七個ないのが七不思議⑪

 私が立っていた場所、背中から突き刺す様に刃が走った。棚に並ぶ本を突き刺して、緋鎖乃は刀を引き抜いた。


「説明して貰うぞ」


 私は出入り口まで飛び退いて、部屋の一番奥に立つ緋鎖乃に言った。


「説明もなにも……がそうなの。説明するのが大変だったから。だから、は不意打ちで終わらせた。それが簡単だったから、も……でも、違った。鎖子、貴方、私が刺す事を知ってた」


 緋鎖乃から殺気が漏れていた。けれど、それは極々僅かなものであり、この夜のなかにあって見逃すに足る矮小さ。それでも、私がそれに気付けたのは、を知っていたからだ。


 私は、仮説を一つに絞ってしまった。


 白裏が緋鎖乃に言動を縛る能力をかけたのではなく、緋鎖乃自身が、自分の言動をコントロールしている。

 緋鎖乃が、緋鎖乃の意思で、口を噤んでいる、と。


「どこでバレたのかしら? 自分では、それなりに頑張ったつもりだったのだけれど」


「全ては昨日だ。桜と出掛けた昨夜。私と桜は、初めてこの事件が始まってから違いの認識を共有した。それは当たり前の事だったけれど、まずはその時点から全てがおかしい」


 そう、この事件は全てがおかしいのだ。

 勿論、この夜の始まりも、緋鎖乃の状況も、全てがおかしい。しかし、身近に道理に沿わない、歯車の狂ったものが一つある。


 一つだけ、あった。


「その時点で全てがおかしい? どうして? 貴方と桜が夜に出かけたのは、昨夜が初めて。それなら、なにもおかしくないわ」


「いや、おかしいんだ。だって、二人で一つの事件に挑んでいるんだ。常々状況を共有しないなんて有り得ない。むしろ最重要。私がこの事件に挑むなら、情報の共有はむしろそこだけは徹底するという部分だ」


「そう……それなら、私と姉様の見立てが狂っていたのかしら? 東雲鎖子は無能であった、そういうお話になるの? 二、三日中に事件を解決してみせると私の前で言ったのは、大言壮語だったという事?」


「そう取って貰っても構わない。けれど、自分を擁護するのなら、一言」


 仮説よりは、確信。


「私はまだ、


 右手の人差し指を立てる。


 ああ、気分が悪い。


 今にも落ちそうな意識を持ちなおそうと、言葉を続ける。


「だから、これは簡単な事件だ。二、三日中に解決してみせる」


「鎖子、貴方言っている事が滅茶苦茶だわ。妄言……そうね、妄言」


 緋鎖乃はそうは言うものの、言葉に力はない。なにかもう、諦めている風。


「たった一つの謎だけを除外していいのならば、全部全部簡単な話だったんだ。きっかけは昨日、桜との会話。私と桜の中で認識として大きくずれていたのは、この夜の学園での活動。まずは時間」


 緋鎖乃が突き刺さった刀を引き抜いて納刀する。左手に持った鞘に収まる瞬間に、鋭い鍔鳴りが狭い部屋に反響した。


「桜は毎日夜遅くまで私達が返って来ないから寝不足だと言った。おかしい、それはおかしい。だって、初日は緋鎖乃と少し話して部屋に戻った。次の日は私が音楽室で襲われた日、私が指定した時間までに戻らなかったから、緋鎖乃が桜を呼んで部屋に戻った。二日とも夜が深くない時間の出来事。なのに、桜は言った。二日とも夜の深い時間に帰って来たって」


 私は二日とも、時計が天辺を回る零時に部屋を出た。そして、一時間足らずで戻って来ている筈。なのに、桜の話では、私が戻ったのは二、三時間後。


「次におかしな部分。それは、私の言動。私は思ったの。この事件は簡単だって。緋鎖乃に大口を叩いた。けれど、私は大口だなんて思っていない。だってそうだ、簡単だ。こんなに完成された人間社会、限定的な学園という空間で、私や桜が手古摺る様な怪異、怪奇が起こる筈がない。私は毎日そう思った。二、三日で終わる事件だって。一日目も、二日目も、三日目も、


 語る私に、緋鎖乃は相槌一つせずに黙る。

 まるで言動が縛られているみたいに、口を真一文字に結ぶ。


「そして最後。これも桜から聞いたの。初等部校舎屋上の扉が壊されていたって。私が、中等学校男子部の校舎屋上で扉を蹴飛ばした日と同じ日にね。七不思議の三つ目だったかな、初等部校舎三階女子トイレ最奥個室の泣き声。屋上の扉が壊されたのは、七不思議のある校舎だった。けれど、私と緋鎖乃は初等部校舎に行っていない。中等学校男子部校舎四階音楽室の止まないピアノの謎を解明する為に、中等学校男子部校舎に行き、私は其処で襲われ意識を失ったのだから」


 最後のピースが嵌り込む。


「そして今——」


「もういいわ」


 語り部を制止して、緋鎖乃は相変わらずの冷たい目で言う。


「全部全部無駄になるから、もういいわ。貴方と桜の探偵ごっこも、この尋問も、全部全部無駄になるから、もういいわ。鎖子、貴方にこうして詰め寄られるのは、


 冷然院の抜刀は発火を伴う。


 この国で最強で在り続ける家は、炎を纏う。

 狭い部屋の中で、緋鎖乃が抜刀する。緋奈巳さんが刀に纏って青白い炎とは違い、紅蓮の炎が刀身に渦巻き、部屋の中を照らす。


「緋鎖乃……お前の能力は……焼却ぼうきゃく。記憶を燃やす。お前、私の記憶を燃やしたな?」


 緋鎖乃は、表情一つ変えずに言う。


「ええ、燃やしたわ」


 眉一つ動かさず、冷たい目のまま、言った。


「どうし——」


「だって鎖子、貴方とても優秀なんだもの」


 緋鎖乃は、私の言葉を遮って続ける。


「この場所に貴方と来るのは二回目。スイッチのある本の場所、埃が乱れていたでしょ? 貴方、一日目にこの場所まで辿り着いて、自分の能力で簡単にその先を知ってしまったんだもの」


 この部屋の仕掛け。入り口にあるスイッチと、部屋の最奥にあるスイッチ。これを同時に押せば、やはりなにかがある仕掛け。

 そして、私の二人目ドッペルゲンガーを使えば、それは簡単に突破できる。


「まずは事件現場を見たいって言われて図書館に案内したら、今日と同じ様に二階に目もくれず此処を目指したわ。嗅覚……勘なのかしら? まだ実戦を知らない私には分からないけれど、貴方の様な猛者に働く第六感があるんでしょうね。私の制止も聞かずに扉を蹴り飛ばして、簡単にスイッチを押した……大変だったのよ? 学校に扉の修復を頼むの。貴方、いつも開かない扉は蹴り飛ばすんだもの」


 私の知らない一夜目が、緋鎖乃の口から語られる。


「記憶を燃やして、屋上に戻った。貴方が学園を見て周ると言い続ける度に記憶を燃やした。五回目くらいだったかしら、貴方が今日は帰る、と言った。東雲鎖子の中にある選択肢の一つ、それが出るまで繰り返した」


「記憶を燃やされた人間は、それ以前と同じ行動を取るとは限らない?」


「ええ、これに関しては実験済み。私の能力で記憶を燃やされた人間は、それ以前と同じ行動を取るとは限らない。一夜目から動き回られるのは嫌だったから、行動をしない、という行動を選択するまで、幾らでも続けるつもりだったわ。だって貴方、簡単にこの夜を終わらせてしまうんだもの」


 一日目、私は焦る必要がないと思った。この事件は簡単だ。だから、もう少し学園内で動きがあるかどうかを観察したかった。


 だって、私がこの学園で感じた最初の空気は——


「二日目も同じ。七不思議の事を知って、全ての場所を調べたわ。貴方の記憶では、音楽室で終わっているかもしれないけれど、その後全ての七不思議を周ったのよ。そして、貴方は一夜目と同じ様に言った。今度は図書館、と。優秀な東雲鎖子は、またもこの夜を完結させようとした。だから、不意打ちで記憶を燃やしたわ」


「攻撃付きで、か」


「ええ。上手く記憶が混濁してくれて、音楽室で襲われた事になっていた。だから、上手く足止め出来ると思った。けれど、貴方は優秀だから、其処にはなにもないと見抜いてしまった。東雲鎖子は、どこまでいっても、優秀なままだった」


「七不思議にある六つの場所にはなにもない訳だ。桜は、六つの七不思議が流行したのが、ここ一週間だと言っていた。私は、この事件に確実に関連していると思ったけど——」


「関係はしているわ。誰が来るか分からなかった。けれど、この夜を探りに来る人が居るのなら、少しでも混乱させたかった」


 この学園の七不思議もまた、有象無象のそれらと相違なく、簡素で出鱈目な噂話に過ぎなかった。


「緋鎖乃、お前がばら撒いた噂か」


「ええ。ばら撒いて、ばら撒いた記憶を消したわ。ただ、鎖子には一切通じなかったけれど。貴方全部調べてしまう上に、その記憶を消しても、この噂ががらんどうだと見抜いてしまうんだもの」


 噂に対する手応えのなさ。虚空を掻く様なあの感覚に、間違いはなかった。


「私は、自分の言葉に違わずこの夜を終わらせていた訳だ。桜の感じた違和は、私の事件に対する意欲の低さ。けれどそれは、簡単な事件故。そして、私にとって、これは大言に違わず簡単な事件だった訳だ」


「ええ、そうなのよ。貴方は、二度この事件を終えている。そして今、三回目に手がかかっているけれど——」


 意図を読み取って、構えた。


 けれど、それは全て、無駄。

 だって、相手は冷然院だ。実戦に出ていない十四とはいえ、その本家。ど真ん中。

 抜刀された刀が襲い来る。それは分かっているのに、私は一歩も動けなかった。


「——かはっ」


 私の胸に、刀が突き刺さる。


「安心して。外傷はないわ。このまま記憶を燃やして、また一日目に戻りましょう。此処に辿り着く度、幾度となく私に燃やされて。鎖子、また目覚めたら、この夜を一緒に目指して」


 言って、緋鎖乃が柄を握る手に力を込める。


 ああ、頭が痛い。気持ちが悪い。最悪だ。


 だって、だから。


「え?」 


 緋鎖乃が私の記憶を燃やすより早く、私の体が消える。

 図書館の一室、窓一つない暗がり、謎の部屋の中で、私は消える。


 ああ、気分が悪い。


 消えて、視界を上へ。

 晴れた夜空、月が私を照らしてくれる。中等学校女子部校舎の屋上で、私は脂汗を拭きながら、月を見上げる。

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