七個ないのが七不思議①

鎖子さこー! お客さん!」


 六月七日。玉子を連れて来た兄貴が家に帰った次の日の夕方だった。


 しんの解呪で元に戻りつつあるけれど、まだまだ学校に通うには背丈が足りない私は、朝から自室で寝転び、漫画を読んでいた。

 そんな私を、相変わらず歳不相応な金髪である深が、真凛まりんに付けるを付けずに大声で呼ぶ。

 階下からの声に体を起こし、階段を降りる。


緋奈巳ひなみさん!」


 玄関には、深。そして、深が言うところのお客さんが居た。


「あら、子供になったっていう話、本当だったのね」


 赤茶の長い長い髪の毛を携えた冷然院れいぜんいん 緋奈巳は、笑いながら言った。

 濃い青と白のチェック柄であるクロップドパンツから伸びる長い足を上げて、家に上がる緋奈巳さん。白いシャツの右肩に携えた黒の竹刀袋だけが、やたら異質だった。


 緋奈巳さんを玄関横の茶の間に案内する。真凛はまだ帰って来ていないので、代わりに玉子たまこがお茶を準備していた。行動が早い、早過ぎる。この子はきっと出来る子だ。

 ちなみに、さくらは台所から遠巻きにこちらの様子を伺っている。


「玉子、私がやるからいいって」


「でも、私も家族ですから」


 桜はこの家に馴染むのに大分かかったものだが、玉子は深同様馴染むのが早そうだ。自分から家族だからという言葉が出るのは、非常に良い傾向だ。


「貴方が……赤雪あかゆきの?」


「え、あ、はい。八王子はちおうじ玉子改め、赤雨あかさめ玉子です」


「ごめんなさいね。なにも出来なくて」


 緋奈巳さんは、頭を深く下げてから座布団に座った。


「え……?」


 緋奈巳さんが謝るのには理由がある。

 日本は他国と違い、私達の領域を管轄する組織がない。組織は得てして腐敗してしまう。怪異一つ倒すのに、妖魔一つ祓うのに、政治が発生する。

 そういうしがらみを拡大させない為に、古くからこの国では冷然院が単独で最強で在り続けた。最強で在り続ける事で、この国を守っていた。

 東に妖と在れば斬り伏せ、西に呪渦じゅかと聞けば駆けつけた。

 だから、最強が届かなければ、緋奈巳さんは頭を下げる。この国で起きた全ての最悪は、冷然院が背負うべきだと考えているから。


「あ、あの、鎖子さん……この人って……?」


 玉子は座りながら私に耳打ちする。玉子からしたら、緋奈巳さんはただの来客でしかない。勿論、その名前は知っているだろうが、初対面であるのだろう現状では、その全てを把握するのは難しい。


「冷然院の当主。追々説明するから今は流しといて」


「冷然院!?」


 思わず玉子は声を上げた。

 当然だ。まごうことなき日本最強が、目の前に居るのだ。

 この、なんの変哲もない家の茶の間に、当たり前に鎮座している。


「鎖子、一片ひとひらさんは?」


「残念、昨日まで居たよ」


「べ、別に残念じゃないし」


 今年成人を迎える緋奈巳さんは、まるで少女の様に顔を赤らめて否定する。


 その隙を見逃さず、玉子の目の色が変わった。ああ、そうだ。玉子もだった。こいつ等、感覚がおかしいんだ。


「桜、席外して。玉子も。大人の話だから」


 私はそういう難癖を付けて、桜と玉子を茶の間から追い出した。十四歳頃に戻っている私がそんな事を言うのは少し間抜けだけれど、玉子が会話の邪魔になる気がした。それに、緋奈巳さんがうちを尋ねるなんて、仕事の話以外在り得ないから、追い出しておくに越した事はない。


 ちなみに、そういうのを察している深は、緋奈巳さんを案内して直ぐ部屋に戻っている。


「ごめんなさいね、鎖子も今そんな姿で大変だろうに——」


「いいのいいの。これも結構楽しいから」


「真凛の能力なんだってね。逆廻さかえの力が発現したと。事象の逆行?」


「兄貴曰く、肉体退行だろうって話。ただ、記憶も能力も変わりがないから、純粋に肉体にのみ作用する能力だね。時間が戻った訳じゃないと思う」


「そう。どちらにせよ、修復、修正という観点からならばとんでもない能力よね。春比良はるひらが欲しがりそう」


「確かに。でも、緋奈巳さんとこの従姉妹には負ける」


「あれは奇跡だからねー」


 この世界に記録が残っているだけで、四例。そこに新たに加わった五つ目。それが、緋奈巳さんの従姉妹

 その途方もない奇跡の発現を私が知っているのは、冷然院と戸破ひばり家の関係が深いからだ。いや、正確には、よこたて一片と緋奈巳さんの関係にある。


 仕事を一緒にしたのが切っ掛けで、それ以降は日本最強同士話があったのか、はたまた緋奈巳さんの恋慕故か。二人はやたらと仲が良く、冷然院が時たま仕事の手伝いを戸破に頼む事があった。


 もっとも、出張るのは兄貴か私。冷然院も冷然院で、その全てを無暗に開示する訳にはいかない。特に従姉妹達の奇跡など、世界の歴史に名を残してしまうレベルなのだから。


「兄貴が居なくて私になっちゃうけれど、大丈夫?」


「ええ。なにせ、一片さんが言ったんだもの。僕が居ない時は鎖子を頼ってくれって」


「買い被られてるなあ。先月大ポカしてるんだけどね。だからこんな姿な訳だし」


「深夜一時の化け物だっけ? 事件だけ見れば、いつかの口裂け女に匹敵する事件だもの。むしろ、あれだけの被害に留めたと見るべきよ。多分、あの日を超えていたら、あれは完全に口裂け女の再現になっていたもの」


「緋奈巳さんにそう言って貰えると、少しだけ救われるよ」


 私の、失敗。そう、あれは失敗だった。

 調子に乗った、私の失敗。


「でもね、今回はむしろ鎖子が良かったの。しかも、今の鎖子にうってつけ」


「今の?」


「そう。その姿になった事は、私にとっては好都合。もっとも、最悪の中でって前置きはあるけれど」


 緋奈巳さんは一口お茶を飲んで、続ける。


緋鎖乃ひさの、知ってるよね?」


「緋奈巳さんの妹でしょ? 緋奈巳さん家に行った時、一度だけ挨拶したよ」


 冷然院緋鎖乃。冷然院本家の次女で、歳は桜や深と同じ十四だった筈。


「緋奈巳さんの兄貴苦手だからそっちの印象しかなくてあんまり憶えてないけど、緋鎖乃がどうしたの?」


「緋鎖乃の通う古野野江こののえ学園の学園長白裏はくり潤矢じゅんやが、昨日夜に殺されたの。場所は校舎の中」


 なんて事のない殺人事件を、緋奈巳さんは無感情に口にする。人が死ぬ事に対して、私達は普通とはずれているかもしれない。だから、それをなんともない様に口にする。けれど、ここに緋奈巳さんが来た。つまりは、そういう事だ。


「へえ。で、犯人探しを手伝えって? そんなの、緋鎖乃にやらせればいいじゃん」


「そういう訳にもいかないのよ。


「え?」


「犯人というよりは、容疑者だけれどね」


 先程まで軽かった空気が、ぐっと重くなった。


「緋鎖乃が犯人って……なに? その学園長がなにかの事件の犯人で、緋鎖乃が戦ったとかじゃないの?」


「んーそうだといいんだけどね……分からないのよ」


「分からないって?」


「いや、勿論ね、冷然院から猟奇殺人犯が出るなんて思ってないし、姉として、緋鎖乃がそんな子じゃないのは当たり前に理解している。でも、状況がそうなのよ。私が緋鎖乃に呼ばれて夜の学園を訪れた時には、廊下で死体となった白裏潤矢と、返り血を浴びた緋鎖乃が立っていただけだった」


「じゃあ緋鎖乃に話を聞けばいいだろ?」


「それがね、なにも話してくれないの。ただ、。それしか言わないのよ」


「そんな無口な子だったっけ? あんまり憶えてないけど」


「鎖子程活発な子じゃないかもしれないけど、明朗な妹よ。それが、つんとして一切話してくれない」


 状況が混濁している。まず、前提がはっきりしない。


 冷然院が無辜の人を殺めたとあれば、大問題だ。

 冷然院という抑止力。その強大な正義の背中に憧れ、協力している人間は少なくない。だがそれは、冷然院が最強である事が前提だ。

 緋鎖乃の今回の件。状況によっては、数百年に辿る冷然院の土台を揺るがしかねない。


「あんまりいい話じゃないけど、その。なんで殺されたんだって」


。今朝も爪先からなますにしてやったけど、知らぬ存ぜぬ。分かったのはこちらの領域の人間である事だけ」


 冷然院の膾切り。寸分違わず肉体を尋問方法は、痛みも勿論の事、なによりその視覚に恐怖を訴える。


「そいつの能力は? せめてそれが分かれば、近隣で起きた事故、事件と照らし合わせる事が出来る」


「それも喋らない。足首まで減らしてみても、知らないと泣き叫ぶだけ。だから、私達は二つの仮説を立てた」


「仮説?」


「そう。なにか事件があったのかもしれない。だから、緋鎖乃は白裏を殺めたのかもしれない。けれど、その一切を緋鎖乃は話さない。そして、殺された白裏も、三時間かけて足を削られたにも関わらず一切を語らない。それじゃあ、もしかしたらって考えた」


「だからなに?」


「殺された白裏は、口封じに類する、発言を制限する能力を使うんじゃないか」


 尋問、拷問の際に重宝される種別の能力。そこまで珍しい部類ではない、発言操作の能力。

 確かに、そういった類であるのならば、現状に符合する。真実を閉ざされた緋鎖乃。そして、恐らく、自らにその枷を嵌めた白裏。


「ただ、それなら出番は私じゃない。解呪なら深だ。時間はかかるかもしれないけれど、発言の枷を外せる筈」


「ええ、もしもそっちの仮説ならば、それでいいかもしれない」


「そっちの?」


「もう一方の時が問題なのよ。だから、


 状況は思ったよりも整理されている。

 だというのに、どうしてか私に楽をさせてくれる気配はなかった。


「明日ね、古野野江学園に二人、転校生が来るのよ」


 そう言って緋奈巳さんは、厭らしく口角を釣り上げた。

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