下した決断は、結果として全ての歯車を、少しだけ狂わせていく。


「……冷然院は、十五まで実戦に出さない。それは、精神的な成熟がこちらの領域で生きる上で必須だと考えた、いつかの冷然院当主の教え。それは、一部の例外を除いて守られ続けてる。だから、本来であれば、その時点で緋鎖乃は私達に相談するべきね」


「そうだ、その通り。緋奈巳さんの言う通り。本来であれば、ね。けれど、緋鎖乃はそれをしなかった。それは好奇心とか慢心とかではなく、自分の疑念が杞憂で終わればいい、という願いにも似た気持ちに寄るところが大きいと思う。私は、緋鎖乃と話していてそう感じた。あの子が、優しいからこその判断だと思う」


 そう。この事件は、そうだ。それが全て。


 あの子は、優しい。優し過ぎた。優し過ぎたが故に——


「本来であれば、人払いの術式によって、外出の意思を削がれる筈だけれど、緋鎖乃の意思と才能は、この程度の術式をモノともせずに突破した。白裏がどこでこの術式を覚えたのか、はたまた術者に頼んだのか知らないけれど、普通の人間には確実に作用して、私達を抑えるには足らない、そういうレベルのもの。それを流用して、この屋上に術式を伸ばしたんだよね。だから、この屋上の崩壊具合は、まだ誰にも知られていない。後で騒ぎになるだろうね」


 私が屋上の扉を蹴破った件もある。古野野江学園は、これから慌ただしくなる。


「そうやって夜に飛び込んだ緋鎖乃は、すぐに人気のなさを不信がった。学校の規則とは言え、大学生や教員も敷地内で暮らしているんだ。外出くらいしてもおかしくない、それどころか、警備員の姿すら見当たらない。数日で緋鎖乃は人払いの術式と、学園の警備システムの事を調べ上げた。結果、当然の様に思う。まるで、深夜に見られてはいけないなにかが行われるかの様に、学園から隔絶され切り取られた時間帯。この学園は、深い夜になにかある。人に見られてはいけない、ナニカが。そして、それは向こうからやってくる」


 それは運命か。どの視点からみても、悲劇以外のなにものでもないけれど。


「古野野江学園学園長、白裏潤矢は、冷然院緋鎖乃に接触する。緋鎖乃の場合は、仕事の手伝いの要請。図書館で急ぎの作業があって、寮生の何人かに手伝って貰っている。そう言われ、緋鎖乃は首を縦に振った。その時点で確信があった。だって、指定された時間が、深い深い夜であったから」


「そうね、確信するでしょうね。だって、夜には誰も立ち入れないんだもの。緋鎖乃の調べた情報では、この学園の夜は、月下に置いて無人であるべき」


「術式に解法やコントロールの方法は分からない。けれど、そうやって夜半に女学生を連れ出して、そして、あの場所へと行く。緋鎖乃も、それに違わず白裏と共にあの場所に行って、理解した」


 一見で全てを理解出来るあの光景。私や桜、緋奈巳さんがそうであった様に、緋鎖乃もまた、そこで理解する。


「そして、あの夜に至る、と。私が緋鎖乃に呼び出された、あの夜に。緋鎖乃は刀を抜いて、全てを終わらせた。分かるわ、それは分かるの。貴方の話を聞いて、分かった。緋鎖乃はそういう子。だから分かったけれど、どうしても分からない。じゃあ、どうして緋鎖乃は口を閉ざしたの? 白裏に能力を使われた? それだって、あの夜に導く方法はあったし、なにより貴方達を襲う理由がない」


「そこが違うんだよ、緋奈巳さん」


「なにが違うのよ?」


「私も同じ事を思った。今回の事件、その真実を知る前から、思っていた。緋奈巳さんが立てた二つの仮説、その内の最悪の方。緋鎖乃が自ら口を閉ざしている。この選択肢を私が早々に外したのには理由がある。緋奈巳さんだって、その可能性は低い事を理解していた筈。だってそうだ、緋鎖乃は、この事件の真相が明らかにならなかったのならば、殺されてしまう。あの夜、緋奈巳さんの見た光景と、緋鎖乃が口にした言葉は、冷然院緋鎖乃が白裏潤矢を殺した、ただそれだけだ。緋鎖乃が理由を語らない限り、それは通り魔的な殺人になってしまう。それなら、冷然院は緋鎖乃を生かしてはおけない。冷然院が冷然院である為に、この国の最強である為に、最低限、せめて冷然院緋鎖乃は死ななければならない。そうでしょ?」


 多分に、それは宣言された事ではないのであろう。けれど、緋鎖乃は分かっていた。自分がこのままでは死んでしまうのを。


『姉兄様でも、姉様でも、叔父様でも、誰でもいいの。自分の刀でもいいわ』


 緋鎖乃はそう言っていた。緋鎖乃は、事件が闇に紛れた時に、死ぬ事を分かっていた。


「……ええ、そうね。もしも緋鎖乃が口にした事、そして、私が見た光景が真実だったのならば、私達は緋鎖乃を生かしてはおけない。だって、それはこの国に害をなす一つに成り得るもの。例えそれが実妹であろうと、変わらないわ」


「だからこそ、私はその仮説を消したし、事件の中で緋鎖乃を疑う事が一度もなかった。けれど、前提が違った。そこが違ったからこそ、ややこしかった」


「前提?」


「そう。緋鎖乃は、白裏の能力で口を閉ざしざるを得なかった訳ではなかった。緋鎖乃は、自分の意思で口を閉ざした」


「だから、それが分からないのよ。自分の死を覚悟してまで、あの子が隠したかった事はなに?」


「それも微妙に違う。いや、決定的に違う。人によっては細かいニュアンスの違いかもしれないけれど、これは決定的に違う。あの子は、。緋鎖乃は、


 この前提に、私達は、惑わされ続けた。

 私の言葉に、緋奈巳さんが目を見開く。私もそうだ。私も、緋鎖乃から事実を語られた時に、同じ様に目を見開き、開口した。


 全てが、転じる。


「話を戻すね。緋鎖乃が白裏の部屋に行った時、緋鎖乃は白裏を殺していない」


「ちょっと待って、どういう事? それじゃあ、私の見たあの死体は? 私が冷然院家に持ち返って尋問したあの死体は、なに?」


「あれは確かに白裏の死体だよ。時系列が違うんだ。緋鎖乃が白裏の部屋に行ったのは、もう一ヵ月も前だ」


「え……? 一ヵ月前? だって、私が此処に来たのは、先週の話」


「その時、緋鎖乃は白裏を殺さなかったんだ。緋鎖乃は、多分一瞬で色々な事を考えた。白裏の事を把握出来なかった事を恥じた。親友を守れなかった自分を責めた。それは緋奈巳さんの言葉を借りるならば、悔やむべき事。冷然院がこの国の全てを守って来たという連綿とした歴史は、なにかを切り捨て続けた螺旋の裏側でもある。冷然院は万能じゃない、この国の全ての街に居る訳じゃない。だから、悔やむべき瞬間が幾つもあった筈。私が先月失敗した様に、私の傲慢で都市伝説を野放しにしてしまった事の様に、悔やまなければいけない。けれど、緋鎖乃は出来なかった。悔やむという事が出来なかった」


 あの部屋を見て、理解をした緋鎖乃は、其処で起きた悲劇を悔やめなかった。緋鎖乃は、立ち止まるという事を知らなかった。


「この世界に正義のヒーローは居ないから、私達は悔やむ事を覚えるけれど、緋鎖乃はそれを知らない。冷然院が冷然院足るには、そうでなければいけないと思っていた。実戦を知らないからこそ、誰より強く冷然院足ろうとした。だから、この事件を防げなかった自分が今から出来る事を考えた。それが、今回の事件。緋鎖乃は、にしようと決めた」 


 小さな子供が、世界が平和になると信じている様に、緋鎖乃もまた、それを信じた。


「緋鎖乃はまず、白裏が自分とあの部屋に行った記憶を燃やした。緋鎖乃がまだあの部屋に行っていない状態に戻す。そして、部屋の中であるものを見つける。あんな事をする人間ならそれは当然なのかもしれないけれど、白裏は映像を残していた。ご丁寧に、この部屋の中で全てを完結させる為に、この部屋にコレクションしていた。緋鎖乃にとってそれはある意味幸運だった。それもそうだ。この事件を防ぐ事は出来なかったけれど、。幸か不幸か、この事件に直面した緋鎖乃は、御誂え向きの能力をしていた。そこからは緋鎖乃は、手に入れた記録を元に被害者の身元を特定して、その最悪の記憶を燃やして回った。焼却ぼうきゃくすれば、それ等はなかった事に出来る。そう信じて」


 其処には、緋鎖乃の親友も写っていた。親友の落胆と憔悴の理由を見つけて、緋鎖乃は憤る。未然に防ぐ事の出来なかった自分に、憤る。


「これを幸運と呼ぶのは憚れるけれど、記録にある女学生に、自分で命を絶った子は居なかった。あの場所に連れて来られ、口を閉ざされ、その後の人生がどうだったかは分からない。けれど、死を選んだ子は居なかった。だから、緋鎖乃は一月をかけて全員の記憶を燃やし回った。悲劇の夜を、この世から消し去った。涙と叫びは、全て灰と成って散り、そして、あの夜に至る。緋奈巳さんが訪れた、あの夜に」


 実戦に出ていない十四歳の少女は、悲嘆に暮れる事なく一人で抱え込み、それを灰塵とした。


「でも……それで、どうしてあの子が死ななければいけないの。緋鎖乃は……頑張ったじゃない? 実戦にも出ていない女の子が抱えるものとしては大き過ぎる……それを、あの子は抱えきったじゃない? それで、何故あの子が死ななければいけないのよ!」


「冷然院の炎は、冷然院を燃やせない」


 それは、冷然院の炎の性質。緋鎖乃から聞いた、灼熱の規律。私が口にして異議が挟まれなかったから、それは事実なのだろう。そして、私の言葉で、緋奈巳さんが顔を強張らせた。


「緋鎖乃は、それに関する全ての記憶がこの世から消えれば、と考えた。けれど、一つだけ消す事が出来なかった。緋鎖乃の焼却ぼうきゃくは、緋鎖乃の記憶を燃やせない。燃やした記憶達の中身を、緋鎖乃は知っている。この世から、全ての記憶は、消えない」


 残酷に、悲劇的に、最低に。この事件は最悪の事態を避けて収束出来た。それは、最大の功労者を欠く事で、完結する。


「そんなの!!」


 肌寒い風が渦巻く月下に、緋奈巳さんの声が走る。屋上から散って小さく反響する怒号が、徐々にその振動を消して行く。


「おかしいじゃない!? 燃やせないから死ぬって……だって……! 緋鎖乃に記憶が残るのはしようがない! そんなの誰も責めないわ、緋鎖乃は頑張ったもの……一人で抱えて……それで……」


 緋奈巳さんが言葉に詰まるのは、緋鎖乃の考えを分かってしまうから。多分、緋奈巳さんにも同じような事があったかつて、きっとあったんだ。冷然院はそうやって、成長したんだ。緋奈巳さんも、悔やむ事を知らない時期があった筈。けれど、人は繰り返して学ぶ。絶望と繰り返して、不可能を学ぶ。


 この世界は、幸福だけで満たされない。


「緋鎖乃の覚悟の話をするならば、私と桜がこの学園に来た時、緋鎖乃には友達が一人も居なかった。むしろ、クラスで避けられる存在だった。今日ね、登校して、クラスメイトに理由を聞いてみたよ。不気味なんだって。全員が口を揃えて言うんだ。冷然院さんの記憶がないって。クラスメイトの筈で、一年生から一緒なのに、冷然院さんの事を、なに一つ知らないって。緋鎖乃は、クラスメイトの記憶を燃やした。親友も、ルームメイトも、被害に遭った子も、全て、冷然院緋鎖乃に関する記憶を消した。これで綺麗さっぱり、消え失せる。凌辱の記憶は勿論の事、緋鎖乃の事すら消え去れば、それはもう、本当に。夢、幻ですらない。本当に存在しなかった事になる。十四歳の女の子が、自分の死と、自分に関する記憶を載せて尚傾く天秤。緋鎖乃は、消え失せる事を選んで、その最後が、自分が死ぬ事だった」


 たった一人の戦い。


 緋奈巳さんに話してしまえば、緋奈巳さんが知ってしまう。冷然院の炎は、冷然院を燃やせない。だから、緋鎖乃は誰にも話せない。ただただ、自分で抱え込み、その覚悟は呪いの様に張り付き重く、緋鎖乃は死に沈んでいく。


「自分が助かる筈の真相解明を、緋鎖乃自身が妨害していたのはそういう理由。あの夜の全ては、これ。これが、私が聞き出した緋鎖乃の全て」


 戸破の家に連れ帰り、そうして緋鎖乃が明かした夜の真相。


「……その……その話を鎖子にしたという事は、そういう事よね? あの子は……のね」


 長い長い赤茶の髪の毛を風に揺らして、緋奈巳さんが言う。


「そう。緋鎖乃は、悔やんでいる。緋鎖乃は……悔やむ事を……覚えた」


 緋鎖乃は、今宵もきっと、泣いている。


 私達に全てを話した緋鎖乃は、大声で泣いた。それは普段の緋鎖乃からは少しも想像の出来ない姿で、同時に、十四歳の女の子が背負っていたものの重さを物語った。

 悔やんでいる。だから、緋鎖乃は、泣いている。


 今宵もきっと、泣いている。

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