深夜一時の奇奇怪怪⑬

 五月十三日、時計は天辺を回って零時半。

 私と真田先輩は、街の中を駆け周って足が棒の様になっていた。


「はあ……はあ……居ねえな……」


「はい……はあ……居ませんね」


 真田先輩の話は、本来であれば絵空事。空想世界のお伽話。

 自分の幼馴染が、化け物かもしれない。真田先輩はその疑惑を持って、夜な夜な街を探していたらしい。その結果が深夜徘徊での補導であり、東城高校で改めてその注意がされた要因だった。


 私は、真田先輩が、もしかしたらその怪異なのではないかと思った。お兄ちゃんの話を聞いた直後だったから、その可能性が高い、と。


 結果は別。真田先輩に確証はなかった。オカルト好きだといっても、それは空想であると楽しむ、そういうタイプ。その目の前に、現れた。


『一度だけ深夜一時の化け物と思しき影を見た。二人で都市伝説の化け物を演じていた時と同じ格好だったけれど……けど、普通の人間が、何メートルも飛ぶか? 目にも止まらない速さで走るか? あんなの……あれじゃまるで——』


 都市伝説の化け物じゃないか。


 真田先輩は、その目で捉えた影の正体に想像がついたけれど、信じる事は出来なかった。家に行ったら、部屋には居るのに会ってはくれない。明快で活発な女の子だというから、今までそんな事なかったというのに、おかしい、と。


「なあ逆廻……本当に在り得るのか……その、人間が、怪物になっちまうなんて」


「在り得ます」


 私は、言い切った。疾うに真田先輩は、だ。十分に当事者だ。私も、鎖子ちゃんになんと言われようと、。ここまで来てしまった。


 今更、放り出す訳にはいかない。


 深くんと桜ちゃんにもお願いして、真田先輩と飛び出した。一目散に飛び出して夜に消えた。


 鎖子ちゃんの動向を真田先輩から聞いた今、容易に想像はつく。

 鎖子ちゃんは、私にはああ言っていたけれど、その怪物に当たりを付けていた。鎖子ちゃんは、準備を始めていた。

 きっと、もうそれを交戦をしている筈だ。今日、鎖子ちゃんから連絡はない。連絡も返って来ない。時計は、噂の時間。それならばもう、そうであると十分に確信出来る。


 私と真田先輩は、鎖子ちゃんを探して街を駆ける。真田先輩を連れて来た理由は、鎖子ちゃんを止める為だ。


『私等の様なモノは、私等の様なモノと殺し合うべきなんだ』


 鎖子ちゃんは、殺してしまう。逸脱したら、殺してしまうから。だから、止めなければ。

 もしも深夜一時の化け物が、雪村先輩ならば、止めなきゃだめだ。

 真田先輩は、助けてくれと、そう言った。だから、助けなきゃ。私も、役に立たなければいけない。

 その想いだけが只管先行して、未だにその影すら掴めない。ただ無暗に時間だけが過ぎて行く。


「なんか、東雲の行きそうなところ……ないのかよ。例えば、そういうのと闘う時の場所とかさ」


「いえ……この街でこういう事が起きたのは初めてです……普段は外に出て行く事が殆どなので。と言っても、私は経験ないんですけどね……」


 噂を頼りに、公園は周った。水飲み場がある場所はくまなく探した。連日の事件を受けて街がピリつき、警察の監視の目も多い事から、中々自由に動き回る事は出来ないが、それでも考え得る場所は探し尽くした。

 それでも、見つからない。


「あっ……鎖子ちゃんじゃなくて、雪村先輩! 雪村先輩の行きそうなところってないですか!?」


 もしも雪村先輩がそういうモノに成り果てているのなら、人間の時に慣れ親しんだ場所に発現したり、逃れたりする可能性がある。


「純……神社」


「神社?」


「ああ、ガキの頃から、よくそこで遊んでた。小さい山の中!」


「案内して下さい!」


 私が叫んで、真田先輩が駆け出す。もう足は限界を超えていたけれど、無理矢理に足を動かす。内蔵の不快感を丸ごと吐き出してしまいたい衝動を抑えて、走る。走る。


 二十分程走っただろうか。そうやって住宅街を抜けて、少し開けた場所に出ると、田畑の先に小さな山がある。山というには小さいそれは、木々で囲まれ、面した道路から石階段が伸びている。

 月に照らされるそれを目指して更に走る。現れた長い階段を見上げただけで息が切れる。もう体は動きたくないと言っているけれど、真田先輩と顔を合わせると、石階段を駆け登った。


 普段から運動をしていて良かった。根性だけでは解決できない事柄がこの世には沢山ある。今まさに、日々の積み重ねの大切さを痛感している。


 夜風にさざめく木々の音がはっきりと聞こえる。そこに、私と真田先輩の荒い息。そして、蹴り飛ばす石階段の音。半分程登ったところで、音が一つ混じる。

 金属音と、衝突音。僅かにだけれど、徐々に大きくなるそれ等に、確信が膨らむ。

 駆け登った先、社を正面にした、鳥居の下。私達の目の前に広がったのは、殺し合い。


 二人の鎖子ちゃんと、刃物を携えた化け物が、交戦していた。


 一瞬だけそこで目を奪われて、真田先輩の手を取って階段の陰に隠れた。今はまだ、足手纏いだ。


「おい、逆廻っあれって」


「しっ」


 声を上げる真田先輩を制止して、覗き込む。


 鎖子ちゃんは、『二人目ドッペルゲンガー』の能力を解放している。


 ドッペルゲンガー、ダブル、複体、分身。呼び名は様々だけれど、この世の怪奇現象としては割とポピュラーな部類だ。


 鎖子ちゃんの願いと血によって顕現した能力は、鎖子ちゃんの分身体。独立はしない、自分の意識で動かす二人目の自分。


 鎖子ちゃんは、自分に発現した能力と、、東雲の血で強化された身体能力を使って、化け物と戦っている。左の斬撃を一人で受けて、もう一人で反撃する。数的優位であり、身体的優位である鎖子ちゃんは、戦闘を有利に進めている様に思えたけれど、攻撃が当たれども当たれども、その怪異は攻撃の手を止めない。


 むしろ、私が来てからの短い間だけでも、その力強さを増している様な、そんな印象を受けた。


「あれ、なんなんだよっ。東雲が二人?」


「今は置いておいて下さい! それより、アレ……雪村先輩で間違いありませんか?」


 鎖子ちゃんと闘う怪異を指差して、真田先輩に問う。


「……分かんねえよ。髪の毛が邪魔で顔が見えねえし……体だって、なんだよあれ……黒くて……分かんねえよ!」


 無理もない。真田先輩は、入り混じる感情と想像を絶する光景に、半ば混乱している。いきなりこんな場所に連れてこられて、こんな光景を見せられてしまえば、そうなってしまうのは当然だ。

 頭を抱える真田先輩。今は打開策にだけ思考を回す。もう一度階段から頭を出して様子を見る。


 やっぱりだ。


 相変わらず鎖子ちゃんは優勢に見えるけれど、先程にはなかった傷が、顔にある。確かに滴る鮮血が、徐々に徐々に、目に見えて増えて行く。

 攻撃は当たっている。向こうの攻撃は、紙一重で躱している。優位である筈なのに、どこか危うい。



「振り向くな」



 唐突に、化け物がそう口にして鎖子ちゃんの背後に回った。十分にそれは目で追えるスピードだったし、反撃は造作もないと思ったけれど、鎖子ちゃんはそのまま化け物に振り向かず前に駆け出して、もう一人の鎖子ちゃんで攻撃を加えた。化け物は吹き飛んで体を石畳に打ち付けるけれど、すぐに反撃に転じる。


 優位で、ないかもしれない。

 無能力の私が、こういった場面に居合わす事は少ない。ただ、回避出来ない突然の邂逅で、本当に数える程度だけ鎖子ちゃんやお兄ちゃんが戦っているのを見た事がある。

 その時のどれもと、様子が違う。鎖子ちゃんは、どこかぎこちなくソレと相対している。


「真田先輩……手伝って貰ってもいいですか?」


「え?」


 アレが雪村先輩の成れ果てだとするならば、もしかしたら、届くかもしれない。どういった願いで怪物と成ったのかは分からない。けれど、人間である時にずっと一緒に居た真田先輩の言葉なら届くかもしれない。


「雪村先輩に呼びかけて下さい!」


「呼びかけるって、なにを?」


「なんでもいいんです!」


 混乱する真田先輩から、交戦に視線を戻す。

 水平に走る斬撃が、さざめく木々の音を斬り裂く。触れれば両断されてしまいそうなそれを鎖子ちゃんが躱して、もう一人の自分で横腹を蹴り飛ばす。

 入れ替わりの妙技は看破されている様で、化け物は執拗に片方の鎖子ちゃんだけを狙う。鎖子ちゃんもそれは分かっている様で、変に誤魔化しをせず、片方を防御に、片方を攻撃に専念させている。

 本体は、慎重に。分身体を、大胆に。

 それでも、先程よりやはり傷が増えている。


「真田先輩! 行きますよ!」


 私は真田先輩の腕を引っ張って無理矢理に立たせた。そのまま腕を引いて歩く。


「雪村先輩!」


 私にしては、途方もなく猪突猛進。それでも、真田先輩と相対した時の様に、心臓がやけに大人しい。

 私が叫ぶと、鎖子ちゃんと化け物が私の方を向いた。


「真凛!? お前、なにしてんだよ!?」


 鎖子ちゃんの怒号に、今は萎縮している暇はない。

 長い髪の毛で隠れた表情。噂の化け物と相違ない様相のそれと対峙する。私の声に体を向けた化け物は、動きを止める。私と、真田先輩を見ている。

 私の言葉に反応したという事は、そういう事だ。


「……遥?」


 そう、化け物が口にした。

 口にして、髪の毛を掻き上げる。やたら人間めいた表情。月明かりの照らす血色の良い肌と、健康そうな顔つき。


「純!」


 真田先輩のがそう口にして、深夜一時の化け物の正体が、雪村純だと確定した。


「遥、なにやってるの?」


「こっちの台詞だ! 純……お前……」


 だらりと両手を垂らす。雪村先輩の右手からは鮮血が滴って、左手には、相変わらず刃物。それでも、敵意は感じられず、脱力した様に真田先輩を見ている。

 真田先輩は、そんな雪村先輩に一歩ずつ歩み寄る。人間由来の怪奇、声が届けば、それは元に戻る可能性が——


「真田、止まれ」


 そんな真田先輩の前に、一人の鎖子ちゃんが立ち塞がった。


「鎖子ちゃん!」


「真凛は黙ってて!」


 思わず駆け寄ろうとする私までも制止して、鎖子ちゃんは背を向けていた雪村先輩に振り返り、言った。


「雪村純、敵意がないのなら、その包丁を手放せ」


 鎖子ちゃんは、やたら強い語気で言った。まるでそれが、叶わないと知っているかの様に。

 鎖子ちゃんの言葉に雪村先輩は眉を顰めて、言葉を返す事も、包丁を手放す事もしない。


「おい純! なにやってんだよ! 早くそれ捨てろって! こいつ等、悪い奴じゃないんだよ! 俺が助けてくれって頼んだんだ。そしたら、知ってるって。オカルト……夢じゃないんだぜ! こういうのって、本当に世界に在るんだってよ! それで、東雲や逆廻はそういうのの専門だから、だから——」



「真田、もういい」



 真田先輩が雪村先輩を説得するかの様に捲し立てる言葉を遮って、鎖子ちゃんは、また強い語気で言った。



「もう、そういうモノに成り果ててしまった。雪村純は、もう、深夜一時の化け物に成ってしまった」



 鎖子ちゃんが言うと、雪村先輩は、口角を釣り上げる。

 これでもかと、釣り上げて——






「げげげげげげげげげげげ」






 聞いた事のないような音で、血染めの右手で腹を抱え……左手を振り乱した。



「げっげげげ」



 その掌は、開かない。包丁は、その手を離れない。


 多分にそれは、に成ってしまった。包丁を手に持った訳ではなく、


 あの包丁は、手から離れない。きっともう、同化してしまっていたアレはもう、都市伝説の、現象だ。


「純……おい! 純!」


「真凛! 真田連れて逃げろ! 多分、噂の時間に近付く——」


「振り向くな」


 鎖子ちゃんが言い終わる前に、化け物はそう口にして跳んだ。

 鎖子ちゃんを跳び越えて、真田先輩までも跳び越えて、私の方に向けて、跳んだ。




 急速に、思考が回る。景色が、ゆっくりと動く。さざめく木々の揺らぎが視認できる。星の音までもが聞こえて来そう。




 やけに感覚が、鋭利になっている。




 跳躍する化け物が、私を見る。




 噂の時間が近付くに? ああ、近付くにつれて?




 鎖子ちゃんが徐々に追いやられていたのは、時間が経つにつれて消耗した訳じゃなくて、噂の時間が近付くにつれて、噂の怪異はそうあろうとしたんだ。

 深夜一時に、化け物と成り果てる様に、徐々に人間を失ってしまうんだ。



 ああ、それなら、鎖子ちゃんの動きもそう。



 振り向くな、その言葉に振り向いたら殺されてしまう。噂に違わずそうあろうとするならば、鎖子ちゃんの願いが顕現して二人目が現れた様に、願いをなぞるのなら。

 その言葉に振り向いたら死んでしまう。そういう能力が付与されている?

 それならば、鎖子ちゃんの動きも理解出来る。戦闘において、鎖子ちゃんが非合理的な動きをする訳がないのだから。




 ああ、なんだろう。どうして。




 私にしては、いやに思考が回る。対奇奇怪怪の戦闘経験はなく、幾度かの観戦と話でしか聞いた事がない門外漢。

 それに加えて、頭が特別回る方じゃないというのに、どうしてだろう。今なら、なんでも、分かる気がする。



 未だに化け物は私に辿り着かずに宙を舞う。




 ああ、もしかして、走馬燈とか、そういうものなのかもしれない。

 ぐるぐるぐるぐる回って回って、だから、分かってしまう。




 止めて、言わないで、お願いだから、止めて。


 私が、言いつけを守らないから。力のない癖に、出しゃばったから。


 鎖子ちゃんは優しいから、私を突き放した。こういう事があるから、私の事を守ろうとして突き放したんだ。


 それが嫌だった。私も家族なのに、私だって、もう子供じゃないのに。


 子供染みた探偵ごっこが上手くいって、どうにか最後まで辿り着いて、得意になって。



 本当に、子供みたいな。本当に、本当に、本当に。




 お願いだから、お願いだから、鎖子ちゃん、お願いだから——










「真凛!!」









 振り向かないでと、私の願いは叶わずに、鎖子ちゃんは私を守ろうと振り向いた。




「げげ!」




 だから、深夜一時の化け物の左手が、深々と、突き刺さっていた。私の目の前に迫っていた筈の化け物は、噂に引っ張られて、私の目の前から消えていた。


 鎖子ちゃんの胸に、ずぶりと、突き刺さる。


「鎖子ちゃん!!」


「げげげげげげげげげげげげげげげ!!」


 叫ぶ私を嘲る様に、刃先を引き抜き鮮血を撒き散らす化け物が、高らかに笑う。

 そのまま、倒れ込む鎖子ちゃんに一瞥もくれずに跳躍して、階段を跳び降りる。


「純!!」


 真田先輩が叫んで、一目散に階段を駆け下りて行った。

 当然、追える訳がない。目的地が分からない。第一、真田先輩は人間だ。あれに付いて行ける訳がない。


「真田! 待て!」


 倒れ込みながら鎖子ちゃんは叫ぶけど、真田先輩はもう視界から消えていた。


「真凛! 真田を追え!」


 私は鎖子ちゃんの言葉を無視して、鎖子ちゃんに駆け寄る。

 真田先輩が怪異に追い付く事はない、追い付ける訳がない。ただ、そうじゃないとしても、


 鎖子ちゃんも、真田先輩も、皆一心不乱に我武者羅だ。


 それは、私も同じかもしれない。


 倒れ込む鎖子ちゃんは胸を押さえている。疾うにもう一人は消えていて、だから、目の前の、胸を突き刺された鎖子ちゃんが、本体であって。

 せめて、せめてもう一人ならと、願いはしたけれど。


「鎖子ちゃん!」


 着ているスクールシャツを赤いカーディガンごと脱ぐ。ボタンなんて外していられないから、その全てを弾き飛ばしながら乱暴に脱いで、鎖子ちゃんの胸に強く押し当てた。夜に下着姿が露わになるけれど、今はそんな事、どうでもいい。


「げほっ……いった……」


 鎖子ちゃんは口から血を吐いて、仰向けのまま目を虚ろにする。


「鎖子ちゃん! 鎖子ちゃん!」


「ああ……くっそ……」


「どうして振り向いたの! そういう能力だったんでしょ!?」


「なんだ真凛……気付いてたんだ……凄いね。私、二回喰らって気付いたのに……はは、意外と真凛には、才能あるのかもね」


「ないよ! 私には、才能なんて……」


「あー痛い……死んじゃう痛みは、二人目で散々経験があるから知ってる筈なのに……痛いなあ……げほっ」


「喋らないで……」


 両手に有りっ丈の力を込めて、シャツを押し当てる。一瞬でカーディガンと同じくらい真っ赤に染まった白いシャツ越しに、温い感触が伝わる。


「ごめん……ごめんね鎖子ちゃん……私が余計な事したから……まだ助けられるかもって思っちゃったから……経験も知識も浅いのに……私……私」


 泣きたくないのに、私はちっとも痛くないのに、涙が止まらない。

 自分が情けなくて、目の前の事が信じられなくて、涙が止まらない。


 そんな私の涙を、真っ赤な手で拭って、鎖子ちゃんは言った。


「真凛、凄いじゃん。一人で色々調べて、此処まで来たんでしょ? 真凛にしては、良く出来ましたって感じかな」


 いつも私を突き放していた鎖子ちゃんが、笑いながら言った。 

 それが、多分そうであると分かってしまって、余計に涙が出て来る。



「鎖子ちゃん……死なないで……お願い……」



 神様、もしも神様が居るのなら。

 こんな世界にそんなモノが居ないって知っているけれど。所謂、私達の想う神様ってモノが居ないとは知っているけれど。





 ああ、お願いします。どうか、鎖子ちゃんを。





「あー香織は泣くかなー……あいつどうなんだろ。なんか泣かなそう。ああ、真凛、香織にさ、真凛をよろしくって言っといて。なんか真凛に頼むのも変だけどね。あはは」



「鎖子ちゃん……喋らないで……」



「桜は泣きそうだなーあの子は……うん、泣きそう。すっごい泣きそう。ああ、嫌だなあ。桜が心配。真凛、桜をよろしくね。お姉ちゃんの分も幸せになってって言っといて。後、桜のお姉ちゃんで良かったってのと……後はあれ、名前。お姉ちゃんの付けた名前、嫌だったら変えていいんだよって言っといて」



「……素敵な……名前だよっ……桜ちゃんもそう思ってる!」



「深は泣かないだろうね。強い子だから。えーっと、深には桜をよろしくってのと、髪の毛、あんまり痛めないように、かな。将来ハゲるぞって言っといて、あはは」



「鎖子ちゃん」



「兄貴には、早く嫁さん見つけろ。それだけでいいや、十分でしょ。父さんには、拾ってくれてありがとうございました。先立つ不孝をお許しください、と真面目な感じでお願いね」



「鎖子ちゃん!」



 血が、止まらない。涙が、止まらない。



 それでも、私は必死に傷口を抑えつける。





 届かぬ願いをかけて、必死に、必死に。






「で、最後。真凛。あー……えーっとさ——」







 ああ、神様、どうか願いが叶うなら——








「やっぱじゃがいもは味噌汁に合わないって」







 鎖子ちゃんは、笑いながら言って、目を閉じた。

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