深夜一時の奇奇怪怪②

「ギリギリセーフ」


「セーフ!!」


 五月九日、朝のホームルーム開始直前。私と鎖子ちゃんは、教室に飛び込んだ。自宅が学校から徒歩七分という近距離にあるから遅刻とは無縁だったけれど、ゴールデンウィークと土日が重なり、私達の生活習慣を鈍らせた。

 

 どうして、人間は休日だけ夜型になるのだろう。


「セーフじゃないだろ。余裕持て」


 扉の前で大袈裟に両手を広げ、野球のセーフコールと同じ格好をしていた私と鎖子ちゃんに背後から声がかかる。


「あ、先生おはようございまーす!」


「おはざす」


「逆廻おはよう。東雲も。丁度良いや、二人ともこれ配って」


 担任である塩野木しおのぎ先生は、そう言ってプリントを渡して来た。私と鎖子ちゃんはそれを受け取ると、六列に並ぶ机の最前に五枚ずつ配って自分の席に着いた。

 私は廊下側から二列目の最後尾。鎖子ちゃんは窓際六列目の最後尾。


「はい、じゃあ今日は五月九日だから、五と九を足して十四番の星野、号令」


 それを見計らって塩野木先生が言うと、謎の方程式で指名された野球部の星野くんが号令する。挨拶をして皆が座るや否や、塩野木先生はプリントに目を通す様言った。


 プリントの題は、『深夜徘徊について』だ。


 なんて事のない、素行についての注意書き。少し耳に痛いけれど、高校生にもなって言われる様な事ではないし、入学を終えて暫く経った今言われるのも不思議であった。


「最近、本校の生徒が繰り返し補導された事もあり、改めて生徒の意識を——」


「ねえねえ、これって、絶対違うよね」


 塩野木先生がありきたりな注意の要因を話していると、私の前に座る香織ちゃんが振り返りながら遮った。


「違うって?」


 プリントから目線を上げると、香織ちゃんは、その整った顔の前に自分のスマートフォンを掲げながら言う。


「連続殺人!」


「え? 連続……? 殺人……?」


「これよこれ。真凛、朝のニュース見ていないの?」


「遅刻ギリギリだから余裕なくって」 


 言いながら、スマートフォンを受け取って画面に目線を落とす。記事を読むと、今朝に日月市の路上で、身元不明である女性の死体が発見されたという事だった。


「これがどうかしたの?」


「どうって…先週の事件もあるじゃん!」


「先……週……?」


「……呆れた。あんたテレビ見ない? SNS見ない? ゴールデンウイークになにしてたの?」


「えへへ、鎖子ちゃんとずっとゲームしてた」


「はあ……ほら、これこれ」


 呆れながら香織ちゃんが表示するサイトには、五月二日に起きた殺人事件の事が書かれていた。恥ずかしながら、全く知らなかった。事件現場は同じく日月市内。


 先程読んだ今朝の事件の記事にブラウザバックする。しかし、そこには二日に起きた事件との関連性は示唆されていない。それにも関わらず、香織ちゃんが連続殺人事件と言った理由も、仲間内でどういう会話がされているかも、容易に想像がつく。


「前の事件も、犯人は捕まってないじゃない。だから——」


「深夜一時の化け物の仕業?」


 香織ちゃんの言葉を先読みする。


「だったら怖いよね……ほら、皆言ってる」


 香織ちゃんはそう言って、クラスメイト達のSNSでの発言をソートする。確かに、話題の中心はそれ。


「そんな訳ないんだろうけどさ、めっちゃ怖いよね。模倣犯? っていうの、こういうの」


 未解決で未知の出来事に心躍らせる香織ちゃんに反して、私は神妙な面持ちで窓の方に視線を向けた。


 鎖子ちゃんは、先生の話なんてどこ吹く風で、窓の外を眺めていた。


「怖いね」


 私は、香織ちゃんに同調して言った。


 本心からの言葉だった。 


「深夜徘徊については以上の事を守る様に」


 塩野木先生がホームルームを締め、クラスメイト達が一限の準備を始める。


 私は思い立って教室を抜けて、階段を降る。一年の教室のある四階から一階まで一気に駆け降り、中庭を通る屋根付きの通路に出る。まだ他のクラスはホームルームが終わっていないのか、静かだ。

 通路に繋がる人気のない校舎の廊下は朝でも不気味に感じたし、なにより中庭の通路というのがその不気味さに拍車をかけていた。


 私達の通う東城高校は、授業を行う新校舎と、特別授業を行う教室や物置、資料室がある旧校舎がそれぞれ向かい合っており、それを繋ぐ通路と合わせてアルファベットのHの字の様になっている。なので、通路に出ると、更に人気のない旧校舎が目に付くので、それが不気味さを引き立たせる


 私はスマートフォンを取り出すと、通話履歴からよこたて一片ひとひらをタップする。

 呼び出しのコール、その二回目を待たずに電話は繋がった。


「ハローハロー、愛するシスター真凛! どうしたんだい!?」


 私のお兄ちゃんは、いつもと変わらない調子だ。


「ごめんねお兄ちゃん、今平気?」


「平気平気。平気じゃなくたって平気。悪い神様に汚染された土地に居ようが、悪魔憑きと闘っていようが、真凛からの電話ならばいつだってウェルカムさ」


 冗談に思えない冗談。いや、事実なのだろう。だってお兄ちゃんは、


「えっと、お兄ちゃんってさ、都市伝説って、信じる?」


 私の質問は、事への信疑を問うているのではなく、真偽を問うている。

 都市伝説という曖昧なものは、この世に在り得るのかどうか、そういう質問だった。


「ああ、もしかして、深夜一時の化け物の事かい?」


「お兄ちゃん知ってるの?」


 お兄ちゃんは、大学卒業までは一緒に住んでいたけれど、卒業を機に一人暮らしを始め、都心に出て行った。その上お仕事で地方や海外に居る事が多いから、私達の街で流行する、くだらない都市伝説を知っている事に驚く。


「当たり前さ、なんたって可愛い妹達と弟が住む場所だからね。不安な真凛の為に、お兄ちゃんが一から説明してあげよう。事の成り立ちを理解すれば、それが如何に馬鹿げているか分かる」


 私は校舎と通路の境目の段差に腰かけると、スマートフォンの持ち手を変えた。


は、皆一様になにかを願い、それが顕現した例だ。この世のという括りから見たな僕達、または現象は、全て願いや想いの力を根源とする。例えば、大昔の神様達の成り立ち。神様がお怒りになられている、豪雨、地鳴り、神がお怒りだ。そんな事を誰かが言い出した。風が吹く、大地が揺れる。人々は更に慄く。一人の吹聴が二人、十人、百人、千人、一万人。誰もが、神が居るから自然が荒れると想い込む。幾度かの繰り返しの果て、何処かのタイミングで顕現してしまう。だってそうだろう? 幾万もの人が、実際のだから、これはもうなのさ。怒れる神の、ね」


 想いの力。この世の理。


「それなら、都市伝説だって発現しちゃわない? 沢山の人がそれを恐れてしまうのなら、それは居る事になってしまう」


「真凛の言う通りだ。けれど、近代日本に於いて、都市伝説の名目で顕現したのはただの一例だ。最悪最凶の切り裂き魔、和製ジャック・ザ・リッパー、昭和最後の大厄災、。細かい事情はあるけれど、それが在り得たのは時代だね」


「時代?」


「人が想えば顕現する様に、。この世の多くの科学がそれらを奪った。都市伝説程近代になってしまえば、より顕著。誰もが皆、居ない事を知っている。都市伝説は、流布する人間達に不確定な要素が多過ぎる。皆悪ふざけ、話のネタ。まるで信じちゃいない。真凛の周りの友達もそうじゃなかった?」


 言われて、香織ちゃんの表情を思い出す。野次馬根性に似た気持ち。多分、そういう精神であったに違いない。少なくとも、心底都市伝説を信じている風ではなかった。


「居るという想いと同じくらいに、居ないという想いが強過ぎるのさ。太古には神様の仕業であった自然現象も、今では科学の一端だ。こうして神様は大昔の生き残りしか居なくなった」


「信じる人が多ければ、新しい神様も生まれるんじゃないの?」


「在り得ないね。多くはビジネスに成り果てた。信者の数は多くとも、肝心の教祖やら幹部やら……その神に近い奴程それを利用しているに過ぎないからね。それじゃあ顕現しない。一番有名なアレだって、流行の理由は国民の堕落に対して、慎ましく生きよ、勤労せよ、と喚起する政策の為のハリボテだ。信者の中で想いのベクトルが違えば、それは余計に発現を難航させるだろう」


「ふうん……」


 お兄ちゃんの話を聞いて、不安が少し薄れた。

 確かに、都市伝説なんて心から信じている人間なんて居ない筈だ。

 皆一様に、それを面白がっている。単なる、暇潰し。


「だから、真凛の言う深夜一時の化け物なんて都市伝説は在り得ない。余程特殊なケースじゃなければ無理だ。少なくとも、


「新たに?」


「うん、新たには在り得ない。ただ、在るとしたら、それこそ過去の遺物だね。神様の残滓が変貌したモノか、はたまた面妖奇怪な伝承伝奇の副産物か」


 直後に、また不安になる。

 最新の都市伝説、深夜一時の化け物としては在り得ないが、過去の産物としてならば可能性がある。


「真凛今、昔のモノなら在り得るって思ったでしょ? でも、それが存在し続けているのだとしたら、日月にそういう話がある筈だし、なにかしらそういう事件が起きている筈だ。僕があの家に住み始めた頃から、一度もそんな事は聞いた事がない。父さんからも聞いた事がない。それに、神様に準ずるナニカの仕業なら、では済まない。だから、在り得ないよ」


 そういう私を見透かして、お兄ちゃんは言った。


「だから安心して。万が一それが顕現したとして、僕が守ってあげるさ」


「直ぐ駆け付けられるの?」


「ああ、うーん……今台湾だから……早めに連絡貰えれば……」


「台湾!? 国際電話だったんだ……なんかごめん」


「いいよいいよ。気にしないで」


「お仕事?」


「うん。呪術暴走の痕跡が見つかったとかでさ。そういえば、羽田で父さんと会ったよ」


「ええ!? お父さん今海外なの!?」


「南アフリカに行くって言ってた。なんでも密教の壊滅だってさ。あの様子じゃ暫く帰らないぞ」


 ここ二週間家を留守にしている父は、世界を駆け回っていた。毎度の事ながら、せめて連絡をして欲しいというのは、家族共通の願いだ。


「さーかーえー」


 会話を遮る背後からの声に反応して、私は立ち上がりながら思わず電話を切った。振り返ると、陸上部の顧問である椎田しいた先生が仁王立ちしていた。

 スーツの上からでも分かる発達した胸筋。肉達磨と呼ばれる雄々しいその巨体が、私を見下ろしていた。


「逆廻、校内電話禁止だ」


「いや、ちょっと家の用事で、仕方ないんですよ。あはは」


「ん、んん、そうか。それなら仕方ないな。家の用事ならば、仕方がない」


 椎田先生は三年の担任かつ体育も男子の担当なので、私と授業での関わりはない。けれど、中学時代のスポーツテストで好成績を収めていた鎖子ちゃんの事を聞きつけ、日々陸上部へと勧誘している。一緒に居る私もついでに勧誘を受けているので、椎田先生とはすっかり顔馴染だ。


「それじゃあ、授業の準備があるので、これで」


「ああ! 待て逆廻! 入学のごたごたが落ち着いた今こそ、俺と東雲と一緒に陸上部の復活を——」


 椎田先生のお決まりの勧誘台詞を後にして、階段を駆け上った。東城高校では、部員二人以上が部として存続する最低条件である。その為、巡り会わせの妙で部員が減り、昨年の三年生が卒業した事で部員がゼロ人になってしまった陸上部は廃部の憂き目に遭ったのである。その事もあって、椎田先生の鎖子ちゃん、及び私に対する勧誘は、激しい。それこそ、嫌気が差すくらいに。


 椎田先生を振りきり教室に戻ると、皆次の授業の準備を終え談笑していたので、そそくさと自分の席に戻ってリュックから教科書を取り出した。


「あ」


 そういえば、と声が零れる。

 お兄ちゃんに、日月で起きている事件の事を話しそびれてしまった。もし、都市伝説と関連があるのなら、伝えておいた方が良かっただろうか。ただ、くだらない都市伝説は知っているのだから、ニュースに取り上げられている事件くらいは把握しているかな。それとも、海外に居るから最近の事は分っていないかも。


 伝えそびれはしたけれど、お兄ちゃんが言うには都市伝説は眉唾なんだ。

 

 だから、私はそこまで気にする事なく、授業の準備を進めた。

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