赤い宗家の白と黒⑨

 螺奈さんを貫いた槍が引き抜かれると、螺奈さんは廊下にそのまま崩れ落ちて、俯けに倒れた。無垢な白は赤に染まって、その体躯の傍に立つ黒い出で立ちの赤月空は、手にした槍を振って血を払い除けた。


「空!!」


 僕より早く、幽亜くんが飛び出した。ライダースジャケットを広げ、両手に四本ずつナイフを握り込んで、投擲した。

 扱えるのは二本まで、と言ったいた筈。複雑操作でないから果たせたのか、はたまた、窮鼠猫を噛んだのか。

 銀の飛翔が黒の槍兵に照準を合わせる。先行した八つの刺突に続き、再度ジャケットから二挺ナイフを取り出し、幽亜くんが突進する。


「幽亜、悪手だ」


 赤月空は呟いた。姿勢を屈め、右手に持った槍を右肩に担ぐ。刹那、飛び出した。

 槍の投擲。元来、投擲は攻撃の手段の一つではあるが、幽亜くんの攻撃を捌ききるには、それは絶対に手元に置いておかねばならない筈だった。

 されど、その投擲は、赤弓幽亜が放った八つより早かった。


 幽亜くんとは実際に交戦した。年齢を考えれば、十二分に精練された技量だ。達人の域と形容出来る。

 その赤弓筆頭が放った八つが届くより早く、槍は放たれ、幽亜くんを貫いた。飛翔した八つが、意識を失った様に落下した。

 そのまま、幽亜くんは飛んだ。放たれた槍の勢いそのままに玄関まで押し戻されると、壁に突き刺さった。玄関の壁に、幽亜くんが張り付けられた。


「幽亜くん!」


 叫ぶ僕の方など一瞥もせず、幽亜くんは自分に突き刺さった槍の穂を力強く掴む。その手を切り裂きながらも、槍を引き抜こうとしている。


「ごぶっ……そ……空……」


 口から血色の泡を漏らしながら、身に宿した全ての悪意を込めた様な眼光で、正面を睨む。


「空あああ!!」


 血を撒き散らして、幽亜くんが叫ぶ。自力で槍を引き抜くと、そのまま廊下に倒れた。


「幽亜、槍は冥土の土産だ。俺はもう要らぬ」


 赤月空は、言って振り返り、廊下の闇に消えた。


「幽亜さん!」


 玉子ちゃんが幽亜くんに駆け寄る。僕はその声に弾かれて螺奈さんに駆け寄った。

 赤月空の気配は完全にない。俯けに倒れた螺奈さんを起こす。口元から、血が滴っている。


「螺奈さん!」


 僕の呼びかけに、閉じていた目をゆっくり開く螺奈さん。弱弱しく口を開く。


「……十さん……」


 喋るな、とは言えなかった。螺奈さんだって、十二分に達人と言える。そんな螺奈さんを、そんな幽亜くんを圧倒した槍撃だ。致命傷に決まっているのだ。その一撃が、必殺でない訳がなかった。


 僕は、最後の言葉を聞く為に彼女を起こした。


「螺奈さん……ゆっくりでいい」


「あ……あの……玉子……」


 それで、終わった。


 彼女は、最後の言葉の全てを待たずに、口を噤んだ。

 僕は螺奈さんの瞼を閉じると、口元の血をスーツの袖で拭ってから、体を抱え上げた。


「幽亜さん! 幽亜さん!」


 玄関では、俯せに倒れた幽亜くんを揺すりながら、玉子ちゃんが叫んでいる。

 僕は倒れて動かない幽亜くんの隣に螺奈さんを寝かせて、俯せの幽亜くんを仰向けにした。螺奈さんと同じ様に、まだ熱の残る瞳を閉ざして、口元の血を拭った。


「うう……うわああああ!!」


 玉子ちゃんは、顔を伏せて叫んだ。泣き叫んだ。


 歳の割に、出来過ぎだと思った。親族間の殺戮を越えて、幽亜くんと出会って、螺奈さんと出会って、そして此処まで来た。

 十代も折り返さないこの子は、目の前で親を、兄を殺され、それでも家族を助けたいと僕に言った。

 駆ける道中の屍に目を背けながらも、強い子だと思っていた。


 多分、この子は、泣いていたのだ。

 幾重の逃走の、どの時も例外なく、きっと泣いていたのだ。

 この子は強い子だけれど優しいから。だから、泣いていたのだ。


 それが今、決壊した。


「ううう……ああああ……」


「玉子ちゃん」


 泣き崩れる彼女の背中に、僕は言った。


「先程の赤月空は、相当な使い手なんだね。幽亜くんが赤月は武闘派、と言っていた。彼は螺奈さんと幽亜くんを手にかけて、叫びはしたけれど君を視認出来ないから引き返した。部外者の僕に目もくれずに引き返した。多分それは、終わりの証拠だ。恐らく……赤雪と赤雪分家の十四の争いは、収束したのだと思う。だから、彼は僕に目もくれず引き返したんだ。でも、まだ君が居る。だから、立つんだ」


 玉子ちゃんは、螺奈さんは、幽亜くんは、家族を守りたいと言った。

 幾重の絶望の果て、願いの隙間を全て覚悟と屍で埋めて、此処まで辿り着いた。

 だから、泣いていてはだめだ。


「……もう、いいです……」


 強かった彼女は、弱弱しい声で、そう言った。


「玉子ちゃん。だめだ、立つんだ」


「いいんです……もう、いいんです」


「玉子ちゃん!」


 泣き伏せる彼女の肩を掴んで振り向かせた。ぐちゃぐちゃの顔は、あらゆる悲愴を表現していて、瞳の色は、真っ黒に落ちていた。


 偉そうに、説教をする気じゃない。こんな状態になってしまった彼女を、立たせるなんてとても僕には出来やしない。

 けれど、けれど、僕は頼まれたんだ。

 螺奈さんに、幽亜くんに、頼まれたのだ。

 彼女が、彼が家族を守りたいと言った。だから、僕が、僕が諦めてしまってはだめだ。


「絶望するのは簡単だ! このまま泣き続けるのは簡単だ! 簡単だから、その先にはなにもないぞ! 螺奈さんも、幽亜くんも、そして君も、ここまで困難な道を来た! だから、止まってはだめなんだ! 簡単な道は、何処にも繋がってはいないんだ!」


 僕は覇気のない彼女の瞳を覗き込んで叫んだ。けれど、彼女はただ瞳の色を曇らせるだけで、力なく呟く。


「……いいんです……もう……全部なくなってしまえばいいんです……全部全部、最初からなにもなければ良かったのに……」


「玉子ちゃん!」


 自棄になった彼女の言葉を遮る様に怒鳴る。僕には、それしか出来ないと信じて、声を張り上げた。

 なにも知らない僕は、滑稽に、叫ぶ。


「それは、螺奈さんも幽亜くんも否定するぞ! 君が言ったんだ! 家族を守りたいって! だから、立て! 絶望するのは許さないぞ!」


「すみません一片さん……こんな事に巻き込んでしまって……本当に勝手なんですけれど、もういいんです。叶うなら……もう……全てなくなってしまった方がいいんです」


「玉子ちゃん!」


「……もしも……もしもまだ勝手が許されるなら……一片さん……もしも叶うなら——」


「いい加減にしろ!」


 思わず、玉子ちゃんの頬を叩いてしまった。


 僕も、必死だった。似合わずに感情的になっている。螺奈さんと幽亜くんが死んで、だから、より一層入り込んでしまった。


 これは僕達の様な輩の領域であるけれど、僕は部外者だ。けれど、その中で僕は入り込んでしまった。家族の為という言葉に、肩入れしてしまった。干渉してしまった。

 僕にはもう、他人事ではなくなってしまった。


 叩いた頬が少し赤み帯びる。玉子ちゃんは、頬を押さえて僕を見る。

 それはもう、怒りに分類出来る、強い瞳。


「なら、教えて下さい。どうすればいいんですか。残った空さんと私で、生きていけというのですか?」


「そうじゃない! 君の言葉を諦める訳にはいかないんだ。まだ、探さなければ——」


「許嫁ですよ」


「え?」


 玉子ちゃんは、歯を食い縛りながら言った。


「許……嫁……?」


「空さんは、螺奈さんの許嫁です。来月に、籍を入れる予定でした。ずっと、ずっと一緒だったんです、二人は。同い年で、幼馴染で、ずっと一緒で……一片さんも見たでしょ? あの人、なんの躊躇もなく螺奈さんを殺した。まるで……まるで他人みたいに……私の邪視が効かなくて、おかしいなと思って叫んだ時には遅かった……空さんだって、私の事を、八王子を受け入れてくれていた人の一人だったんです。だから、小さい頃から面識もあるし……幽亜さんだって……同じで……だから」


 玉子ちゃんの言葉に、脳みそを直接殴られたみたいだ。


 ぐるぐると、思考が空回る。


「そんなに大事なモノなんですか……白王と黒王……山神が……そんなに大事なモノなんですか? 大昔の先祖のいがみ合いは、そんなに大事な事なんですか? 親族を、親を、兄弟を、子を、許嫁を殺さなきゃいけない程、大事なんですか? ねえ、一片さん……答えて下さいよ……ねえ! 私に立てと言うのなら、答えてよ!!」


 僕の襟を掴んで、玉子ちゃんが絶叫する。堆積したバラバラの感情を、全部僕に向けて吐き出す。


 僕に、答えは、ない。


 僕になど、答えられる訳がない。感傷的になって、感情的になって、少女を叩いて、大人ぶって。

 結果はどうだ、なにも知らない僕は、ただ、自分勝手に喚いていただけだ。

 誰の願いも叶えてやれやしない。誰も救ってやれやしない。


 ただの、出来損ないだ。なにも変わらず、出来損ないだ。


 僕は、泣き叫ぶ玉子ちゃんに答えずに立ち上がると、螺奈さんと幽亜くんを抱えた。両脇に抱えたまま外に出て、正門の付近まで来て、また二人を寝かせた。

 雨で抜かるんだ地面で汚れるのが嫌だったから、石畳の上に寝かせた。


 雨は、ずっと強くなっていた。


「一片さん!」


 付いて来た玉子ちゃんの肩を掴むと、そのまま二人の傍に強引に座らせ、僕もしゃがんだ。


「え、な、どうしたんですか?」


 スーツの内ポケットから小刀を取り出す。鞘から抜くと、呪言がびっしりと刻まれた刀身が現れる。それを玉子ちゃんの目の前に突き刺す。


「え?」


 強い雨の中、玉子ちゃんと、横たわる螺奈さんと幽亜くんを包む様に空間が広がった。雨が半球状の空間を伝って、地面に吸われる。

 防御陣作成の、呪具。小刀を突き刺した場所から小さな範囲を、隔絶する。


「あまり強力な防壁ではないけれど、直接的な攻撃でなければ防げる筈だ。中から出るのは自由だけれど、決して此処を動かないで。


 僕は言いながら眼鏡を外して、玉子ちゃんに手渡した。


「え……一片さん! なにを!?」


「いいかい。、決して此処から動かないで」


 僕は強く彼女に言って、立ち上がった。雨の中、石畳を歩く。もう、雨の匂いも分からない程に血の匂いが強い。


 先程と同じ様に土足で屋敷に上がると、廊下に置いた槍を拾い上げる。螺奈さんと幽亜くんの血が滴るそれを持って、廊下を進んだ。


 もう、何処からなにが来たって構わない。暗がりの廊下を、まるで警戒心なく歩く。間取りの大体しか知らない屍だけの屋敷を、直感頼りで進む。

 数十の死体を跨いで進んだ先、幾重かの襖を蹴り飛ばして辿り着いた大広間。灯りが点いた百畳を超えていよう部屋の真ん中に、赤月空が居た。


「ん……? ああ、さっきの。お前は、何者だ? 俺の記憶では親族にはないから……」


「十一片だ。螺奈さんの依頼で、ここに居る」


「おお、十一片……神話殺しの十一片か。螺奈の依頼で……なるほど。傭兵風情が、なんの用か?」


「いい。知らなくて、いい」


「そうか。そういう口振りなのならば、目的はこれだろう」


 赤月空の手には、赤い箱があった。

 足元には、少年と思しき死体が転がっている。


「残念だが、決着だ。全ては、終わったよ」


 そう言って、赤月空は箱を僕の方へ投げた。畳を転がりながら蓋の開いた箱は、だった。


「箱で良ければやるぞ。はは」


 小馬鹿にしたその言葉が癇に障る。僕は、拾ってきた槍を雑に放り投げた。

 緩い放物線を描いたそれは、赤月空の足元に突き刺さった。


「使えよ」


 全部全部叩き潰してやる気で、持って来たものだ。

 殆ど、八つ当たりに近いけれど。


「はは、持って来てくれたところ悪いが、もう要らなんだ。赤月に生まれて二十余年、実直に槍術を研鑽し、赤月筆頭として手にした赤月代々の名槍月穿げっせん。しかし、もう要らなんだ。槍も誇りも技芸も、一切合財がもう要らんのだ」


 地が、揺れる。僅かに、揺れる。 


 大広間の襖の向こうから、鈍重な軋みが聞こえる。

 屋敷の梁が、柱が、壁が崩れる。襖が割れて、軋んで、折れる。赤月空の背後が、崩れていく。


 それ等は木造の屋敷を進み崩し、廊下の板を、部屋の畳を踏み割る、潰す。ゆっくりと歩みを進める、白と黒。

 首のない、人型を模した石の集合体だった。大きな石を胴体として、手と足として小さな石が連なる、不格好な人型。

 真っ白なそれと、真っ黒なそれ。全長十メートル程の二対が、赤月空の背後に立ち並んだ。


 屋敷の屋根は崩れ、雨が室内に吹き込む。


「山神だ。人ではない。人の成れ果てでもない。正真正銘の、神の一種」


 吹き込む雨を受けながら、赤月空は畳に刺さった自分の愛槍を抜くと、幽亜くんを射抜いた時の様に構え、黒い怪物へと投擲した。 

 投擲された必殺は、黒い怪物の横っ腹に衝突して粉々になった。この位置から、黒い怪物に破損は見られない。


「はは! 見ろ! 月穿がこの有様だ! 京の鬼若愛蔵の岩融いわとおしを溶かし込んだ名槍が、砂塵の如く散った! 神域兵装と言って差支えないこれが、この有様だ! どうだ、これ程だ! 白王と黒王。これを前にして、棒切れなど一笑にも値せぬ! はは!」


「それ程のモノか? 一族郎党血祭にして、手に入れたそれはそんなに大層なモノか?」


「は?」


 内蔵するストレスの全てが、暴発しそうだ。僕の中の悪意の全てを、まとめてぶつけてしまいそうだ。

 堪えて歯を食い縛って、言った。


「十一片、分からないのか? 山神だ、神域の物質だ。それを、赤雪の祖先はどうにか組み敷いた。その方法も原理も今はいい。ただ、赤雪は神域のモノを使役した。故に、名家として連綿と名を繋いだ。歴史は、あの冷然院にも劣らない。それを成す程の使い魔だ。神を使役するというのはそれ程だ。今現在、そして過去の文献を見ても、類を見ない! それが、今、俺の手に——」


「五月蠅いなあ」


 声高に饒舌なそれを遮る。

 耳障りだ。心底、不愉快だ。


「僕が言っているのは、そういう事じゃない。それは、お前が気分良くしているそれは、幽亜くんを殺してまで欲するモノか? 許嫁を……螺奈さんを殺してまで、欲するモノなのか? 自分の眷属を殺してまで、手にするモノか?」


 本当に、どうして。


「……俺の話を聞いていたか? 聡明な見た目に反して、ただの乱人、阿呆か……どうして分からない? それ程のモノだから、俺は鏖殺おうさつし果てた。そうまでして欲っしたからそうした。お前の目の前に広がる折々の流血と怨嗟を見ただろう? 逆説的にそうである。俺が悪辣なのではない。この二つの王が、俺がそう成り果てるに足る奇跡なのだ」


 強い雨が、吹き荒ぶ。


「丁度良い。誰も彼も居なくなってしまったから、お前で試すとしよう。ああ、いや、試すなど……白王と黒王ではなににもならぬ……ただ、押し潰されるがいい。神に慄いて、死ぬがいい」


「五月蠅いなあ」


 本当に、どうして。

 どうしてこういう輩は、勝手に


「神様だろうがなんだろうが、それが悲劇なら、それに救いがないなら——」


 どうして、誰かが地獄を見なくちゃいけないんだ。


「此処で死ね」

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