深夜一時の奇奇怪怪①

「まじまじ、本当だって。先輩が見たって言ってたの!」


 クラスメイトである篠田しのだ香織かおりちゃんは、カラオケボックスのマイクを持ったまま言った。


「香織、馬鹿言ってんじゃないよ。私等もう高校生だよ? そういう子供っぽいのは真凛まりんだけにして」


 東雲しののめ鎖子さこちゃんは、そう言いながら私の頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。


「ちょっと鎖子ちゃん! 私の事あんまり子供子供言わないでよ!」


「だって、真凛は私の妹なんだし」


「ええー!? 私の方が誕生日早いのに!」


「だって真凛子供じゃん」


「もう高校生ですー!」


 理由が明確にあったかは忘れたけれど、私は鎖子ちゃんの三歩後を付いて行く性格で、鎖子ちゃんは私の三歩先を行く性格。そんなものだから、鎖子ちゃんは私を妹扱いするのだろう。


 でも、私だって、もう大人だ。


「本当あんた等ん家って複雑だよね……まあそれを大っぴらにしてネガティブじゃないのが救いだ。つーかね! あんた等高校生だなんだと言うなら、その格好どうにかしてよ!」


 香織ちゃんは言いながら私達を指差す。


 香織ちゃんは、所謂顔面偏差値が高い方だ。クラスどころか、学校の中で一、二、と言える、分かり易く可愛い女の子。休日である今日は、白にブランドロゴがプリントされたシャツと、濃藍のワイドパンツに青いスニーカー。シンプルであるけど、容姿が良いとそれだけで普遍とは逸脱して見える。


 対して指を差された私は、休日だというのに学校指定のシャツにスカート、それに赤のカーディガン。鎖子ちゃんに至っては、学校指定のスカート。それに、上着は黒に青のラインが入った学校指定のジャージだ。


「なにそれ!? なんなの!? 青春時代棒に振るつもり!?」


 香織ちゃんは声を荒げる。


「逆に考えろ香織。高校生でしか着れないもん着てるんだから、これは一種の青春の謳歌だ」


「屁理屈言わない! 鎖子の場合、ただ怠慢なだけでしょ!!」


 足を組んで怪訝な表情の鎖子ちゃんに対し、香織ちゃんはテーブルに身を乗り出して続ける。


「精神性の話よ! 私がしているのは!」


「いやあ……そうは言っても、私も鎖子ちゃんもバイトしてないから、あんまり服とか買えないし……」


「それに、香織みたいにセンス良い訳でもないから。私等はいいよ、そういうのは」


「違うのよ! そうじゃないのよ! そういう精神がだめなの! 諦めの精神! お洒落は見栄と財力の見本市じゃないわ! 精神の修練場なのよ!」


 香織ちゃんは持論を振りかざしながら続ける。


「いい? 多分鎖子も真凛も、男が欲しい訳じゃないしとか、勝負時じゃないしとか油断しているんだろうけどね、人間の精神はその顔つき、雰囲気に出るのよ! あんた等みたいな諦め怠惰を貪る下賤な貧民は、そういう顔つきと雰囲気になっていくのよ!!」


 香織ちゃんは、何処かこの世界の核心を突いた様な事を捲し立てる。


「さいですか。それじゃあ今度は香織先生様にご教授頂いて被服の購買にでも参りましょうかね」


「ああ! 鎖子はそうやって私の事馬鹿にして!」


「私はいいから真凛にそういうのは任せる。真凛なら可愛いし、お洒落のさせ甲斐もあるでしょ?」


「あんたも十分整ってんだから。身長もあるし」


「男受けいいのは香織や真凛でしょ?」


「それは否定しないけど……もう、折角人が凄い物見せてあげようとしてたのに、なんだか調子狂うなあ」


 鎖子ちゃんと一通りじゃれ終えた香織ちゃんは、ソファーに腰を下ろすと、腕を組みながら言う。


「凄い物って? 海外地下格闘技の映像とか?」


 鎖子ちゃんはポケットに手を突っ込んだまま、飲み物から取ったストローを口に咥えて言う。


「なによそれ、そんなの見たいのあんただけでしょ。深夜一時の化け物よ、さっき話しかけたでしょ」


「まーだそんな事言ってんのか。私はそういうの嫌いなんだよ。都市伝説とか、噂とか、曖昧なモノに割く時間は持ち合わせてないの。そういうのは真凛に話してやれよ」


「ちょっと鎖子ちゃん! なんで私それ専門みたいになってるの!?」


「だって真凛、怖がってたじゃん」


「うう……それは、そうだけど」


 『深夜一時の化け物』は、私達の住む日月ひづき市で、春から流行り始めた都市伝説だ。


 深夜一時に右手を水で濡らして、左手に木の枝を持って街に出ると、後ろから声をかけられる。『振り向くな』。決して振り向いて

はいけない。振り向いてしまえば、右手を血で濡らし、左手に包丁を持った髪の毛の長い女に殺されてしまうから。


 いかにも都市伝説らしい整合性のないその噂は、日月の学生達のトレンドであり、私を不安にさせる程度には怖かった。


「ふふ、あんた等、これを見てもまだそんな事が言えるかな?」


 言い合う私と鎖子ちゃんを意に介さず、香織ちゃんは悪そうな表情を浮かべてスマートフォンの画面を私と鎖子ちゃんに向けた。


 画面は、香織ちゃんと誰かのトークアプリのチャット画面。


「これ、さっき話した、深夜一時の化け物を見たって先輩なんだけど、これ見て、ここね」


 言いながら、その先輩から送信された画像をタップする。サムネイルの状態では黒く潰れただけの画像が、画面全体に表示される。


 暗い、一面。街灯の様な明かりと民家が見える。道の真ん中、その画像の中心に、薄らと、見えた。


「……人?」


 夜の住宅街、その道の真ん中に、人影が見えた。


「そう。これ、先輩が夜一時に試してみたらしいんだけどさ、本当に後ろから振り向くなって声をかけられたの。それで振り向いたら、これ。ね、髪の毛長い女の人に見えない? それに、左手、刃物っぽくない?」


 言われて目を凝らす。確かに、長い髪を振り乱している様にも見えるし、左手になにか持っている様にも見えた。けれど、夜な事に加え、急いでシャッターを切ったからか、ブレたピント。不鮮明なそれは、話題の都市伝説の証拠と言うには余りにも乏しかった。


「本当馬鹿馬鹿しい。そんなの、遠目に髪の長い友達に被写体になって貰えば誰にだって作れる画像だろ? いいか。デジタルカメラがこの世に普及してから心霊写真って物は鳴りを潜めた。都市伝説や未確認生物の噂も、世界の開拓と共に駆逐された。今日び化け物だの幽霊だのは流行らないんだよ、香織」


 鎖子ちゃんは捲し立てて香織ちゃんの見せてくれた画像を一蹴して、マイクを取った。


「都市伝説は所詮都市伝説だ。歌うぞ!」


 五月一日日曜日。休日のフリータイム、時間はまだ午前。

 その日私達は、喉が枯れるまで歌った。



 本来であれば、高校生に外出を許されない深夜。健康有料不良少女である私と鎖子ちゃんは、日付を跨いで少ししてから帰路に就いた。カラオケの後、二十四時間営業のファミレスで駄弁っていたらこんな時間だ。繁華街である日月駅北口周辺から、日月市の中心地である駅に到着する。


 終電間際の改札前を抜けて、反対口日月駅南口へと。こちら側は、閑散としていて暗い。電飾と酔っ払いでごった返す北口とは対照的だ。南口には、中々来ないタクシーをロータリーで待つ数人しか人が見受けられない。駅前の店は全て電気を落としていて蛻の殻。二十四時間経営のコンビニが一軒だけ光を放つのが、余計にその光景を寂しくさせた。


「ねえねえ鎖子ちゃん」


「なに?」


 住宅街へと差し掛かり、街頭の下を歩くのに退屈し始めた頃、私は鎖子ちゃんに問いかける。


「深夜一時の化け物って……居るのかなあ?」


 一抹の不安。


 都市伝説を信じる年齢ではないけれど、それでも私にとってはーー 


よ」


 鎖子ちゃんは、そう言って捨てた。


「右手を濡らして、左手に枝を持って? だっけか。そんな事で、そんなモノが顕現するなんて在り得ない」


 鎖子ちゃんは、悪戯っぽく笑う。


「真凛は都市伝説が怖いんだ? 小学生?」


「こっ、怖くないもん! 平気だもん!」


「じゃぁ、なんでその話ばっかするんだよ?」


「うう……」


 鎖子ちゃんは、在り得ないと言う。

 けれど、現にこの世界には、


「鎖子ちゃん、深夜一時の化け物って強いかなあ……」


 私はから不安だ。だから、つい口を突いて出た言葉は、情けなかった。


「心配するなって。もしそいつがこの世に居て、どんなに強くても、私がブっ飛ばしてあげる」


 言って、鎖子ちゃんは後ろを歩く私に振り向いて、ぐっと握り拳を私に突き出す。私はそれを見て、思わず笑顔になる。


「鎖子ちゃん……強いもんね」


「超強いよ」


 その力強い姿は、紛れもなく、私の姉だった。


「よーし。弱い真凛を鍛える為に、帰りは競争にしよう!」


 不意に、鎖子ちゃんが私に振り向いて笑った。


「……え? 競争?」


「そう。負けたら奢りなー!」


 そう言って、鎖子ちゃんはスタートダッシュを決める。


「あ! 待って!」


 急いで私も追いかけるけれど、鎖子ちゃんが本気になったら私が追い付ける訳がない。


 それどころか、


 なんとかその背中を追いかけるけれど、曲がり角を過ぎた頃には、鎖子ちゃんの姿は見えなくなっていた。

 私は追いかけるのを諦めて、ペースを落として走る。それでも、上がった息は中々戻らない。出て行く二酸化炭素と、入って来る酸素の比率が合わない気がする。


 鎖子ちゃんを見失って数分、上がる息の中、思ってしまった。


 スマートフォンを覗けば、現在時刻を把握するのは簡単だった。



 だから、思ってしまった。



 一人きりの帰り道、その途中。私達の通う東城高校を過ぎて、馴染みの住宅街、思ってしまった。


 住宅街にある公園の前で足を止める。荒くなった呼吸のまま公園に足を踏み入れて、中心にある趣味の悪いモニュメント時計を見上げる。

 暗がりの公園に灯る僅かな外灯の光が、時計の針を照らす。


 午前零時五十九分。


 呼吸が落ち着き始めて、額から流れる汗を知覚する。それをジャージの袖で拭いながら、水飲み場に歩を進める。


 砂利を踏む音が止まって、蛇口に手をかける。噴き出す水が闇夜に飛翔して、外灯の光を弾く。真っ直ぐに飛び出した水流が重力に引っ張られて叩き付けられる音が、徐々に徐々に小さくなる。代わりに、頭が締め付けられる様な耳鳴りが甲高く鼓膜を突き刺して消え、今度は鼓動がやけに五月蠅い。


 駆けて跳ねた心臓と呼吸は疾うに落ち着いた筈なのに、またもその稼働を強める。宙を舞う水が落下する音が、聞えない。鼓動の音が五月蠅い。



 鼓動の音が、五月蠅い。



 右手を水流に重ねた。掌に衝突して飛散する水飛沫が体にかかるけれど、気にしない。そのままびしょ濡れになった右手で蛇口を閉める。最後に飛び出した水の塊が糸の切れた人形の様に地面に落ちるけれど、音はしない。




 鼓動が五月蠅い。




 時計に目線を上げる。長針は動いていない、午前零時五十九分。


 周囲を見渡してから、足を上げて踏み出す。砂利を踏む音がしない。視界に入った折れた木の枝を目指して、歩く。

 一歩、二歩、三歩、四歩。

 地面に落ちている枝を左手で拾う。




 五月蠅い。




 時計を見上げると、永遠に制止したままなんじゃないかと思われた時間が滑り出した。




 午前一時。




 右手を水で濡らし、左手に木の枝を持ったまま、深夜一時を迎えた。


 心臓が鼓膜を直接叩いているかの様な音が、鳴り止まない。








「振り向くな」








 この日一番強く鼓動が脈打ち、視界が狭まる感覚がする。


 血流の流れを知覚出来る錯覚に陥る。音がしない。音が、消えて。


 心臓が、一つ大きく跳ねた。


 それを合図に、振り返る。









「なんちって」




 振り向いた先、外灯に照らされていたのは、鎖子ちゃんだった。舌を出して悪戯な笑顔を浮かべる。急速に周囲の音が舞い戻る。何処かの飼い犬の遠吠えが聞こえて、胸を撫で下ろした。


「真凛、なにしてるの?」


「はあ……驚かさないでよ……鎖子ちゃんが先に行っちゃったから、つい」


 鎖子ちゃんがにやついて言うから、私は枝を手放して、右手を拭った。


「遅いなあと思って戻ってみたらこれだ。本当、そんなくだらない事やってないで」


「だって……」


「でも、これで分かったでしょ?」


 鎖子ちゃんは、私が落とした枝を拾い上げて言う。


「真凛は都市伝説にある通りの事をした。でも、なにも起きない。つまりは、そういう事」


 言いながら、枝を真っ二つに折る。


「そうだね……うん」


 私は身を以て実証したその噂話に、多少の安心感を得る。


「ほら、帰るよ」


「うん」


 そう言って、二人で道路を駆け出した。午前一時過ぎ、二人で夜を行く。

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