深夜一時の奇奇怪怪⑫
待ち人は来た。
のうのうと、私が居る事など知らずに、現れた。
噂の時間には大分早い。五月十三日、時刻は午後零時過ぎ。
私が待ち伏せて居た一軒家にソレは現れて、私の姿を見るや否や逃げ出した。
ああ、やっぱりだ。考える頭がある。
それはそうとしか発現出来ない現象じゃあない。アレは、アレになってしまったナニカだ。
いつかの夕闇と同じ追走劇。それはいつかの黄昏と違わずに終わりを告げた。
日月市北区の神社。隣の市に隣接するギリギリの距離。いつかの夜と、同じ場所で、私はソレと相対した。
長い黒い髪に、黒くぼやけた体。右手は血で真っ赤。左手には、刃物。
深夜一時の化け物と題される都市伝説と全く相違ない風貌の怪物は、私に背を向けている。
「お前さ……ナニモノなんだよ?」
私が投げかけると、それは振り返り、髪の毛を掻き上げた。
人間染みた顔。女の顔。この日もそれは血色良く、両の澄んだ瞳で私を見る。
「……こっちの台詞だよ。お前、確か此処で殺したよね? 私、確かに刺した。心臓を刺したよね?」
いつかの夜に、私は此処で、この化け物に殺された。私を越えて大跳躍をした化け物の声に振り返り、在り得ない零距離から心臓を刺突された。
深々と突き刺さったそれは、私の息の根を、止めた。
「さあ、どうだったかな。夢でも見てたんじゃない? お前が夢を見るならの話だけど」
「ふうん……まあ、私に構うんだから、まともな人間な訳ないか。ねえ、こういうのってよくある事なの?」
「こういうの?」
「そう、私みたいな化け物に、お前みたいな正義の味方が立ち向かうっての」
「ああ。日常茶飯事とは言わないけど、私達にとっては珍しい事じゃない」
「ふうん……やっぱり、世界には不思議な事が多いんだね。私さ、前人間だったんだけど、オカルトすっごい好きでさ——」
「知ってるよ、雪村純」
私が言うと、雪村純だったモノは表情を変えた。
「どうして、私の名前を」
「調べた。だから、今日私はあそこに居た」
東奔西走。事件が逸脱絡みかもしれないと思ってから、夜も昼も駆け回った。
「最初は、怪異、
私が心臓を貫かれた、あの夜。怪異その類の成れの果てと想定した都市伝説の権化は、嫌に人間染みた顔で、私を刺した。
「その後、友達から連続殺人事件の被害者が同じ中学だったって聞いたから、その線で調べた。偶々、その三人とオカ研の二人が同じ中学だと分かった。そして、雪村純は、二つ目の事件が起きてから学校に来ていない。お前、それになってから、部屋から出ないものの、家には居たみたいだな。ただ、今日家を出た時は私とすれ違いだったか。夕方お前の家に行ったよ。いい家族だな。私が親友だと偽って心配そうな演技をしたら、話を聞いてやってくれってお前の部屋の前まで通してくれたよ。我ながら名演技だ」
殆ど確証を得て、私はその部屋の扉を開いた。
「ご丁寧に、中学の卒業文集に×印つけてやがんの。死んだ三人と、最後の一人。私は今日、最後の一人の家の前に居ただけだ。お前は馬鹿正直に現れた」
出来るだけ、挑発する様に。乱暴な言葉を選択する。
会話を引き伸ばす。精神を乱す。なにかが分かれば、大儲けだ。
人間由来の怪異は、その精神性が反映されているものだ。願いの成就、想いの成立。その一片でも分かれば、対処が大分楽になる。
「ああ……うちに来たんだ。昨日から部屋には戻ってないから、気付かなかったなあ。そうだったんだ。ふうん」
「昨日って事は、四人もそうか。捜査攪乱? 今回の四人は、前回までの三件と違って、男。定時制の高校生やら、フリーターやらだっけか。あれは、どうしたんだ?」
私の問いかけに、雪村純だったモノは大きく息を吐いた。
まるでそれは、諦めた様な様子。そのまま空を見て、私に視線を合わせずに口を開いた。
「お前さ……目には目を、歯には歯をって知ってる?」
「……ハンムラビ法典。タリオの法だっけか?」
「……私、小っちゃい頃からずっとオカルト好きでさ。色々本を買ったり、動画を見たり……絶対、世界には不思議な事があるんだって思ってた。馬鹿にされた事もあったけど、信じていない人はそれでいいと思ってたから、別になんとも思わなかった。遥……オカ研の真田とは、幼稚園から幼馴染でね。あいつ野球ばっかだったけど、私の話は妙に面白がって聞いてくれるんだ。それが嬉しくて、遥によく色々な話したっけかな」
不思議だ。この怪異は、不思議。
「中学の時に、遥がいきなり野球辞めちゃって。あいつ凄いんだよ、絶対色々な高校からスカウト来るって話だったのに、なんか未練もなさそうに辞めちゃって。だから、色々オカルトの話をする時間が増えた。二人で東城に進学してからは、もっと増えた。境井先生が居たからね。本当色々な話をしてくれた。知識も凄かったし、蔵書も凄かったし。私と遥の目標は、三年間であの部室の本を全部読む事だった……」
様相の変化と、結果。人を殺める能力、そして、私と対峙した能力。ただの人間がここまで変異するのならば、それは疾うに雪村純である事を失っている筈なのに。
「それで、二年の秋頃だったかな。駅でいきなり声かけられた。話してみたら同じ中学の女四人組で、そういえば、やけに私のオカルトに絡んで来る奴が居たなあって思い出した。名前も顔も憶えてない様な奴等だったから、適当に話して帰ろうとしたら、そいつらが言ったんだ。まだ真田と付き合ってるのかって。別に私と遥は付き合ってる訳じゃない。そういうのを揶揄われた事もあるけど、腐れ縁なだけだし。だから、無視した。そしたら、言ったんだよ、そいつ等が。野球出来なくなっちゃったし、用済みかって。笑いながら、言ったんだよ」
やけにこいつは、人間染みている。
「怒るのも馬鹿らしいと思ってその場は帰ったんだけど、引っかかるから、遥に問いただした。どうして怪我したんだって。最初は渋ってたけど、私がしつこいもんだから、根負けして話してくれたよ。街でいきなり因縁つけられて、リンチされたって。警察に連絡しなかったのは、遥も反撃してたから。暴力沙汰で、チームに迷惑はかけられない。遥らしいよ。それで、私はあいつ等の腐った笑い声を思い出した。思い出したけど、それは余りにも飛躍してたから、だから、その場はそれで終わった」
夜の風に、神社を囲む木々が揺れる。あの夜も思ったけれど、まるで、ここだけが切り取られたみたいな、そんな異質さ。
その中で、饒舌は止まらない。
「それで……それでどうして、雪村純が化け物に成る訳?」
私は、引き出す。まだまだ、引き出す。人間らしいのならば、もしかしたら、もしかしたらだけれど。
「境井先生だよ」
まだ救える。
「どういう事?」
「丁度その後くらいに、境井先生の提案で、都市伝説の伝達実験をしようって話になった。実験は簡単。私達が創作した都市伝説を流布して、どれくらいの期間で、どれくらい広がるのか。三人で色々考えた。多少の信憑性があるといいって先生が言うものだから、過去の文献を漁って、儀式めいた話や地域伝承を探した。そうして出来たのが、深夜一時の化け物」
素人が考えたにしては、どうも過去の伝奇に類似箇所が多いと思った。
真田の元で読んだ文献から継ぎ合わせた様な部分が多く、それを不思議に思っていた。オカルト好きの悪戯。
いや、今は、悪戯なんてものに収まっていない。
それはもう、立派な怪奇。
「実験は大成功な訳だ。今じゃ日月に住む誰もが知っている。ましてや、マスコミでもそれを取り上げるところが出て来た。流行りの都市伝説、空想の化け物の犯行だなんて書いているネット記事を読んだよ」
「そんな簡単じゃなかったよ。当初は全然広まらなくて。噂を広め始めたのが、確か三月だったかな。それで、新年度になったら、境井先生が突然居なくなっちゃって。でも、最後に言われたんだ。かつて口裂け女の都市伝説があれほどまでに広がったのは、目撃情報が多かったからだって。だから、目撃情報があれば、広まり易いかもね、と。だから、私はなってみた。その化け物に」
「なってみた?」
「ええ。勿論、今みたいなのじゃないよ? 私、地毛は短いからさ、ウィッグを買って来て、白いワンピース着て、絵の具で右手赤くして、刃物を持って。すぐに誤魔化せるように着替えを持ち歩いて、深夜徘徊してみたんだよ。そしたら、面白いくらい噂が広まりだしてさ。私、もうおかしくっておかしくって。最初は遥と一緒にやってたんだけど、遥が一回補導されちゃって、それからは私一人で。一人でもいいかって、毎晩毎晩それで遊んでたら、殺しちゃったんだ」
「は?」
人間染みていると、思った。
「そんなつもりはなかった。忘れもしない、五月二日の深夜。いつもみたいに徘徊してたら、あの女達の一人を見つけた。思い出してしまった、あの汚い笑いを。確証があった、間違いないと思った。でも、そんなつもりはなかった。刃物を持っていたから、ちょっと脅して、喋らせるだけで良かったんだ。後ろから襲い掛かって、喉元に刃物を突き立てたらね、馬鹿みたいに喋るの。友達が振られた腹いせだ。お前みたいなオカルト好きな女を選ぶなんてあり得ない。だから、少し脅してやろうとしただけだって。当時付き合ってた男とその仲間を使って、遥を……襲った」
人由来のそれらは、人である部分が残っていれば残っている程、怪物としては脆い。
付け入る隙があるという証明だし、弱点を探し易い。だから、容易だと思った。
そしてなにより、元に戻せる。救える可能性がある。
雪村純は、人間由来の化け物で、しかも人の部分がまだ多い。
そう、思っていた。
「少し脅してやろうとしただけだってさ、笑っちゃうよね。それで、そんな理由で、そんな気持ちで、遥の夢を奪った。私は知ってる。ずっとずっと練習をして、小さい頃から、野球選手になりたいって、野球が好きなんだって、ずっと言ってた。だから、私は遥にいっぱい色々な話をした。辛い事を忘れられる様に、野球が出来なくなった辛さを少しでも忘れられたらって。そんな、そんな私達の気持ちを、そんなくだらない……だから、だから、少しだけ、少しだけね、刺したんだ。そしたら……はは、死んでやんの」
願いは叶う。
それは、どんな形であろうとも。大願は、その想いの横溢を経て、トリガーが引かれたならば、成就する。
この場合、雪村純がなにを願ったのかは分からない。
ただ、想いの力は確かだ。この女の、憎悪という想い。この街に浸透した、深夜一時の化け物という噂。
それは十分に、人の枠を横溢する程に積み上がった。
噂の怪異に成り済ました雪村純は、噂の様に人を殺めた。
それはもう、噂の再現だ。
「一人殺したのなら、後は何人でも同じでしょ? だから、二人目、三人目、順番に殺していった。あははは、そしたらさ、私が変になっていくんだ。昨日より今日の方が変で、明日の方が変。どんどん、どんどん、化け物みたいにさ」
現代の人間社会で、多くの人が信奉する事で奇跡が顕現する例は少ない。在り得ないと言っていい。その中で、雪村純は自分の単一の願い、この場合は、恐らく恨み。その力によって奇跡を顕現させた。
けれど、それは途方もない奇跡だ。雪村純が装った化け物が噂に違わず殺人を行った結果から逆流して、雪村純はそう成りかけた。その程度では奇跡なんて起きる筈がない。
最初の殺人の時点では、まだ奇跡足り得たのかすら怪しい。もしかしたら、まだ人間だったかもしれない。ただ、雪村純は続けた。その化け物と成りかけて、その化け物で在り続けた。噂に違わぬ都市伝説を実行し続けた。
それはもう、現象だ。怪異による現象と変わらない。雪村純は、己の怨嗟で奇跡の欠片に手をかけ、己の怨嗟でそれを引き寄せた。
そして、成り果てた。
「私は、化け物に成ってしまった」
「だからって、なにも人を殺していい理由にはならない。お前、さっき目には目を……ハンムラビ法典を引き合いに出したけど、あれはやり返せって話じゃなくて、やり返し過ぎてはいけないって話だ。お前の引用は間違ってる。馬鹿だな、お前」
「違う、違うよ。げげ……私はそういう意味で引き合いに出したんじゃな……い……あれって、最悪だよねって、そういう話がしたかったの」
雪村純は、怪異へと成り果てた。
「だって、突然夢を奪われたんだもの。奪われた方はなにもしていないのに……そんな理不尽許されない。罪人は被害者以上に苦しまなければならない。そう思わない?」
深夜一時の化け物は、そう言いながら髪の毛を振り乱して、表情を隠した。
「否定はしない。ただ、ただね、雪村純。事情はどうあれ、私やお前の様な逸れてしまったモノは、それ同士で殺し合わなきゃいけない。私等の様なモノは、私等の様なモノと殺し合うべきなんだ。決してその枠を、逸脱してはならない」
兄貴の受け売りを口にして、戦闘態勢に入る。
「なにそれ……げげ……前もげげげ聞いたけれどげげげげ意味げげげがげげげげげよく……分かげげげらな……」
月明かりが、やけに眩しい気がした。
「げひ……げげげげげげげげげ!」
化け物が声を上げて、突進してくる。
あの日と同じ。
確信はある。けれど、これが最後。
もしも、雪村純がなにかのきっかけで噂の化け物に成れ果てたのならば、それに引っ張られる可能性はある。
あの夜と同じく、受ける体制は万全。気概も十分。異形の猪突猛進は今宵も脅威にはならない筈。あの夜と同じ軌道を読んで、いなしてカウンターを加える。
こちらも相違なく、化け物は私と間合いが被るであろう領域までの一歩を、前進ではなく跳躍に使った。
夜を舞う黒い靄と髪の毛。私の頭上を高らかに越え、背後に着地する。
勢いそのままの跳躍は、やはり距離がある筈だ。十分に体勢を立て直すに足る距離がある筈だ。
私は振り向いて、再度相対そうとした。自分の遥か後方に着地した化け物と、仕切り直そうとする。
「振り向くな」
頭上を越えていく化け物はあの時の様に呟いて、遥か後方へと飛んで行く。
私はその声に、振り向く。
「げひっ」
確かに、今回もまた後方へと飛んでいった。私の頭上を高速で舞った化け物は、振り向いて尚余裕を持てる程まで飛んでいった。
それなのに、またも振り向いた眼前は、黒かった。化け物の長い髪の毛が、視界を覆っていた。
そして、今宵もまた、走る熱。
視線を落とすと、化け物の左手が、深々と私の胸に突き刺さっていた。
「げっげげげげっげげ」
下卑た笑い声を、化け物が上げる。
それを聞いて、私は、目を閉じた。
やはりそうだ。噂に引っ張られている。
振り向くな、その言葉に振り向けば、殺されてしまう。噂のその箇所、その部分が作用している。
この化け物に付与されている現象だ。
振り向いたら殺せる様に、事実が捻じ曲がる。多分、あの言葉がスイッチ。あの言葉に振り向くと、攻撃が命中する。命を、絶つ。
二回も目の当たりにすれば、十分に看破出来る類の能力だった。
意識を切り替えて、目を開ける。
神社の周囲を囲う木々の中から様子を伺う。
「げげげげげげげ」
馬鹿みたいに笑い声を上げる化け物の背後へと、飛び出す。
「振り向くなよ」
私の声に反応して、化け物が振り向いた。
その長い髪の毛で隠れた顔面を、思いっきり殴りつけてやった。
「げぎ!?」
私の胸に深々と包丁を突き刺している化け物の背後から、私は殴りかかった。
無防備だった化け物が吹き飛んで、石畳に身体を叩き付けた。
私の目の前では、私が胸と口から血を流している。
「今のは、この間の心臓の分だ」
死ぬまで、ブッ飛ばしてやる。
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