七個ないのが七不思議⑥

「あら、桜は?」


 六月九日、古野野江学園で迎える二度目の昼休み。

 前日と同じ屋上の場所に来た私に遅れて、トイレに寄った緋鎖乃が購買のパンを持って現れた。


「食堂に行くって。嵌ったみたい」


 古野野江学園には、大学棟に一か所と、もう一つ独立した食堂があり、朝から夕方まで解放されている。寮生は寮費に食費が組み込まれているので、自由に食事を摂る事が出来る。昨夜の夕食から、桜は食堂の味が気に入ったらしく、今朝の朝食時に、昼食は単独でも食堂に行くと決意表明をしていた。


「朝言っていたのは本当だったのね。三人でしか話し合えない事もあるというのに。いや、必要ないかしら。今回の件、話し合いは必要ない? もしかしてそうなんじゃないかと私は思っているわ」


 昨夜、今見ている景色とは打って変わった静寂を展開した屋上。そこでのやりとりは、とても整合性や合理性があるものではなくて。でも、それが現状の最善手であって。

 緋鎖乃は私の真意を知らない。私が、緋鎖乃が白裏を殺した夜の真相を目指しながらも、緋鎖乃自身を暴き出そうとしている事を。現状、なにが真実でなにが虚構なのか。


 あまりに曖昧な現状に対して私の整合性がないのは、私自身この状況での挙動に正解を見出せていないからだ。

 私達の領域では珍しい事ではない。知らなくて当然、分からなくて当たり前。だったらどうするのか。


 知るまで、やる。分かるまで、やる。


 賽を振るのは、自分自身だ。


「白裏は何者なんだろうね。緋鎖乃に枷を嵌めて、自分自身にも枷を嵌めて。そこまで知られたくない事ってなんだろう? 死後も言動を縛るなんて、便利な能力。敵性の尋問に対するこれ以上ない鉄壁。お蔭で、私は今なにも分からない、暗い暗い謎の中だ」


「だったら行動を起こしなさいよ。鎖子、貴方言っている事とやっている事が滅茶苦茶。ダイエットを謳いながらお菓子に手をかける様なものよ。だとしたら昨日のはなに? 月夜のこの屋上で、ただこの学園を見渡しただけで戻った貴方はなに? もしかして、貴方は無能な働き者なの? 有能というには怠けているし、無能というには活発だわ。少なくとも、私にはそう見える」


「さあどうだろう? 全てが終わった後に分かるかもね。私が有能な怠け者か、無能な働き者か」


「それじゃだめじゃない。今分からなければ。姉様の事を信頼しているから、私は自然貴方を信頼している。だから、どうかそれを裏切らないで。あの夜を、暴いてみせて」


 あの夜を、暴いてみせて。


 緋鎖乃は、初めて自分の口であの夜に言及した。

 今まで閉ざしてばかりだった殺害の夜を口にした。


「暴いてみせるさ」


 私は購買の弁当を口に運びならが言ってみせた。


 秘密を抱えた人間は、暴き手を叱咤するだろうか?

 緋鎖乃は、口を閉ざしているのか、閉ざされているのか。もしも閉ざしているのなら、抉じ開けてみせろなどと声を上げるだろうか。


「期待しているわ。私は役に立ちそうにないから」


 パンを持って座る緋鎖乃が言う。風に靡く赤茶の長髪。それを目で追うと、目が痛くなるほどの青空と、学生達の喧騒。

 それ等が降りる深夜に、私はきっと此処に来る。



 ■



「ただいまー。あれ? 緋鎖乃ちゃんは?」


「教材の片付けだとさ。委員会の仕事だって」


 午後五時二十七分。夕暮れにまだ早い時間。中等学校女子部の寮、校舎から一番慣れた棟の二階、五部屋の真ん中で、私はベッドに横たわっていた。


「お姉ちゃん、制服着替えなよ。皺になるよ」


「あー着替え取ってー」


 だらしなく言う私に、桜はジャージを投げ付ける。ベッドに寝転んだまま、もぞもぞと着替えを終え、制服を桜に投げる。


「お姉ちゃんだらしない。お嫁さん行けないよ?」


「桜と違って予定ないから平気。放課後何処行ってたの?」


「食堂」


「食べ過ぎだよ。夕飯食べられる?」


 体を起こして桜を見ると、随分と満足気な表情を浮かべた桜がテレビのリモコンを手に取っていた。


「大丈夫。夕食の時にはお腹空くから」


「桜は大きくなるよ、きっと」


 横かもしれない、とは付け加えないでおいた。


「うん、知ってる。だって私、お姉ちゃんの妹だから。もう直ぐお姉ちゃんみたいに大きくなるんだ」


 桜は十四歳。私が身長の伸び始めた時期を考えると、丁度これから大成長する可能性がある。思い出されるのは、成長痛に悩まされた日々。


「ねえねえお姉ちゃん、今日はなにするの?」


「なにって?」


「なにって、学園長が殺された理由を探しながら緋鎖乃ちゃんの事も調べるんでしょ? だから、それで今日はなにをするのかって事だよ。私、お姉ちゃんからどうするかって具体的に聞いてないもん」


「しょうがないでしょ? だって、具体的になにも決めてないんだもん」


「……え?」


 反応を数瞬遅らせた桜は、立ち上がってベッドに身を投げた私を覗き込む。


「ちょっとお姉ちゃん、どういう事?」


「どういう事って、そのままの意味。私も、なにをすればいいか分からない」


 体を起こして、続ける。


「仮説通りの能力を持った白裏が緋鎖乃の言動と自分の言動を縛ってまで隠したいものはなんだ? 自分にすら枷を嵌めている可能性ってのは、尋問された時の対策に他ならない。まさか、死後も拷問されるなんて思っていないだろうから。つまり、白裏に吐かれちゃ困る事があるからだ。そうなると、白裏がそういう能力というより、第三者が居て、そいつがかけた能力の可能性が高い。つまり、白裏以外の誰かが居て、そいつ等がこの学園でなにかをしようとしていた。そに巻き込まれた緋鎖乃は、口封じされた。この仮説を信じる場合、私達がする事はなに?」


「緋鎖乃ちゃんが学園長を殺した夜になにがあったかを調べて、その関係者を見つける」


「具体的には?」


「事件のあった場所を調べるか、緋鎖乃ちゃんに聞く」


「後者は不可能だ。仮説通りなら緋鎖乃は喋れない」


「じゃあ事件のあった場所をせめて調べないと」


「緋鎖乃は私に事件のあった場所を告げた。口を開いた。図書棟二階の廊下。つまり、そこにはあの夜に関する事はなにもないって事だ」


「……そこまで言動を縛る能力じゃないんじゃない? 第三者の特徴とか、その日にどう殺した、なにがあったとか、直接的な事だけ喋れない様にするみたいな」


「だとするなら、緋鎖乃は喋らな過ぎだ。もう少し私や緋奈巳さんに情報を出せる筈。それを考えたら、緋鎖乃が口にした事は無関係と判断する方が自然だ」


「あー確かに」


「ほらね。出来る事がない。そして、二個目の仮設。緋鎖乃が自分の能力で白裏の記憶を焼却していた場合。緋鎖乃がなにかを隠す為に一番の証言となる白裏の記憶を消した。冷然院のやり口を分かっている緋鎖乃ならば、死人であろうが記憶を消しておく。この場合、私達がする事は?」


「緋鎖乃ちゃんに、学園長を殺した理由を聞く」


「自分の意思で黙っている人間だ。無理に決まってるでしょ」


「あれやればいいじゃん。冷然院の、なまずぎり、だっけ?」


「膾、ね」


「そうそう、なます」


 平然とした表情で言い切る桜。

 家族を拷問すればいい。桜は、当然の様に言ってみせる。


「桜、あんたの言ってる事は間違ってないけれど、口にする事じゃないよ」


「そうかなあ」


 桜にとっての世界は、家族だ。

 それは内側から見ればとても素晴らしいものだけれど、言い換えてしまえば、家族以外はどうでもいい。


 桜の長所であり、短所。


「ま、そんな訳だから、出来る事が少ないの。だから、出たとこ勝負でいいかなって気がしている。どちらの仮説が正しいにしろ、いずれボロが出るでしょ。緋鎖乃からか、それとも、別のどこからか」


「ふうん。お姉ちゃん、結構適当だね。でもさ、緋鎖乃ちゃんが犯人って事はないと思うよ」


「珍しい、桜が推理するなんて。私は今回特殊だけど、出たとこ勝負と言えば桜なのに」


「私だっていつまでも子供じゃないもん!」


 胸を張りながら私に向き直る桜。本当に珍しい。桜は基本的には出たとこ勝負。頭を回転させるのが得意な方ではない。


 というよりは、させる必要がない。


「で、その理由は?」


「えー、だって、緋鎖乃ちゃん協力的でしょ? もしも犯人なら、もっと嫌がる筈だよ。私やお姉ちゃんが来る事も、一緒に行動する事も。私が犯人でなにかを隠していたら、こんなに自由に動いて欲しくないもん。もっと大人しくしていて欲しい。だって、見つかっちゃうもん、隠しているなにかが」


「あー……」


「だから、私は、なにかが隠されてると思う。むしろ、この学園にね」


「またそんな限定的な」


 私が体を起こして言うと、桜はテーブルの上にメモ用紙を出して、なにかを書き始める。スマートフォンを覗きながらなにかを書き上げ、手書きのメモを私に渡す。


古野野江学園七不思議


一、中等学校男子部校舎四階音楽室の止まないピアノ


二、古野野江大学中庭動く銅像


三、初等部校舎三階女子トイレ最奥個室の泣き声


四、午前二時の学園南門は恐ろしい


五、学園東部森の道は終わらない


六、飲み込む池


「なにこれ?」


 渡されたメモを一通り読んで、桜に尋ねる。


「なにって、古野野江学園にある七不思議。食堂で仲良くなった子達から聞いたんだ」


 思わず目を見開く。

 人見知りと言って差支えない桜が、転校先で話し相手を見つけるなんて。兄貴に話したら手を叩いて喜びそうな出来事だ。

 というか、私自身が一番驚いている。姉として、開口を禁じ得ない。


「どうしたの? 東城で友達作るのに半年かかったっていうのに、随分積極的」


「んー、仕事って割り切ったら、普通に話しかけられたよ。お友達にならなくていいって、気楽だね」


「どういう事?」


「だって、事件を解決したら私は居なくなっちゃうんだから、友達になる必要はないでしょ? 大事にしなくていいって考えたら、気を遣わなくていいから、なんでも話しかけられちゃうよ」


 桜の人見知りは、人とは少し性質が違う。まさかこんなタイミングでその事を知るとは思わなかった。今後の参考にしよう。


「なるほどね……なんか、言いたい事はあるけど、いいか。てか、仕事?」


「そう。郷に入れば郷に従えって言うから。古野野江の事を調べるなら、古野野江の人に聞くのが一番って思って。それで、出て来たのがこれ」


 なんだか大人っぽい事を口にした桜に面喰らってしまったが、自信あり気に出して来たのはなんの事はない。


 一つ欠けた、七不思議。まだまだ桜も子供らしい。


「これって言われてもね……七不思議らしく、ちゃんと一つ欠けてるじゃん」


「それね、不思議だよね。七不思議なのに、六つしかないなんて。私の学校は、ちゃんと七つあるよ」


「それはあんたんとこの七不思議を考えた奴が優秀か暇人かだね。大抵は、誰かが暇潰しで考えたものだから、七つもないんだよ。大抵四つか五つで終わり。しまいには、七個目がないのが七個目の不思議、みたいな濁し方まであるから。これは六つあるだけで上等。でも、所詮はまがい物。どこかの誰かの暇潰し、話の種だよ」


 私は桜のメモを一笑に付してもう一度体をベッドに預けた。そんな私の顔を、桜はまた自信あり気な表情をして覗き込む。


「お姉ちゃん、たかが七不思議なんて真に受けてって、桜は子供っぽいとか思ってるでしょ?」


 図星を突かれて、思わず口籠る。桜は更に追撃する。


?」


 世間話にも似た会話、その緩んだ空気が一変する。


 むかしからある、与太話ではなく。この時代に、七不思議なんて流行りはしない。それが、今。よりによって、学園長が死んだ時期に発生した、噂話。 


「そしてもう一つ。これから学園の事を調べようって人間に、私達と同じ世界を生きる人間なら、この七不思議の事を話すと思うんだけれど」


「緋鎖乃は話さなかった……それか——」


 私の言葉を奪って、桜がこれでもかという得意げな表情で言う。



 私は思わず、息を飲んだ。

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