七個ないのが七不思議⑤

「あそこが教職棟ね」


「教職棟? 職員室でもあるのか?」


「職員室は学校棟毎にあるわよ。単身赴任だったり、家が遠い先生が入る寮と、大学の教授室が纏まっているのよ」


「へえ、職員が住む寮もあるんだ」


 遠巻きに見える街並みのネオンが、バックライトの様に古野野江学園内にある建造物の形状を浮き出させる。


「学生寮を始めとして、古野野江学園の全ては白裏学園長の賜物ね。私財を擲って、学生の自主性の尊重と、学習環境の充実に努めた人だから」


「そりゃ惜しい人を亡くしたな」


 私の嫌味に、緋鎖乃は眉一つ動かさず、また、口も開く事なく、暗闇に溶け込む学園を見渡し続ける。


「あの辺りは池や森があって、学生のリラックススペースになっているわ」


 緋鎖乃は、一つ一つを指差ししながら私に建物の詳細を話すけれど、その表情は少し不満そう。


「主要なものはこんなところね。はあ」


 分かり易く溜息を吐いて、鋭い視線を私に突き刺す


「なんだよ、その構って下さい的な溜息は?」


「溜息も出るわ。私は放課後に敷地内を案内するか尋ねたもの。鎖子は必要ないと言った、それになのに結局今同じ手間を取らされている。これで溜息を吐かない程私は聖人じゃないわ」


「こういうのは夜の方がいいんだよ。私等の領域は、いつだって夜だ」


 先月までの深夜一時を思い出しながら、私は言った。


「そう。実戦では貴方が先輩であるし、姉様が呼んだ人だものね。不満があっても、私は貴方に従うわ」


「出来る限りの不服さを込めた物言いありがとう」


「皮肉じゃないわ。本当に思っている。私は、なにも知らない半人前だもの」


 半人前。緋鎖乃は、やたらとその言葉を口にする。それが謙遜なのか、はたまた言葉の癖なのか。


「それで、緋鎖乃が白裏を殺した場所は何処?」


 その言葉の先に踏み入る意思がない事を示す様に、話を強引に推し進める。


「本来、それって一番最初に聞かれそうな事よね。それが今。鎖子、なんだか私は不思議な気分だわ。順序が滅茶苦茶。私がもしも貴方の立場だったのならば、それは依頼人である姉様から聞いておくし、もしそうでなくとも、朝一番に尋ねるわ」


「くだらない問答は必要ない。いいから答えて」


「乱暴ね。別にいいわ、それでも。この場では、貴方は先輩だものね。あそこよ、あの外灯の先に見える建物。図書棟、その二階廊下」


 先程説明を受けた内の一つ。横広く伸びた三階建ての大きな建物は、窓の数が少ない異様な外観。所謂、私達の学校にある様な図書室は、この学園では文字通りの図書館として存在していた。


 緋鎖乃は、そこを指差した。私に、示した。


 


「これからなにをするの? 現場検証かしら?」


「いいや。其処には用がない」


 前のめりになった緋鎖乃が、言葉の上でつんのめる。私の予想外の言葉が、そうさせたのだろう。


「もしも仮説通り、白裏が自分の事を口止めする能力で、その能力にお前が絡めとられているのだとしたら、そこに至る答えは口に出来ない筈だ。あの夜になにがあったか一切口にしないのだから、冷然院緋鎖乃が口にした事は、逆説的にあの夜に関係がない。だから、お前が白裏を殺したあの図書棟二階の廊下に、私は一切の用事がないし興味もない」


 夜に浸った冷たい風が、緋鎖乃の長い長い髪の毛を撫でる。靡く艶やかさの中心で、緋鎖乃はまた、口を結んだ。


「なあ、だから、じゃんじゃん喋ってくれよ、緋鎖乃。お前が喋れば喋る程、幅が狭まる。お前が口にした事は、私に関係がない事だ。あの夜に関係がない事だ。私が辿り着かなくていい有象無象のなにかだ。だから、口を開け、開け、飽きる程開いてくれよ。そうしていれば、いつか私はあの夜に辿り着く」


「……凄いわね。私は、こんな依頼が来たらと思うと頭が痛いわ。加害者も被害者もなにも話さないのに、どうして事件が起きたかを調べなければいけないなんて、途方もないパズルを積み上げる様。それを、いつか辿り着くだなんて、自信あり気に言うのだもの」


「ああ、いつかってのは曖昧だったな。二、三日あれば、辿り着いてやる」


 私の言葉に開口しかけた緋鎖乃は、追撃でついにその小さな口を大きく開いた。


「随分……頼もしいのね」


「お前の姉ちゃんが頼る位だ。よし、じゃあ帰るか」


 一通り、夜の古野野江学園を見渡し、私は言った。

 対した緋鎖乃は、正に鳩が豆鉄砲を喰らったといった有様。


「……前言撤回。私、鎖子がなにを考えているか分からない事ばかりだわ。外に連れだしたのは貴方よ? それなのに、特になにもしないで帰るだなんて」


「夜の校舎を見られただけで十分だ。いいんだよ、こういうのは焦っても仕方がない。だから、今日は帰ろう」


 自分で、自分に振り回されている様。


「私が半人前だからかしら。夜の校舎を見ただけで十分だなんて、貴方千里眼でもお使うの? それとも、過去の情報を見通す能力?」


「緋奈巳さんから私の能力聞いてない? 全然違うけれど」


「知ってるわよ。二人目ドッペルゲンガー、自分の分身体を作るのでしょ? じゃあ、一見して十分っていうのは、経験則から?」


 違うよ、と心の中で呟く。


「まあ、そんなとこ。兎に角、今日はもうお仕舞」


「短い哨戒ね。でも、私は貴方に従うしかないものね。私はなにも知らないから、きっと貴方の行動が正しいのよね」


 漠然と私の行動を許容する緋鎖乃。

 対して、私は只管懐疑的に緋鎖乃を見ているというのに。


「ああ、寝よう。夜は本来、眠り落ちる為に暗い」


 私は、出来る限り蒙昧に。出来る限り不明瞭に。出来る限り頓珍漢に。


 緋鎖乃が、なにも分からない様に、振舞わなければいけない。


「桜に帰るって連絡しなくちゃね」


 スマートフォンを取り出し、トークアプリで桜に連絡をする。


「そういえば、緋鎖乃もID教えてよ。連絡先聞くの忘れてた」


「それも疑問に思っていたのよ。普通、最初にする事よね?」


「いいんだよ。私達の世界じゃ、挨拶した二時間後には今生の別れなんて事は日常茶飯事だ。連絡先の交換なんて根付いちゃいない」


「そう、そういうものなのね」


 適当な会話を続けて、私は夜空を見る。

 星の巡りが、少しだけ早い気がした。


 私は、煙に巻く様な会話を緋鎖乃と交わしながら、夜の校舎、その屋上から飛び降りた。



  □



「ただ、それなら出番は私じゃない。解呪なら深だ。時間はかかるかもしれないけれど、発言の枷を外せる筈」


「ええ、もしもそっちの仮説ならば、それでいいかもしれない」


「そっちの?」


「もう一方の時が問題なのよ。だから、十四歳の鎖子はうってつけ」


 状況は思ったよりも整理されている。

 だというのに、どうしてか私に楽をさせてくれる気配はなかった。


「明日ね、古野野江学園に二人、転校生が来るのよ」


 そう言って緋奈巳さんは、厭らしく口角を釣り上げた。


 大体を察した私は、一瞬だけ緋奈巳さんから目を逸らしたけれど、どうあっても逃れられない事を理解して、溜息交じりに応える。


「二人って事は、私と桜? で、二人で古野野江に潜入してその夜の真実を突き止めればいい訳?」


「さっすが鎖子、察しが良い! 一片さんが任せるだけある!」


 仰々しく拍手と共に、上辺だけに聞こえる称賛を浴びる。


「手続きはもう済んでるから、明日の朝からお願いね!」


「また急な……私は体がこんなんだから学校休んでるけど、桜はなんでもないのに欠席になるんだからね。桜に後で謝っといて。あの子、学校好きだから」


「なんでも好きな物買ってあげる。あ、勿論、鎖子にもね」


 親戚の子供をあやすのとなんら変わらない。緋奈巳さんは屈託の内笑顔でそう言って、立ち上がる。


「よし、じゃあ私は帰ろうかな」


 わざとらしい伸びに対して突っ込むのも気が乗らなかったけれど、このままスルーしたらなにも分からないまま押し付けられそうだったので、口を開いた。

 行くも面倒、退くも面倒。緋奈巳さんがここに来た時点で、これはもう既にどうしようもなく面倒事なんだ。


「待って待って、もう一つの仮説は? もう一方の時が問題だって言っておいて、なにも言わずに私と桜を巻き込むのは卑怯じゃない?」


 飄々とした表情の緋奈巳さんに対して、私は出来る限りの真剣な顔を向けた。

 緋奈巳さんは、ふざける余地もないと察して、緩んだ表情を引き締めた。大体を想像しているけれど、もしその通りであるならば、おかしいんだ。道理が違う。

 だって、目の前に居るのは、この国で一番強い人。冷然院の当主なのだから、そんな事がある筈がない。


 私は、分かっていて、それでも、思考が真っ直ぐな道を通らない。


「……殺された白裏は、言ったのよ。冷然院の事は知っている。だから、学園に在籍した緋鎖乃がそういう人間だとも分かっていた。けれど、どうして殺されたか分からない。あの夜に、何故緋鎖乃と居たのか分からない。そして、自分の能力も、自分が今までこちらの領域でなにをしていたのかも分からないって」


 冷然院の膾切り。それを経て尚の言葉は、信憑性が強い。


「だから私達は考えた。白裏は言動に制限をかける能力で、自分と緋鎖乃に枷を嵌めている。理由は分からないけれど、例えば、なにかの組織が関わっていて、一つ事を起こそうとしているのを緋鎖乃が掴んで手を出した。けれど、枷を嵌められた。白裏は自分達の事を悟られる訳にはいかないとか。その能力自体だって、白裏じゃなくて、白裏の仲間の能力だっていい。兎に角、口封じされたという結果なら。だから、調べなければいけない。あの日、あの夜、なにがあったのか。そもそも、白裏潤矢は何者なのか。でも、もう一つだけ、仮説立てられてしまう事がある」


 机上に広がる推察が、歪に積み上がる。


「冷然院の能力系統は知ってるよね?」


「勿論。この国の、こちらの領域に居るのなら誰もが知っている。


 私が言うと、緋奈巳さんは黒い竹刀袋の中から一振りの日本刀を取り出して、室内にも関わらず抜刀した。


 その抜刀に音はなく。白銀の抜き身が窓からの日光を弾いて煌びやか。その刀身を包む様に、抜刀から遅れて、銀が青に変わる。


 緋奈巳さんが抜刀した刀を、青い炎が包んだ。



 言いながら、その青白い火を掻き消す様に納刀する。鍔鳴りと、微かに残る炎の熱だけが、抜刀の残り香。


「だから、それは知ってるって。冷然院は炎を駆る。ただ、個人によって炎の性質は異なるから、ただ炎に対して対策を取ればいいって訳じゃないのが、冷然院の強味、でしょ?」


「その通り。兄も、叔父も、私も、扱う炎の性質は全く異なる。そして、それは緋鎖乃も」


 多分にそこが、話の核心。


「緋鎖乃の能力は、焼却ぼうきゃく


「忘却?」


「そう。あの子の炎は、記憶を燃やすのよ」


 呆れる程短簡に、推測が成り立つ。


「白裏の能力ではなく、緋鎖乃の能力で記憶を燃やされ、白裏は口を開けないのではないか。緋鎖乃は、ただ単に自分の意思で黙秘しているだけなのではないか」


「……なんの為に? 緋鎖乃になんの理由があってそんな事を?」


「分からないから貴方に頼むの。家族である私達に話してくれないから、家族ではない貴方に探して欲しい。一番近い私達で無理なのならば、一番それに適した人材が抉じ開けるしかない。緋鎖乃が隠している事を。あの夜の事を」


 緋奈巳さんは、その凛として顔に似合わない、沈痛な面持ちで言った。


「私は……あの子の事が、分からなくなってしまった」


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