5.

その時だった。

「大川!」

 大きな声が教室の前の方から聞こえた。担任の先生だ。大きな肩は壁のように教室のドアをふさぎ、四角い眼鏡は固まる僕らの姿を映し出していた。とても頭のいい人らしいと女子が噂していたのを思い出す。

「大川、駄……愛してるだろう、そんなこと言っちゃ」

と、先生は大川さんにゆっくりと近寄り言った。その姿はとても大きくて、恐ろしくて、反論できそうな雰囲気ではなかった。

 それでもぼくは何かを言おうと、口を開きかけた。

 しかしその時、先生は突き刺すような目でこちらを見た。瞳は彼女と違って濁りきっていた。あまり寝ていないのか、くまさえ浮かんでいた。悪いことをした男子を怒るときにも、こんな目はしていなかったはずだ。彼のそれらから、ぼくは全く目をそらすことができなかった。眼鏡の奥の濁った目にぼくの姿は映っていなかった。体は小指一本も動かなかったが、心は氷水を被ったように冷静だった。働き者のアリの目だ、とぼくは思った。

 彼はぼくから視線をはずすと、再び大川さんに向き直る。

「教育長からの要請で、負の言葉、及びあいさつ全ては『愛してる』に変換するようになっているんだ。職員室に来なさい」

 そう言うと先生は彼女のセーラー服のえりをぎゅっとつかみ、

「く、くるしい……」

「ほら、そういう言葉が間違……愛しているんだ」

そのまま教室を出て行く。彼にお相撲さんのような力強さは全く無かった。むしろ、疲れているようにさえ感じられた。しかし彼女は抵抗をしなかった。抵抗をすることが悪いことだと思っているかのようだった。

 大川さんがドアをくぐり抜ける直前、ぼくは彼女の唇が動くのを見た。音は無かった。

「あいしてる」

 彼女はにっこりと微笑むと、教室から消えた。途中途中で先生の怒鳴り声が聞こえた。

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