2.
エレベーターを降り、エントランスホールを抜ける。外へ通じる自動ドアが開く。二月の終わりにしてはまだ少し冷たい、しかし春を感じさせる風が、空を見上げるしょこらと地面を睨む私を出迎えた。
顔を上げて、無理矢理口元を上げる。
もうすぐ、高校三年生だね。
そうだね、大学、どこに行くか決めた?
うん、でもやっぱりしょこらと離れるのは寂しいな。
先週も、その前も今月からずっと繰り返している会話で、私の登校手段である自転車の小屋までの距離をつぶす。
「でも、後一年はエレベーターで一緒なんだよね」
何気なく言った私の言葉を聞いて、しょこらは困ったような表情を浮かべた。
しかし私が彼女の今脆い部分に触れてしまったのだと気がつく前に、元の笑顔に戻る。そうだね、としょこらは明るく言った。
一瞬の変化に私は黙り込む。残り一年、このどこか居心地の悪い空気に私は耐えられるのだろうか――浮かんだ不安に、首を大きく横に振る。
私達の繋がりは深いもので、喧嘩など一度も起きたことは無かった。
互いに譲り合い、相手を尊重し合った。
今鞄についているストラップだってそうだ。緑の革と小さな金色の金属製円盤でできたシックなそれは、中学校に上がり初めて二人だけで遊びに行ったときに買った思い出の品。本当は当時流行っていたぬいぐるみが良かったのだけれど、しょこらがストラップにしようと言った。私はそれにただ同意した。
私達の間には隙間なんて無いのだ、と無理矢理思考を打ち切る。
「じゃあ、また明日」
私が無理矢理笑みを作ると、しょこらは一瞬小さく肩を震わせた。
明日は火曜日のため演劇部は朝練習がある。ただの毎回繰り返される冗談だ。
おどける私をしょこらが諌め、ささやかで大切な交流を終えるのが、二人の間を繋ぐものの一つだった。しょこらが大きく息を吸う。
その時、マンション下特有の強い風が二人の間に割って入った。
「『この世で一番嘘を見破るのが簡単な、でも本当に見破ろうとするのは難しい人が誰か、知ってる?』」
不意にしょこらの歌うような、自嘲するような声が聞こえてきた。
え、と私の口から変な音が漏れる。
しょこらのばつの悪そうな、それでいて何かを決心したような表情に、いつもの大人びた印象は無かった。
ほらね、と呟くと、どこかずれたしょこらとは思えない拙い笑顔を浮かべる。
急に隣にいるはずの彼女との距離が遠くなった気がした。
「やっぱり、あたし達はうまくいかない。あたしは、うまくできない」
どういうこと。私が問いただす前にしょこらは、あのさ、と言った。
乾いた唇が何かをためらうような、言葉にならない動きを何度か見せる。眉を寄せ、軽く上唇を噛む。
二人のスカートがはためく音だけが聞こえる中、しょこらはとうとう観念したように言葉を発した。
「もう、『また明日』ってやめない?」
風が、止まった。
さすがに飽きた、と口を動かす。そして、こう言ったのだった。
「それと、さ、……私達もうすぐ受験生だし、お互いの登校時間、ずれるかもしれないけれど、それって仕方がないことだよね?」
心臓が大きく跳ね、瞬きすら忘れた。
しょこらはこちらを窺うと、あたしもまだ上手じゃないなあ、と呟いた。声だけが異様に明るかった。
二月の冷たい風が再び吹き出す。
私の中をすり抜け、大切なものを根こそぎ持っていかれる感覚に陥る。
電車に遅れちゃう、としょこらは呆然と立つ私を置いて走って行った。
そこでやっと私は気がついた。
去っていくしょこらの鞄には、先週までついていたはずのストラップが無かった。
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