七個ないのが七不思議⑬

 六月十三日午前零時。連日の深夜徘徊に違わず、私は月下に佇む。

 今宵の学園は、いつにも増して静寂が重たくて、その分そよぐ風が妙に心地良かった。


「よっと」


 待ち人来る。古野野江学園中等学校女子部校舎の屋上で待つ私の元に、影が一つ躍り出る。


「お久しぶり、緋奈巳さん」


「久しぶりって、まだ一週間じゃない」


 緋奈巳さんは、恐らくで屋上に飛び上がり、私の眼前に降り立った。

 緋鎖乃と同じ、赤く長い長い艶やかな髪。月明かりに靡くそれを纏う長身が、すらりと影を伸ばす。そして、これも緋鎖乃と同じ様に、黒い竹刀袋を携えて。


「緋奈巳さん、どうやって入って来たの?」


「どうやってって、普通よ普通」


「保護者なら深夜来客も出来るの?」


「違う違う。普通に壁を跳び越えて」


 緋奈巳さんの普通という基準が酷く曖昧だ。誰かが、常識というのは成人までに身に付けた偏見の事だ、と言っていたけれど、正にその通りだと痛感する。


「で、此処が現場?」


 言いながら、私の背後を指差す緋奈巳さん。


「此処は途中」


 振り返る私の目の前は、瓦礫の山。崩落した屋上からの出口と貯水タンク。本来であればコンクリートや金属で構成されているそれ等は、文字通り瓦礫が積み上がっただけ山を形成するだけの破片に成り下がっている。


「警察とか大変だった?」


「大丈夫。人払いの術で屋上付近には誰も近寄らなかったから、まだ気付かれていない。こんなに崩壊しているのにね。随分質の良い術式」


「へえ。鎖子、そんなのも扱えるの? 二人目ドッペルゲンガーと身体変化が主体だと思っていたから意外」


「いや、私の術式じゃない。他人の借りもの」


 昨夜の戦闘。桜の一撃で吹き飛ばされた緋鎖乃は、金属バットによる直接の打撃こそ防いだものの、そのまま吹き飛んだ。吹き飛ばされた緋鎖乃は弾丸の様に屋上の出入り口と貯水槽を破壊した。それは戦闘の序章に過ぎなかったけれど、校内を破損させたのはそれが最後だ。


「随分緋鎖乃やられてたものね。貴方の妹は強いのね。あの子……緋鎖乃も、実戦にこそ出していないけれど、相当だと思うけれど」


 緋鎖乃は昨夜の戦闘を終え、戸破家に居る。怪我の治療もあるけれど、今回の依頼を受けた身として、犯人を拘束しておくのは当然の事だ。

 ちなみに、捕縛直後に、写真付きで緋奈巳さんに連絡をしたので、その凄惨たる妹の姿は、緋奈巳さんに届いている。


「相当だよ、私じゃ全く歯が立たない。相手が悪かっただけ」


「一片さんも言ってたわ。桜は凄いって。いつか僕を超えていくって。でも、姉の惚気……こういうのは惚気って言うのかしら? 分からないけれど、緋鎖乃もいつか私も兄様も叔父様も超えていく。貴方の妹も凄いけれど、私の妹だって凄いのよ」


「なんの自慢? 別に張り合う気ないから」


 腕組して踏ん反り返る緋奈巳さんの矜持はよく分からないけれど、緋鎖乃の事が好きなんだな、というのだけは伝わった。


「此処はただの集合場所。今回の件で、色々あった場所だから」


「へえ、そうなんだ。それで、現場は?」


「図書館。あっち」


 私が図書館を指差すと、緋奈巳さんは軽く頷いて屋上から飛び降りる。私もそれに追従して、壁を蹴りながら下る。

 冷たいのであろうコンクリートに飛び降りると、乾いた音が響く。

 相も変わらず、学園の夜は静か。


「来る時も思ったんだけどさ、古野野江学園って、普通に学生が寮に住んでて、深夜も出歩いていいんだよね?」


 森閑とした学園の中で、緋奈巳さんが言う。


「規則がある訳じゃないね。それでも、学生達は夜は静か。て言うか、緋奈巳さんって古野野江の出身じゃないんだ? てっきり、同じ学校に通っていたのかと思ってた」


「いいえ。私と兄様は父様の件でごたごたしていたから、もっと実家に近い学校に通ったわ。此処は緋鎖乃だけ。緋鎖乃も、中学からだし、別段所縁がある訳じゃないわ」


「じゃあ、どうして緋鎖乃は此処に?」


「家離れがしたかったらしいわ、自分で決めた進路。あの子はしっかりしている」


 緋鎖乃らしい理由と言える。緋鎖乃らしさが詰まった選択だ。緋鎖乃は、成熟している。思考が、技量が、精神が。全てが冷然院という名に違わず優秀だ。緋奈巳さんが自慢するのも分かる。


 故の、これだ。故に、こうなった。


「規則で縛られている訳でもないのに、こうして夜には部屋に居る。私が彼、彼女等と同じ年齢でこの環境だったのなら、夜は友達と学園内で遊んでいそうなものだけれど」


「私も緋鎖乃に同じ事を言ったよ。そしたら、学生全員が優秀なんだって」


「それはそれは……随分教育環境が良いのね」


「そんな訳ないさ。冷静に考えれば、そんな事、ある訳なかった」


「ん?」


 私もかつて抱いた疑問。


「年頃の学生達が、外出自由な学園ないで深夜に出歩かないなんて事がある? 中学生ならまだしも、高校生や大学生の寮生だっている。けれど、緋鎖乃が言ったよ。この静寂がなによりの証明って。私もそれを言われてそう理解した。でも、そんな訳がなかった」


「どういう事?」


「学園全体に、部分的な人払いの術式が組み込まれている。端的に言うなら、寮生が寮から外に出ない様作用する術式が、所狭しとね」


 昨夜、緋鎖乃という脅威を取り除き、学園を隈なく探索して見つけた成果。

 私の言葉で緋奈巳さんの表情が少し強張った。当然だ。この件については、まだ緋奈巳さんに話していないから。


「……どういう事? 鎖子から連絡を受けて言われたのは、緋鎖乃の事だけよね?」

「うん。冷然院緋鎖乃が私の記憶を燃やして、幾度となくこの夜に足止めした。そう伝えたよ」


「だから私は、全ての元凶は緋鎖乃だと……でも、そんな物騒なものがこの学園にあるのならば、それはやっぱり、白裏潤矢が関係しているとしか思えない。大掛かりなしかけが学園にあるのなら、疑うのは学園長である奴だ」


「それは、この先」


 語る言葉がまだまだ足りていないのに、足はその場所へ私達を運びきる。


 古野野江学園図書館。この大きな建物の中で、全てが始まった。

 私は無言で裏手に周り、裏口のパスキーを開錠する。その様を見た緋奈巳さんも特に口を出さないものだから、重たい扉からする鈍い開錠音がやけに大きく唸った気がした。

 開けた扉からの光景は昨夜と同じで、本来であれば私にとって三度目である筈なのに、脳内に蓄積された記憶の中ではまだ二回目だ。

 一つはもう、何処か彼方へ。灰塵となって吹き去ってしまった。

 淀みなくあるくのも、暗闇に慣れた目と記憶のお蔭。一つも電灯を点ける事なく進み、貸し出し厳禁の本が蔵書してる部屋の扉へ。裏口と同じ様にテンキーを打ち込み開錠する。この部屋で初めて電灯のスイッチに手を伸ばす。カンカンと高音が響いて、白が目に刺さる。


「うっ……もう、電気を点けるのなら先に言ってよ」


「ああ、ごめん緋奈巳さん」


 目を擦る緋奈巳さんに言って、本棚の間を抜ける。

 軽薄は印象のスチール扉の前へ。灰色一色のそれに付いたドアノブへ、手を伸ばす。

 施錠は、昨日の夜からされていないから、扉が開くのは簡単。

 軽い扉を開けて、中に。

 入り口近くのスイッチを入れると、鈍い灯りが部屋を照らす。スイッチついでに、手前の本棚から一冊抜き取って、奥を指差す。


「緋奈巳さん、私が合図したら、それ押してね」


「ん? 押して?」


「スイッチあるでしょ」


 緋奈巳さんの返事を待たずに最奥まで移動して、もう一つのスイッチを押す為本を取り出す。


「あら、こんなものがあるのね。これをどうすればいいの?」


「私が合図したら押して。こっちにも同じものがあって、同時に押すと開錠する仕組み」


「開錠?」


「そう。いくよ? せーのっ」


「あっちょっと!」


 自分の都合だけでスイッチを押し込んだけれど、緋奈巳さんもちゃんと合わせてくれた様で、私と緋奈巳さんしかいない狭く仄暗い空間に、カチャリとなにかの開錠を告げる音がこだました。


「んー? 私、てっきりこんなに仰々しいカラクリがあるものだから、本棚が自動扉みたいく開閉すると思ったのだけれど」


「それは流石に大仕掛け過ぎるでしょ? まあ、これも十分凄いけれどね」


 言いながら、私が押したスイッチのある本棚の対面、緋奈巳さんが相対している本棚の右端から一冊本を取り出す。


「今度はなに? 二つ目の仕掛け?」


「いや、ここに取っ手があるの」


「取っ手?」


「そう」


 取り出した本の先、金属の取っ手が握り易い様に突き出ている。私はそれをしっかりと握り込むと、手前に引く。

 音もなくスムーズにそれは開く。私が取っ手を引くと、本棚が扉の様に手前に開閉する。隣の本棚、そして壁に圧迫されない様、計算して設計されたのであろう見事なバランスで以てそれは開く。


「はあー……なによこれ。凄い仕掛け」


 その様子を見て開口する緋奈巳さん。私が初めて、いや、記憶の上で初めて此処を開いた時と同じリアクションだ。誰だって、こんなものを間の当たりにしたら口をあんぐりさせる。


「付いて来て」


 狭い部屋の仄暗い電灯が僅かに差す扉の奥は、階段になっている。地下へと続くそれを私が下り、緋奈巳さんが後ろを付いて来る。


「ファンタジー小説なら、夢の世界への入り口みたいなんだけれどね。どうやら、ここは陰湿な空気がするね」


 緋奈巳さんが呟く言葉の通りだと思う。本来ならば在り得ないこの空間。トマソンであればどれだけ良かっただろうか。


「そうだね。本当に陰湿」


 決して多くはない階段を降り切った先に、扉がある。

 今まで私達が越えて来たどの扉よりも分厚く、どの扉よりも重い。シリンダーが四つ付いた扉の施錠は、昨夜よりされていない。


「鍵は開きっ放し。開けて直ぐ、右手に電気のスイッチがあるから」


 私はそう告げて、緋奈巳さんに前進を促す。私は、もう十分だ。


「ん? 私が開けるのね」


 言われるままに前へ出た緋奈巳さんが、扉に手をかける。重たい扉が押し込まれて、緋奈巳さんが手探りでスイッチを探す。パチリ、と明かりが走る瞬間に、私は視線を逸らした。


「……これは……これは、とても分かり易いわね。此処が全てね。そういう事ね。本当に……本当にどうしようもない」


 緋奈巳さんはそれだけ言って、灯りを消した。


 部屋の中に広がるのは、状況を察するのに十分過ぎる光景。

 女性の尊厳とかそういう一切を捻じ伏せて、ただ只管に欲求を満たしたのだろうな、と理解出来る光景。


「此処は、白裏潤矢の隠し部屋である事は間違いないの?」


「うん。緋鎖乃自身が奴に此処へ連れてこられている。だから、それは間違いない。この部屋は、白裏潤矢のもので、奴が、その欲望の限りを満たす為だけに存在している。幾つかの絶望と悲哀を踏み台にして、此処は存在している」


 想像するも悍ましく、口にするも憎らしい。兎に角、此処で私の知らない誰か達が、恥辱に塗れ、白裏の思うままに凌辱された事だけが確かだ。


「学園が出来たのが三十年前。この図書館自体は、改装されて十年だったかな。奴がどういう目的でこの学園を設立したかは分からない。個人資産家として教育の現場を提供しようとしたのかもしれないし、はたまたこの裏の顔故か。どちらにせよ、この図書館のこの部屋自体は後者だ」


「こんな仕掛け、バレずに作れるものかしら? 不信に思われそうなものだけれど」


「不信に思われたところで、外部に情報は漏れない。此処での被害が外に出なかった理由と同じ。誰も言えなかったんだ。誰も彼も、口を閉ざすしかなかった」


 遠回りに辿った道は、出発点と終着点だけは予想通り。私達の思考の上にずっと存在していた。


「……緋鎖乃が口を開けなかった、というのは、本当? 白裏潤矢の能力は、口封じだった?」


「そう。白裏がどの様にして能力を発現したかは知らないし、それがこの場所を作った前後かも分からない。けれど、その能力で以てこの場所を秘匿して、その能力で以て数々の凌辱を果たしたのは間違いがない。この学園の規則も、張り巡らされた人払いの術式も、全て此処に繋がる道の一つ。奴の決まり文句は知らない。けれど、夜な夜なを連れ出してこの場に来て、全てを終えて口を封じた。此処は奴のシステムのその一部。最終地点」


 仄暗い灯りが僅かに差し込む階段。私は上から、緋奈巳さんは下から。互いを見下ろし、見上げて、話は続く。


「それで、どうして緋鎖乃がああなるの?」


「御多分に漏れず、冷然院緋鎖乃は白裏潤矢のお眼鏡に適って、この場に連れてこられた。奴にとっての不幸は、奴が冷然院を舐めていた事。実戦にも出ていない十四歳の小娘ならば、自分の能力も相俟って簡単に組み敷けると高を括った事」


 そうして、あの夜が幕空ける。冷然院緋鎖乃が白裏潤矢を殺した、今回の事件が。


「だから、それも分かる。それで、どうして緋鎖乃がああなるのって聞いているの。それなら、全て終わりじゃない? この事件は、緋鎖乃が白裏を殺して終わり。むしろ、私からしたら褒めるべき事。悔やむべきは、私達が白裏の存在を把握出来なかった事。その一点」


「それ。それが出来なかったの」


「え?」


 私が指摘するそれを、今の緋奈巳さんは理解出来ない。

 だってそうだ。その壁を越えた人間は、その壁に振り返る事が出来ない。


「実戦を知らないあの子は、それが出来なかった。悔やむ事が出来なかった。冷然院は最強で、この国を守る存在で、だから、冷然院である自分はそうでなければいけなかった。緋鎖乃はそれしか知らなかった」


 この事件は、あの子だからこそ起きた。


「場所を変えよう。どうも此処は陰気臭くて堪らない」


 言って、私は階段を昇った。

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