11話  師匠と弟子⑤


 深層治癒術ダイブ・ヒーリングを行うにあたり、ラクラはいくつかの事を弟子と友人に言い付けた。

 まずは、おけいっぱいの清らかな水を用意する事。これはノエルが、街を走る水路から汲んできた。水路に流れる水はマカル山からの恵みである。おけの中は、条件に合った美しい水で満たされていた。

 カーテンを閉め、部屋を薄暗くさせたのはリリアだ。しかし、太陽の光が届かない室内は、途端に薄ら寒くなる。フローラの身体にさわってはいけないので、薪ストーブに火を入れる事は許可してもらった。

 それから、この事は絶対に他の人間には言わないよう釘を刺された。リリアとノエルは、勿論真剣な表情で頷いた。

 準備が整い、いよいよ術が開始される――と思いきや、ラクラはリビングの隅で固唾かたずを呑んで見守っていたリリア達に向かい、


 「あ、君達は外に出ててね。邪魔になるから」


 と、あまりにも素っ気無い態度で言ってのけた。

 これには二人とも猛反発したが、かなりの集中を要する魔術である事、そして術者が気を散らせばフローラにも影響が出るという事を淡々と説かれ、渋々とノエルは引き下がった。


 「私は師匠の弟子ですよ。深層治癒術、見せてください」

 「駄目だよ。見たところで君には使えない術だ」


 食い下がったリリアも、師匠に背中を押されズルズルと扉の向こう側へ追いやられる。納得いかず唇を尖らせたが、そんな弟子に対してもラクラは折れなかった。

 リリアはすごすごと引き下がる素振りを見せ、しかしすぐにきびすを返して師匠へと詰め寄り、その鼻先をつねる。


 「痛っ!! リリア、いきなり何をするんだい」


 手を離すと、赤くなった鼻先をさする師匠が見えた。


 「気合を入れたんです。師匠がヘマしないように」


 リリアの言葉に、ラクラは笑みを浮かべた。いつもの頼りないものとは違う、余裕に溢れた笑顔。彼は弟子の耳元に顔を寄せると、


 「僕が魔術をしくじるはずは無い。その事は、君が一番良く知ってるだろ」


 そう言い残して、家の中へと消えていった。

 ――そんな訳で、リリアとノエルは家から閉め出され、現在は外で待機中だ。

二人は、通りと住宅の境界線になっている木造の柵に腰掛けて、閉め切られた家の扉を見つめている。


 「あいつ……マジで大丈夫なんだろうな?」


 呟かれたノエルの声に、リリアが反応する。


 「大丈夫です。師匠は、他人ひとの奥さんに手を出したりしません」

 「いや、そういう事じゃねえよ」


 呆れてノエルが突っ込むが、リリアは首を傾げ、


 「じゃあ、何が心配なんですか?」


 と、逆に尋ね返されてしまった。「ヘマしないように」と言ってはいたが、リリアの頭には師匠が術に失敗するかもしれないという考えなど、僅かたりとも無いのだ。


 「俺が聞きたいのは、あいつの魔術師としての力量だよ。実際どうなんだ? 弟子から見て」

 「凄いですよ」


 リリアは、あっさりと言い放った。


 「凄い……のか」

 「はい。普段の師匠は、起きてるんだか寝てるんだか分からない冴えない顔をしていますし、髪の毛だって伸ばしっぱなしでボサボサだし、いっつも草臥くたびれた服しか着ませんし、無気力だし覇気は無いしやる気も無いし、おまけに甲斐性かいしょうも無い生活破綻者ですけど――魔術に関しては、超一流です」

 「そ、そうなのか」


 一番近くでラクラを見ている弟子の言葉なので、その評価に嘘は無いのだろう。だが、ズラリと並びたてられた『普段の師匠』とやらの姿に圧され、賞賛しょうさんの言葉は空しく霞む。

 けなしているのか、褒めているのか、どちらかに絞って欲しいと思いつつ、ノエルは曖昧に頷いた。隣では、リリアが言い切った満足感に浸っている。


 (ボロクソに言ってはいるが……一応懐いてるんだよな?)


 辛辣しんらつな言葉は、親しいからこそ出るのだろうと、ノエルは自分を納得させた。


 「ノエルさん、師匠の魔術を見たことは?」

 「あん? 言われてみれば、無ェな」

 「へぇ……意外です。私より、師匠との付き合いは長いんですよね?」

 「いや、違うぞ。多分リリアの方が長い」

 「えー!! そうだったんですか!?」


 リリアがあの家に暮らし始めて、五年ほどが経つ。

 ノエルと出会ったのは、魔術師の弟子となり慣れない生活に四苦八苦していた頃だった。師匠との会話もぎこちなく、どんな距離で接すればいいか分からなかったリリアの前に、いつもの軽い調子で現れた男がノエルだ。あまりにも気軽に接していたので、そこそこ付き合いのある友人なのだろうと思っていた。今の今まで。


 「考えてみると……私、師匠の事あんまり知らないんですよね……」

 「ん? あいつの事、もっと知りたいってか?」


 ノエルはニヤニヤと口の端を緩めた。そんな台詞が出るのは、相手に興味を持っているからこそ。これをきっかけに、リリアの中で何かが変わるかもしれない。ノエルはそう考えるが、

 

 「この間、店のお客さん――ソニアさんっていう年配の女性なんですけど。その人に師匠の年齢とか出身地とか、年収まで聞かれたんですよー。分からないって答えたら、ソニアさんが驚いちゃって。『あんたの師匠は不審人物だな』とか『若い娘がそんな男と一緒に住んでたらダメだ』とか、色々言われちゃいました」


 くし立てられたリリアの言葉に、淡い期待は崩れ去った。


 「そういう事もあるし……師匠の事、少しは知っておいた方がいいのかなーって。あんな師匠ですけど、流石に不審人物は可哀想ですもんね!!」


 ニコリと笑いかけてくるリリアを見て、ノエルは肩を落とした。そして、


 「お前に期待した俺が悪かった」


 疲れたように呟くのだった。






 (まったく、丸聞こえなんだよなぁ)


 そんな事を考えながら溜め息をつくと、目の前のフローラが小さく笑った。薄暗く冷えたリビングには、薪ストーブの火だけがぼんやりと揺らめいている。

 深層治癒術は集中を要するものだ。術の構成だけでも、魔力と神経が大幅に削られてゆく。出来うる限り雑念を消したくて、リリアとノエルも外へ追いやった。しかし、壁が薄いのか――はたまた声が大き過ぎるだけか、二人の会話は室内に筒抜けとなっている。集中してしまえば気になる事は無いのだが、どこか締まりの悪い気分にもなる。

 術はまだ行われていない。ラクラは白いローブの内側にあるポケットから、羊皮紙と携帯用のペンを取り出すと、よどみの無い動きで魔術図形を書き上げていく。大きな円の中に、様々な文字と図形が細かく書き込まれ、やがて羊皮紙は黒いインクで埋め尽くされる。

 最後の準備を終えたラクラが、一息つく。それを見計らって、フローラが声を掛けた。


 「リリアちゃんは師匠思いですね」

 「……今の会話をどう切り取れば、そういう風に思えるんですか」

 「あら。あなたを慕っている事は、十分伝わったけれど」


 憮然ぶぜんとするラクラに、フローラは苦笑する。師匠も弟子も、なかなか素直では無い。そんなところが、可愛いとも思うのだけれど。


 「そろそろ、始めますよ」


 その言葉に、フローラの気が引き締まる。事前にラクラから言われていた通り、呼吸を正し、精神を落ち着かせた。

 水をたたえたおけが、テーブルに置かれている。先程ノエルが汲んできたものだ。ラクラはその中に自らの右手を入れると、更にもう片方の手を魔術図形が書かれた羊皮紙に乗せた。


 「同じように、水の中へ手を。空いた手でこの紙に触れてください」

 「はい」


 ひんやりと透き通った水に手を入れると、不思議な静寂が訪れた。扉の外から聞こえていた声は、もう何処にも無い。

 この時から既に、魔術はり行われていた。

 ラクラは呪文を唱える事無く暗示を掛け、フローラを催眠状態へといざなったのだ。


 「ゆっくりと目を閉じて、楽にして下さい」


 羊皮紙の魔術図形が、淡い輝きを放ち出す。魔力が黒いインクの道を辿り、その先にあるフローラの指先へと集って、侵食をはじめた。

 おけの水が徐々に波立ち、踊る。

 澄んだ空気の中で、ラクラの声が響いた。


 「――あなたの精神なかを覗かせて頂きます。


 深層治癒術。

 それは人の心を癒し、救う為に生まれた白魔術。

 しかし、相手の精神に入り込み、服従させる――そんな禁断の行為によって始められる、まさしく禁術でもあった。

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