七個ないのが七不思議②
「名前は東雲鎖子。苗字はりんかい線の東雲駅で、名前は
「東雲桜です。お姉ちゃんの双子の妹です。名前は春の桜で、お姉ちゃんが付けてくれました」
私は直接聞いていた訳ではないけれど、恐らく桜の馴染みの挨拶なのだろう。
双子の設定である今の私達にとって、私が桜の名前を付けたというのは噛み合っていない。
「桜、双子の設定途中で忘れてる」
「ああ、ごめん。えっと、よろしくお願いします!」
声を顰めて会話した後、桜は大きな声で挨拶をして微妙な空気を流した。
黒板の前で、慣れないブレザーをきっちりと着込んだ私と桜は自己紹介を終える。
学校という空間で、桜と一緒に自己紹介をする経験は初めてだし、桜と視線の高さが同じだというのも初めての経験だ。
「それじゃあ、皆二人と仲良くしてあげてね。席は窓際の一番後ろとその隣で」
担任の先生に促され、私と桜は着席する。緋奈巳さんが手を回したのか、私の席は東城と同じ場所だ。
古野野江学園。神奈川の端にあるこの学園は、幼稚部、初等部、中等学校男子部、中等学校女子部、高等学校男子部、高等学校女子部、古野野江大学、古野野江大学院が敷地内に併設され、最早一つの都市として存在している。
六月八日、私と桜は、その古野野江学園中等学校女子部二年五組に居た。
昨日の今日で転校出来るという状況にした冷然院には舌を巻いてしまう。ただ、驚愕したのは転校させた事ではなく、自分達の問題に私達を引っ張り出して無理矢理にもこんな状況に押し込んだ事に対してである。
事件近隣の学校の転校させる、というのは、別段珍しい事ではないから。
今日から私と桜は、この馬鹿でかい学園の中で、事件の真相を解明する。
「それでは、今日も一日健やかに!」
担任が挨拶をして、ホームルームが終わる。
予感がある。ただでさえ双子。そしてこの時期の転校だ。
所謂恒例行事。私と桜への質問攻めが来るに違いない。ホームルームが終わると共に、教室中の学生の視線が私達に向けられる。予兆というには余りにも確か。
だから、先に手を打った。尤も、それがこんなにも効果的だとは思わなかったし、なにより——
おかしかった。
私は即座に席を立つと、桜の二つ前の席に向かい、そこに座る女学生の肩を叩く。
「緋鎖乃、おはよう」
緋奈巳さんに似た、赤茶の長い長い髪の毛。それを靡かせて振り向く顔は、緋奈巳さんをそのまま幼くした様。
ただ、瞳の中だけが、緋奈巳さんと違って、黒く深く、吸い込まれそうに怖かった。
「おはようございます、鎖子」
私が予想したのは、いや、予想というよりは、もっと当たり前。だって、今日初めましての転校生がクラスメイトと顔見知りらしいやりとりをしたのなら、興味はその関係性に向かうものである筈だ。
だから、おかしかった。
私が緋鎖乃に話しかけると、私と桜に向いていたクラスメイト達が目を伏せた、逸らした、背を向けた。
一瞬だけ、その異常に気を取られて空白が私を埋める。直ぐに気を取り直して、緋鎖乃に言う。
「ちょっと話そうよ」
「お昼休みにしましょう。朝はあまり時間がないから」
そんな異質な空間の中にあって、緋鎖乃はなにも感じていないみたいに、返答した。
■
「珍しいでしょう? 屋上、解放されているの」
昼休み、緋鎖乃に連れられて、私と桜は中等学校校舎の屋上に立ち入った。
高い高い金網で囲われた屋上に、昼休みの喧騒が届く。遠くで散り散りになる声と声が、学園の活気を彩っていた。
空は、青い。
緋鎖乃は特等席なのか、屋上の一番高いところ、入り口の上に設置された貯水槽があるスペースへと一足飛びで登った。どうせ誰も見ていないと、私と桜もそれに続いた。
空が、少しだけ近付く。
「屋上は誰も来ないから、空を独り占め出来るの。まるで、世界に私だけみたい。でも、遠くから聞こえる騒がしさがあるから、寂しくはないの」
緋鎖乃は言いながら、購買の袋から弁当を取り出した。
誰も来ないのは当然だ。緋鎖乃は解放されている、なんて言ったけれど、屋上に入る際自分の物と思われる鍵で扉を開錠していた。ただ、別にそれが道理を逸れていたって、私にはどうでも良かったから流した。
私と桜も腰を下ろして、購買の袋からパンと牛乳を取り出した。
「学食がとても充実しているからそちらに案内したかったんだけれど——」
「いいよ、人に聞かせる話をする訳じゃないんだし」
どこかのらりくらりと会話を続ける緋鎖乃の言葉を遮る。
「私と桜は、まだなにも知らな過ぎる。緋奈巳さんも……冷然院がなにも把握していない状況だから、お前から話を聞くしかない」
「そう……姉様も雑な人。鎖子だって一度挨拶をしただけだし、桜に至っては初めましてだっていうのにね。初めまして桜、冷然院緋鎖乃です」
やはり緋鎖乃は、落ち着いているというよりは、掴みどころのない雰囲気で口を開く。
「初めまして、東雲桜です。桜って名前は、お姉ちゃんが付けてくれました」
「朝も聞いたわ。よっぽど誇らしいのね、その名前が」
緋鎖乃の言葉を聞いた桜は、パンを齧りながら首を縦に振って笑った。
初対面の人の前で笑うなんて、珍しい。
緋鎖乃とまともに顔を合わせるのは、此処が初めてだ。かつて冷然院の家で挨拶をした時はなあなあだったし、昨日の今日で学園に放り込まれた私達と、古野野江学園敷地内にある寮に住む緋鎖乃とでは、顔を合わせるタイミングがなかった。
だからと言って、今更自己紹介が必要な間柄でも状況でもない。
「そういうのはいいから。私が緋鎖乃に聞きたい事は一つだけだ」
「あら、そうなの? 私は沢山あるけれど。子供に戻る気持ちとか、とても気になるもの」
「だから、そういうのはいいから。緋鎖乃、どうして学園長を殺したの?」
私の言葉に、時間が止まる。止まり続ける。
喧騒だけが空を覆って、晴天の下は空虚。緋鎖乃は相変わらず深い瞳のままで、口を真一文字に結んでいる。
私の質問に答えない。いや、答えられない、か。
唐突な私の質問は、やはり前情報の通り通せん坊。
「……本当になにも言わないのな。想定内だけど」
「ええ、仕方のない事だから」
緋鎖乃が手にかけた学園長の白裏。もしも奴の能力が緋奈巳さんの推察通りなら、手掛かりのない現状は当然の帰結だ。
その渦中に居るというのに、緋鎖乃はやはりどこ吹く風。弁当をゆっくりと咀嚼している。
「なんか……緊張感ないよな」
「私?」
「緋鎖乃もだけど……学園も。学園長が死んでるってのに、やけに静かだ」
「それはそうよ。だって、表向きは休職しているだけだもの。それに、冷然院の家でまだ生きているし」
「いや、そうじゃなくて……まあいいや。これからどうするか考えないとな」
あまりに静かだ。
事件が起きたのなら、私達の領域の怪異がなにかあるのならば、不思議な空気がする筈だ。
第六感なんて事は言わない。ただ、幾度となくこういう経験をしているから分かる雰囲気がある。
事件の匂い、始まりの気配、奇奇怪怪の予兆。そういうものが緋鎖乃にも学園にもなくて。
逆に、とある匂いが、気配が、余韻があるけれど、それでは緋奈巳さんの言うもう一つではないか。
これじゃまるで——
「それで、これからどうするの? 私に出来る事は少ないと思うけれど」
「どうするもこうするも、冷然院緋鎖乃は何故古野野江学園学園長白裏潤矢を殺害するに至ったか、を解明しないと。天下の冷然院が、なんの理由もなく人を殺しましたじゃ済まないでしょ?」
「ええ、済まないわ。面汚しもいいところ。冷然院という名に顔向けが出来ないもの」
「だから、可能な限りで私と桜に示唆してくれ。どこをどう調べれば真相に至れる可能性があるのか。私と桜は、お前が話せる分水嶺内を押し上げて最終形に辿り着く。お前の姉に依頼されたのは、それだ。事件の全貌を解明してくれ、と」
「そう、姉様もお節介なのね」
「お前がそんな状況じゃ仕方ないだろ」
そうね、と呟きながら、緋鎖乃は箸を進めた。
日本の天辺と言い切れる冷然院。実戦にこそまだ出ていないものの、その血のど真ん中、本家の次女である緋鎖乃が直面した今回の事件。容疑者と共に事件の全容を解明するという奇妙な捜索が、始まった。
「そういえばさ、もしも、もしもの話、緋奈巳さんから明確なタイムリミットを聞かなかったけれど、なにも手掛かりがつかめなかったら、お前どうなるんだ?」
パンを齧りながら、質問した。
質問か、はたまた、尋問か。
冷然院の名に顔向けできないと言うのなら、面汚しだというのならば、もしもこの事件が緋鎖乃の手によるものとの過程で終結した場合、誰もが想像出来る結末を迎える。
「死ぬわ。死ぬに決まっているでしょう? 兄様でも、姉様でも、叔父様でも、誰でもいいの。自分の刀でもいいわ。私は、死ぬわ。私が無下に命を奪ったのなら、私は無下に命を落とすわ」
相変わらずの黒く深い、吸い込まれそうな瞳で私を見据えて。
なにも感じていないみたいに、緋鎖乃は言った。
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