3.

 それからぼくと大川さんはよく話すようになった。放課後、誰もいなくなった教室でぼくはイスを回して彼女の正面に座り会話を弾ませる。それはクラスメイトの女子が話しているような華々しい話ではなかった。昼休みにパンの香りがしたのでどこからきたんだろうと想像したとか、登校中にがんばって砂糖の粒を運ぶアリの姿を見たとか、ちょっと難しい話をしてもそう言えば働きアリには働くアリと働かないアリがいるそうだとか、そういう話だった。

「おじいちゃんが貸してくれた本で読んだんだ。働きアリの、十匹のうち二匹はよく働くんだけど、二匹はあまり働かないんだって。もう六匹は普通に働くアリ。えらい人達は『働かないアリなんていない』って言って、それを隠したいみたいだけど」

 彼女はしばらく黙り込んで、それを味わった。人差し指と親指が無意識のうちに唇に触れ、何かを考えているそぶりを見せる。そして時通りぽつりと自分の考えや疑問を漏らすのだ。

「なんで、はたらかないアリがいるのかな。おこられるのが、こわくないのかな」

 その真剣な眼差しや小さく動く唇が、ぼくの心臓を大きくゆさぶっていった。これが何なのか、ぼくにはよく分からなかった。必死に頭を回転させ正直に答える。

「そこまではよく分かっていないみたいだ。……ぼくは、その働かないアリにも意味があると思う」

 続けて、と彼女の瞳が語る。えっと、と少しずつ言葉をつむぐ。彼女はいつもそれを辛抱強く待ってくれた。

「きっとその二匹の働きアリは、じっとそこで座って、他の働きアリたちの観察をしているんだよ。そして、考えるんだ。これでほんとにいいのかなって。みんな、えらい女王蜂とか、他の働きアリたちとか、もしくはその『巣』そのものに流されているけれど、これであっているのかなって……」

 ほかに分かりやすい言葉がないかと探すぼくに、大川さんは小さくつぶやく。

「わたしたちははたらかないアリなのかな」

 はっとして彼女の顔を見つめ直した。口元が緩み、瞳はいつもより大きく見えた。

 だったらいいね、と二人で笑いあった。

 担任の先生が、横目でちらりとぼくらを見ながら通り過ぎていった。彼は少し驚いた様子だった。しかしどこか苦しそうな表情をしていたのに、ぼくは気がつかなかった。

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